第3話

◆◆


 王都に土地勘がないせいか、廟を探すのに苦労してしまった。

 庭先に祖霊の廟は祀っているが、神仙の廟は街の中心に行かないと見つけることが出来ないのだ。

 土色で統一された瓦屋根が、陽光に反射して、金色に輝いていた。

 彩蓮の繁華街は、大勢の人と所狭しに並ぶ大店ばかりで刺激が強すぎる。

 藍紗あいしゃはすっかり目を回してしまった。


(日頃の運動不足が身体に堪えるわ……)


 真昼の陽射しが、藍紗の闇に慣れた目に、眩し過ぎる。

 ほとんど、家にひきこもっているせいか、賑やかな街の活気は怖いくらいだった。


「あー……。やっと、見つけた」


 道に迷っては立ち止まり、引き返したりして、ぐるぐると同じような道を通って、ようやく廟にたどり着いた。

 この国、叶の守護神。


 ――天皚大帝てんがいたいてい


 略して「天帝てんてい」。

 四百年前、人に害をなす「妖異ようい」という化け物の王「真羅しんら王」を斃して、一介の武人だったりゅう 朱全しゅぜんに帝位を与えた。全知全能の神。

 とにかく、叶えたいことがあるなら、先祖廟と、天皚大帝に祈るのが叶国人の常識だった。


(……さすが、王都)


 田舎の廟よりも遥かに豪奢で、村長の家より何倍にも広い敷地を占拠している。

 独特の線香の匂いがなければ、有力者の住まいと勘違いしてしまいそうな雅な建物だった。


(私、物見遊山で来たわけじゃなくて、お願い事をしようと思って、来たんだけど)


 特に祭祀でもないのに、大勢の人で混み合っている。

 まるで、先ほど目にした市場のようだった。


(困ったわ……。こんな状況じゃ、私の番まで時間が掛かるかも) 


 藍紗の故郷の廟は、いつも閑散としていて、安心して入り浸ることが出来た。

 けれど、天皚大帝のお膝元はやはり違う。

 熱心に信仰している人は旅装だ。

 その足で、王都中の廟にもお参りするようだつた。


(これだけの人がお参りに来ていたら、天皚大帝まで、私の願いなんて届かないかも)


 藍紗は神様の存在を篤く信じてはいないけれど、今は縋りたい気持ちで一杯だった。

 だから、頑張って列の最後に並んでいたのだが、どういうわけか、藍紗の前に横入りする人が後を絶たなくて、困り果てていた。


(聖地にお参りにしている人たちが、順番を守らないなんて)


「可哀想に。貴方、ずっと抜かされてばかりいますね」

「ええ。見てました? 本当に酷い話ですよね。都の廟は順番をすっ飛ばしても良いのでしょうか?」

「そんなはずないじゃないですか」


 耳元の近くで響く低い声。

 男性だろうことは分かったが……。

 ……くすくす笑っている。

 藍紗は、ついむきになって言い返してしまった。


「でも、現にこの有様です。天帝の御前だから文句は言いませんけど、このままじゃ、天帝廟に辿り着くまでに、日が暮れてしまいますよ」

「……まったく、面白い人だな」 


 ――面白い?

 この痛ましい光景に、とても面白みがあるとは思えないのだが……。

 藍紗は首を傾げながらも、いつものように自分の方がおかしいのだろうと、やり過ごそうとした。

 話しかけてくれただけ、ありがたいことだ。

 故郷でも、王都でも、藍紗相手に話しかけてくれる人はほとんどいなかった。

 

(……それに、とても綺麗な人だし)


 ようやく、振り返って確認した男性の容姿は、とんでもなく美しかったのだ。

 白地の深衣に、濃淡が鮮やかな紫の上衣。

 長い艶々の黒髪は、銀色の髪留めで、緩く一つに束ねている。

 

(きっと、雲の上の人なんだろうな)


 まるで、この世の者ではないみたいに、彼だけがこの場で一等輝いていた。

 陽射しによって変化する瞳の色。

 碧色に見えるのは、きっと日の光のせいだろう。

 ふと、無意識に彼の方に手を伸ばしそうになって、藍紗は慌てて手を引っ込めた。


(嫌だ。私ったら……一体)


 初対面で失礼にも程がある。

 

(いくら神様のように麗しい人でも、触ったら駄目よね。変態じゃないの)


 なぜ、藍紗は縋るようにして、青年に触れようとしていたのか?

