第8話
「さっき見たが、剣の振り方が雑だった。上半身も一緒に振られている。まずは足腰から鍛えろ。でなければ、実践ですぐ死ぬぞ」
「は、はいっ」
適当な岩に腰を掛け、只人族の姫君に剣の振り方について、というよりも必要最低限のことを教える。
姫君は素直に私の言葉に頷き、体の鍛え方などを真剣な表情で聞いていた。
いきなり降って来た私に驚いた姫君だったが、私が邪魔をしに来た訳ではないと分かると安堵の息を吐き、私に教えを乞いて来たのだ。
掌にマメもできていないことから全く触ったことがなかったのだろう。それでよく一人で訓練しようと思ったな。
「あ、そう言えば私はあなたの名前を聞いていない」
ふと、姫君の名前を聞いていないことを思い出し、口にする。
すると、姫君も名乗っていないことを思い出し、急ぎ佇まいを直した。
「!!? そ、そうでした。私ったら恩人に何てことを——では、改めまして、我が国の戦士団を救っていただき感謝いたします。私、ニクス国第一王女ラウルスティア・ニクス・リベロと申します。以後、お見知りおきを」
私の前に立ち、姫君は頭を下げる。
「私も再度名乗ろう。森人族ヴィネディクティアの娘、
それに対して私も森人族の礼儀作法で頭を下げる。
只人族の姫君——ラウルスティアは蒼級という言葉を聞いて目を見開いた。
「蒼級……伝説とまで言われている階級。人が到達することなどあったのですね。フォルテムからかなりの実力者だと聞いていましたが、そこまでとは思いませんでした」
「フォルテムから私のことを聞いていたのか?」
「はい、ハルピュイアの女王種から皆を救ってくれたと……階級については教えて貰えませんでしたけど」
「それはそうだ。フォルテムにも、他の者たちにも言っていないことだからな」
「あら、それでは私だけが知っているのでしょうか。特別感があって嬉しいですっ」
そう口にしてラウルスティアは柔らかな笑顔を向けて来る。
最初に出会った時とは大違いだ。あんなに警戒されていたのに。
「そのような笑顔を無得られるとは意外だ。私はあなたから嫌われていると思っていたが」
「あ、あれは……忘れて下さいッ。もう気にしていませんから」
私は気にしていなかったが、ラウルスティアは邪険にしてしまったことを気にしているようだ。
私に対して嫌悪感を抱いていないというのなら都合が良い。そろそろ本題に入らせて貰おうかな。
「姫君、何故あなたは剣の修業をしようとするんだ? 見た所、日課と言う訳でもない。何の会議をしているかは知らないが、そちらより優先するものなのか?」
「うっ……」
罰が悪そうにラウルスティアは視線を逸らす。
悪いことをしている自覚はあるようだ。
それなら尚分からない。戦いとは無縁の生活を送って来た姫君が何故今更戦おうとしているのか。それほど戦況は危ういのだろうか。だとしても、私ならこのような人物を戦場に立たせはしないが。
「責めているのではない。純粋な興味なのだ。答えなくても良いぞ」
「そうですか。なら……」
暫くラウルスティアは両手の指を絡ませては放し、絡ませては放しを繰り返した後、意を決したのか、私の隣へと腰を下ろして来た。
距離が近いな。
「あの、自分がいる意味を考えたことがありますか?」
……ほう。
何でそんなことを尋ねて来たのだろうか。
自分がいる意味、自分なんかがここにいても何の役にも立たないと思っているからそんなことが出てきたからかな?
