第2話
「邪魔すんで!」
何となく五月蝿い気配があったが、ラファエルが完全に意識を覚ましたのは、バタン! と無遠慮に扉が開く音が響いた時だった。
「……ん……」
ラファエルは目を覚まし、首だけ動かし、棚の上に置かれている美麗な時計を見遣った。
途端に、はぁ~~~~~~~~~~~~っと深い溜息が出た。
「……ちょっとイアン君……いま、何時だと思ってんの……六時になったばっかりなんだけど……この前より訪ねて来る時間早いってどういうこと……俺言ったよね? 昼過ぎまでは起きねえって……。お前に優雅さは求めてないけど常識範囲の中で訪ねて来るくらい……」
「ラファ! お前に聞きたいことあんねん!」
イアンはラファエルの文句など聞く気は無いようで、すぐに寝台の側に寄って来る。
「だからお昼以降にしてよ……そしたらどんだけでも答えてあげるからさ……」
「お前、というよりフランスやけど。どんくらいの認識でスペインと神聖ローマ帝国を捉えとる?」
「あぁ……?」
ラファエルはさすがに、裸の上半身を起こした。目元に掛かって来る自分の前髪を、鬱陶しそうに指で掻き上げる。
普段二人は、難しい真面目な軍や政治の話は一切したことがない。
イアンがこんな時間に現われたなら、絶対嫌がらせで遊んでいるのだろうが、それにしては妙な質問だったのだ。
「朝から何の話……?」
「こんな時間に訪ねてきたことはあとで謝ったるわ。ただ時間が無いねん。さっさと簡潔に答えてくれ」
「ごめん……質問全然聞いてなかった……スペインと神聖ローマ帝国がなんだって……?」
イアンの妙な緊張感は伝わったらしく、ラファエルは何とか、答えようとはしているらしい。
「例えばな、俺のとこはヴェネトに集まる三国の中で、他の二国を出し抜いて、王妃にスペインが気に入られて、信頼されるようにしてくれって王には命じられてんねん。フェルディナントの奴は友達だし、ええ奴やから、協力はしてやりたい。あいつはもう、エルスタルを失っとるし、神聖ローマ帝国まで消滅させられたら絶望して死によるやろ。だから神聖ローマ帝国かて、あいつがいる以上は、そんな悪い印象受けて潰されるようにはなってほしくはないねんけど、でも俺もスペインの王子である以上、スペインが第一や。
フェルディナントに対しても、その範囲でなら協力はしてやりたいが、フランスや神聖ローマ帝国が、スペインより王妃に庇護を受けるなら、どっかで仕掛けて、蹴落としてやらなあかんって俺は考えるかもしれへん。つまりそういうことや。
お前もフランス王からは、ヴェネトに集う三国の中で、どうあの王妃の信頼を勝ち取っていくかとか、命じられたものがあるやろ」
「……命じられたっていうか……、……君たちがここにいるなら、俺は君たちより王妃に気に入られる必要性はあるよね?」
「その為にどんな手でも使え、って言われとるか?」
ラファエルは眉を寄せた。ここは何とか頑張って気の利いた冗談でも言いたかったのだが、本当に寝起きで頭が回らなかったのと、イアンが鬱陶しいほど真剣な緑の目で自分を見て来ているので、冗談を言う気も失せてしまった。
ラファエルは深く溜息をつくと、立ち上がり、側に置かれていた下着を履き、ズボンをはいた。
「……フランス王からは本当に特に何も命令は受けてないよ。ヴェネト国王が海上の賊を取り締まってほしいと言ったことに対して、俺たちは海軍を派遣した。そこに、スペインと神聖ローマ帝国も居合わせたってこと。お前らが来なくても俺たちは来た。つまり、お前らがいて、俺たちの目障りになるなら、こっちも叩き潰さなきゃいけなくなる」
そばの水差しを使って、水盤に水を注ぐと、顔を洗った。
衝立に掛けられていた真新しい布で、顔と、少し濡れた首周りを拭き、ラファエルはシャツを手にすると、袖を通す。
「だけど俺はこの通り、すでに王妃セルピナには好かれてる。フランス艦隊も予定通り、夏至祭終了後に海軍演習許可が出て、周辺域の巡回公務も始まる。フランス的には今もお前たちは目障りだが、ラファエル様的には今、少しもお前らは脅威じゃない。だから敢えてこっちから慌てて仕掛ける理由なんか、すこーしも無いわけ。分かる?」
優しい笑みと声でイアンに言ってやると、スペイン将校は額を押さえて、目を閉じた。
「…………それは……確かにそうやな……」
ラファエルは青い瞳を瞬かせた。
「おや。どうしたの。アラゴン家一聞き分けの悪いイアン君がやけにあっさり頷いちゃって」
「それは……お前のその考えは、フランス海軍全体の総意と見てええんやな?」
「ええと思うけど。お前……そんなことを朝六時に聞きに来たわけ?」
「……」
イアンはもう一度ラファエルの顔を睨み上げるようにしたが、きょとんとした顔で相手が返して来るのを見ると、すぐに目を伏せた。
「……そうか。ならええねん。邪魔したわ。悪かったな……」
「え? もう終わり? 殴り合いは?」
「そんなこと一回もお前したことないやろ……」
イアンは疲れた溜め息で立ち上がると、本当に背を向け歩き出した。
「折角だから朝ごはん食べてく? うちのシェフ優秀だからこんな時間に客人来ても対応できるよ」
「……いや、ええわ……これからまだ行かなあかんとこあるし」
「よく分かんなかったけど、フランスがスペインを貶めるためになんか仕掛けてないかってことを聞きたかったわけ?」
「確かめる必要があってな」
「なんかあったの?」
「いや。ええねん。なんや、今日お前一人か。珍しいな女連れ込んでないの」
ラファエルは「大きなお世話」とソファに腰掛ける。
「ちょっとね。今は気が乗らないっていうか……」
「例の人、まだ見つからへんのか?」
「居そうなとこは分かったんだけど、まだ会えてない」
「……そうか。会えたら、俺にも紹介してくれや。お前の女をうっかり口説いたりしたくないねん」
「ヤダ。会ったらお前絶対好きになるもん」
「あのなあ」
イアンが呆れた声を出してから、すぐわしわしと癖のある自分の髪を大きく掻き回した。
「人妻には手ェ出さんわ! ボケ! 俺はどこぞのフランス野郎と違ってそのくらいの節操はあるねん!」
じゃーな! とイアンは怒って帰って行った。
「相変わらず元気なやつ……」
一体何しに来たんだよ。
ラファエルは小さく息をつき、立ち上がると、窓辺に寄って窓を開いた。
涼しい風が吹き込んで来る。
ヴェネツィアの城下町の向こうに、海が見える。
窓ガラスに頭を預け、彼は目を閉じた。
「……早く会いたいよ」
ジィナイース。
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