 身体の奥底が沸騰しているように熱いような気がして、さりげなく横を向いた。


(何これ? 初めて男の人とまともに話せて逆上せあがっちゃったとか?)


 知恵熱の類だろうか?

 何だか、とても自分が怖くなってしまった。


「大丈夫ですか?」

「平気です。少し自分に失望をしただけで……」

「はあ?」

「…………いえ、すいません。大丈夫です」


 やはり、藍紗は変なのだ。


(……叔父さんたちの言う通りよね)


 藍紗は、普通の人とは違う。

 引き取ってくれた叔父夫婦から、人前ではあまり話さないように、きつく言い含められていた。

 これ以上、余計なことを喋らないように……と、藍紗はそれとなく青年と距離を取った。

 静寂を尊ぶ、祈りの場だからこそ、今のところ、藍紗にお咎めがないが、長くこの青年と一緒にいたら、きっと注意を受けるだろう。

 いかにも身形の良い青年と、繕いだらけの単衣に裙姿の藍紗だ。

 おまけに、手入れもできず、伸び放題の黒髪はくすんでいて、ぼさぼさだ。


(どう見ても、貴族の御子息って感じだものね。従者が近くで護っていないことが不思議なくらい)


 ――しかし。


「あのー……。もしかして……今、私のことを見て、心身に変化があったんじゃないですか?」

「…………はっ?」

「こう……。どきどきしたりとか、その……懐かしいとか。そんな特別な何かは?」


 どういうわけか、青年が美麗な白皙を朱色に染めて、もじもじしながら、話しかけてくる。

 確かに、藍紗は彼を一目見て、懐かしいと感じたり、どきどきもしたけれど……。


(それ言ったら、いけないやつかもしれないわ……)


 乗せられてはいけない。

 初対面の人に、そんな感覚を抱くこと自体、おかしいではないか?

 人攫いも横行しているというし、この貴人、犯罪者かもしれない。


「ああ、ほらっ。私のことを撫でたいとか、触れたいとか……。そういった感情が芽生えませんか?」

「撫でる? 触れる?」


 空恐ろしい。

 そんな刺激の強そうなこと、ひきこもりの藍紗が突然できるはずがないではないか。


「もし、抱きつきたいようでしたら、私としては大歓迎なのですが。如何でしょうか?」

「そんな、とんでもない。私なんて、恐れ多いことですよ」


 藍紗は必死に頭を横に振りながら、どうして自分は変態な彼に対して謙遜しているのか、分からなくなっていた。


「と、とにかく、私……貴方のことは何も知りませんので……これで失礼します」


 目線を下げた藍紗は、ほんの少し進んだ列を追って、ゆっくりと歩きだす。

 ……が。

 突然、藍紗はその場から身動きが取れなくなってしまった。


「へっ?」


 無心に前に進もうとしていた藍紗は、謎の引力にひっくり返りそうになってしまった。


「どうして!?」


 金縛りのようだった。

 必死にもがいているのに、藍紗は指一つ動かすことができない。


(この人、もしかして術師なの?)


 神々や自然物の力を具現化して、操ることのできる能力者。

 四百年前、天帝の力によって、妖異の数自体は激減したものの、国境沿いでは、いまだに暴れて、人が襲われているのだ。

 その妖異を狩る者が国家公認の術師たち。

 大切な従弟・蒼雪そうせつが通っている学校も、学術分野の名門校でありながら、国家の術師養成機関でもあった。

 しかし、術師の使う術は、現実社会においては有り得ない力であり、厳しい規則が設けられているはずだ。

 

(生身の人間に術は掛けてはいけないと、定められているって、蒼雪が話していたよね?)


 ……この状況、犯罪ではないか?

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