「何故、そんなことを?」
「……私は現在、我が国ニクスの王位第一後継者なのです。ですが、本来なら今の地位は兄様、そして弟のいずれかがいるはずだった」
「だった。というのは、つまり……」
「はい、魔人族が攻めて来た際、兄は戦場で、弟は逃げ出す際に命を落としました。今私のいる地位は本来なら有り得ないのです。兄や弟、どちらかが生きていれば、私は他国との繋がりを強めるための道具として使われるだけのはずだった」
静かにラウルスティアの話に耳を傾ける。
「これまでは国の政には関わらせて貰えなかった。だけど、今になって突然王位継承者になって、各国や有力貴族との交渉をやらなきゃいけなくなった」
「それは大変だな」
「そんなもんじゃありませんよ! これまで経験もなかったのに突然やらせるなんて、上手く行くはずがありません。それなのに、あの人たちは……」
ラウルスティアが唇を噛み、膝の上で握り拳を作る。
「最初は頑張っていたんです。でも、失敗が続くにつれて、仕事は生き残った大臣が行うようになりました。今では私の仕事は大臣の言葉に頷くだけ。例えそれが望まぬことであっても……」
「望まぬこと?」
「支援をして貰うための条件、領地の割譲、金、或いは——国そのものの要求を叶えることです」
「そんなことができるのか。あなたは王族だろう。それに国を要求するなど」
「できますよ。私を娶れば夫が余所者であろうと王になります。この国では代々国王は男でしたから」
「反対はしないのか?」
純粋な疑問を投げかける。
そんなに嫌ならば拒めばいい。そう思ったから。
「それはできません。そんなことをすれば民に迷惑を掛けます。兄も、弟もそして、父も母も、民は宝だと言っていました。民を守り、民の声に耳を傾け、民の暮らしを良くすることを第一に考えることこそが良き王の在り方なのだと。私の判断が間違っている以上、反対はできません」
「…………」
「笑っちゃいますよね。王位継承権を持っていると言っても私はお飾り。今後の方針も、将来も私が決められること何もないんです。本当に、私がいる意味なんて何もない」
「だから、会議から逃げ出したのか?」
こくりと静かにラウルスティアは頷く。
なるほど、ラウルスティアの言うことも分かる。
自分がいなくとも方針が決まる所にずっといる。そんなの私も嫌だ。苦しくなる。逃げ出すのも無理はない。
「剣の修業をしようと考えたのは、意味を見出すためか?」
「……はい、戦えるようになれば、自分にも意味ができると思ったので。フォルテムに絶対に戦場には連れて行かないと言われてしまいましたけど」
「あぁ、それはフォルテムが正しいな」
「え!?」
私の言葉にラウルスティアが驚いた声を上げる。
意外そうな顔をしているが、私が剣を教えたのは戦場に行かせるためではない。そもそもラウルスティアが戦場に行けば呆気なく死ぬだろう。
経験も体力も必要なものが何もかも足りていない。それは一朝一夕で手に入るものではなく、幾度の死線と辛い訓練を重ねて手に入るものだ。
「剣の持ち方とか、体の鍛え方を教えてくれたのに」
「それは最低限の基礎知識を持っていないと危ないと判断したからだ」
私は別にラウルスティアが剣の修業をするのは自由だと思う。
だけど戦場に行こうとするのは別だ。今の実力では死ぬことが見えている。
「……やっぱり、私は何処にいても邪険にされるんですね。本当に無意味な存在」
「そうは言っていないだろう。あなたのやることではないと思っただけだ」
「それじゃあ、私はどうすれば良いのですかッ」
ラウルスティアの口調が強くなる。
少し考えた後、私は口を開いた。
「放り出して逃げたらどうだ?」
「え?」
私の言葉にラウルスティアが目を見開く。
そんなこと考えたこともなかった様子だ。
「そ、そんなのいけませんッ私がいなければ、誰が民を守るのですか!?」
「国の方針は大臣が決め、戦いはフォルテムが行うのだろう? あなたはここではやることはないじゃないか。なら、この国から出て自由になった方が自分のいる意味とやらが見つかるかもしれないぞ」
「そんな無責任なッ」
「別に良いだろう。誰かが頑張ってくれるさ。それともあなたがいなくなれば、この国は大事なものを失うのか?」
いる意味がないのならば、ここから出て行けばいい。問題が起きても、それはラウルスティアには関係のないはずだ。だって、彼女はここにいる意味がないのだから。
ラウルスティアが本当にいる意味がないのならば、いなくなっても問題など起こるはずがない。起きたとしても、それは彼女とは関係のない要因であるはずだ。
「それは……私がいなくなったら、他国や貴族との取り決めに影響が……」
「だとしたら、それがあなたのいる意味になるな」
分かっているじゃないかと笑みを向ける。
そこにいるだけで相手への保証となる。それがどれだけのことなのか。政に疎い私でも分かる。
彼女の口にする言葉は重く、数百、或いは数千の只人を動かすことになるかもしれないのだ。普通の只人ではこうもいかない。
「…………」
「いる意味、あったじゃないか。あなたがいるだけで、象徴になるだけで守られるものがある。剣を振るわなきゃ守れない私とは異質の強さだ」
「リボルヴィア殿……」
慰めの言葉、という訳ではない。これは事実だ。
その場にいずとも誰かを守れるラウルスティアと自分の足で駆けていくしか守ることができない私。
どちらが強いのかハッキリはしない。だが、多くを守れるのはラウルスティアの方だろう。
もし、そんな力を持った人が私の味方になってくれていたら——。
あの時、都市を代表していた者が怠惰な人物ではなく、ちゃんとした人であったら——。
そうしたら、母様と一緒に暮らしていた未来もあったかもしれない。そう思ったからこその言葉だった。
「それでも好き勝手されるのが嫌だと言うなら、そこはもう自分のいる意味を逆手に取って大臣共を脅すしかないな。協力しても良いぞ?」
ニヤリ、と薄い笑みをラウルスティアに向ける。
無論、冗談である。
「兄や弟が生きていればと言ったが、今生きているのはあなたしかいない。強気に言っても良いと思うぞ姫君」
その価値をどう使うかはラウルスティア次第。
風が冷たくなってきた。そろそろジョクラトルも天幕から離れたことだろう。戻って寝よう。
立ち上がり、上へと戻るために歩き出す。
その後ろで真剣な表情をして考えるラウルスティアに私は気付くことができなかった。
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