海に沈むジグラート⑩

七海ポルカ

第1話

 拡張された港に、船が入って来る。

「おーし。あんだけ悠々と入れれば、心配ないわな」

 港の高台からそれを見守っていたイアンは満足そうに頷く。

「これで有事の際はフランスに遅れを取って出て行くことにならんでええやろ。よっし。ひとまず安心したわ。すまんかったな、到着して早々拡張工事なんぞやらせてもうて。

ほな今日一日は完全に休みにして、寝たい奴は寝て祭り見たい奴は見て、まったりしたい奴はまったりして……みんな好きに過ごしてくれ伝えてくれるか? 後片付けと残りの北の方の工事は明日以降でええわ。丁度【夏至祭】最終日やし、そうしよ。みんなに伝えてや。明日は昼くらいに集まってくれればええから、今日はゆっくりしてってな」

「了解しました」

「予定より早く済んで良かったですね」

「ああ。こっちで雇ったヴェネトの連中もよぉ働いてくれたわ。さすが干潟にこれだけの水の都を築き上げた奴らだけあって、工事は手慣れとるなあ」

 大きく伸びをする。

「今日で徹夜とおさらばやな」

 ヴェネトに来てから夜じゅう工事を続け、明け方に騎士館に戻り、昼まで寝て、また夜じゅう……という繰り返しの生活を続けていた為、ようやく一度落ち着けそうだ。

(まあ……かといってどうせヴェネトや。落ち着いて暮らして下さい言われても俺は無理やったろうから、最初は寝る暇もないくらい多忙で、よかったかもな。余計なこと考えんで済んだわ)

 少しくらいゆっくりしたい気もするが、ゆっくりすると落ち込みそうな気もする。

 本来のんびりするのが好きなイアンからすると、信じられないような心境だが、仕方なかった。少しもいたい場所では無い所にいるのだから、そこで時間が有り余っても、何をすればいいのかは分からなくなる。

(とはいえいつまでも子供みたいに『こんなとこ来たくなかった』なんて拗ねててもしょーもないもんな。いずれにせよ、何か仕事をして、戦功を立てて、あの王妃に気に入られなきゃ、スペインはいつまで経ってもあの忌々しい古代兵器の射程からは外れへん。俺はスペインを守るためにここにおんねや。ヴェネトの為になんかすることが、必ずそれに繋がる)

 そう思わんと、やってられんわな。

 今日も厚い霧に覆われた【シビュラの塔】を見遣ってから、もう一度大きな伸びをした。

「ふあ~~~~~……さすがに眠いからいっぺん寝て来るわ……」

 副官たちに見送られながら歩き出した矢先だった。

「イアン将軍!」

 どこからか、別の騎士が数人駆けて来た。振り返って、イアンは半眼になった。

「なんやねんお前ら真っ青な顔して……言っとくけどなあ、今すぐ対処出来へんような大問題持って来てても今絶対口に出さんといてや? 俺今根性でカッコ良く総指揮官っぽく歩いとるけどホンマは今すぐここに横になって眠たいくらい……」

「も、申し訳ありません……、……その……、駐屯地の騎士館の地下で捕らえていた三人の警邏隊が……」

「あー。あの三バカがどうかしたか? おめでたい夏至祭やから街に帰らせえって騒いどるって? あかん。あんなもん戻したって誰も得せぇへん! やかましいわボケってぶち切れたったらええねん」


「…………死にました」


 鬱陶しそうに癖のある髪を掻き回していたイアンの手が止まる。

「……何やて?」


◇   ◇   ◇


 駐屯地の騎士館の地下には、牢屋がある。だが、この地に来たばかりのスペイン海軍にとっては、そこはまだ使う必要の少しもない、冗談のような場所だった。彼らも規律を破った自軍の兵を牢に入れたりはするが、イアンの性格上、一発拳でぶん殴って「部屋で反省しとけ!」で終わらせることが多い。牢に入れて、詳しく時間をかけて尋問するというやり方を、彼はあまり好んでいなかった。

 それに彼らは今、この地に来たばかりなので、まだ士気は十分に高い。まだ規律を破るような者は表われていなかったので、たまたま街で引き取った暴力警邏隊三人を、「試しに数日牢に入っとけや。ネズミや変な虫が出たら数数えとけ」と【夏至祭】の最中、二度と暴力を起こさせない為に、入れといただけだったのである。

 ちなみに「なんであんなことした」なんて聞いても大した理由があったとは思えない連中だし、懲罰は、捕まえる時にイアンが三人すべての顔面の何らかの骨を砕いたので、「これ以上はええわ。俺の怖さと強さはもう身に染みたやろ」と言って、何も与えていない。手当をしてやり、食事も三食与えて、何も問題なく拘留していたわけである。

 それが……。

「た、確かに地下には、見張りは置いていませんでしたが、入り口は騎士館の中にあります。常に誰かしらいますし……、そんなに深くもない。騒いだらすぐ分かったはずです」

「誰かがうちの騎士に化けて、地下に降りて殺したとしか考えられませんが、でも、」

「なんでそんな面倒なことを、やろ?」

 イアンは無残に殺された三人を調べていた。

 彼は戦場で数多の戦功を上げている。数多いる上の兄弟の末の王子なので、戦場で戦功をあげることでしか、王に自分を認めてもらえる道はないと、少年時代から剣を学び、若くして軍人になった。おかげで戦功は、末の王子だが兄弟の中で随一である。

 父王の計らいで、世継ぎに近い王子たちには、重要な戦での総指揮官の役目などが与えられ、それをこなし、彼らの戦歴も華々しくはあったが、実戦で、どんな戦場でも行き、最大限の戦功をあげてくると言えば、アラゴン家ではイアン・エルスバトだった。

 父王など、最近は苦笑して「そんなに戦功立ててもお前に王位はやれんぞ」と頭をわしわし撫でて来るし、んなこと分かっとるわい王位が欲しくて戦功なんぞ立ててへん! とイアンも笑い飛ばしている。

 そんな彼の率いる一軍も、当然勇猛果敢で知られていた。

 しかし無残な戦場の光景に慣れているはずの彼らでさえ、地下牢の惨状には顔を顰めていた。

「……一体何者がこんなことを」

 死体が切り刻まれて、血の海だ。

「……。昨夜までは生きとったんやな?」

「はい。私が、食事を持って行き、食事するのを見届け、食器などを回収し、上に上がりました。その時は何の問題もなく、生きていました……」

「じゃあ、まあ……夜中に殺されおったってことやな」

 しかし今は港の増設作業中なので、夜中も駐屯地は寝静まってはいない。交代制で人は起きていたし、他に任務も無いため、何となく駐屯地の外でも火が焚かれた側に騎士たちは集まって、話していたりなんなりをしていた。人気はあるのだ。

「ですが、三人別々の牢に入ってるのに、殺すなら一人でも、」

「三人全員殺そう思たんやろ」

「では私怨ですか?」

「だろうな。この殺し方をみれば、ただ殺せばええって考え方の奴やないわ」

「ヴェネトの警邏隊は、かなり市民に恨まれていたようですからね」

「アホ。そうだとしても、単なる善良な市民にこんな殺し方が出来るか。スペイン海軍の駐屯地に堂々と潜入し、騎士館の中にすら入り、地下牢の場所も分かっていて、明かりもない暗闇の中で別々の牢に入った三人を上に気付かれもせず殺してる。相当手慣れとる奴や」

「ヴェネトの人間……ですか?」

「……どうやろな……スペイン海軍をこっから追い出したい連中、って考えると、そうとも限らへんかもしれんが」

「何故こいつらは騒がなかったんです? 最初の一人はともかく、他の二人は物音に気付いたろうに」

「そんくらい瞬く間に瞬殺されたんや」

 イアンは肉片の中から、何かを拾い上げた。

「……それは?」

 人間の、どの部分かももはや分からないが、突き刺さっていたのを抜いたのである。

「何に見える?」

 騎士たちが近づいて覗き込んだ。

「なにか……中途半端な長さの細い金属の棒に見えますが……なんでしょう? 見慣れないものですが」

「まあ、一番近い表現は『矢』やろな。突き刺さっとったのは人間の首。喉元や。輪切りになっとるから分かりにくいだろうけど」

 ざわ、と騎士たちが険しい顔をした。

「後ろまで貫通しとった。これが瞬殺の武器。他の二体のどこかにも落ちてるはずだから、回収してくれるか。俺のところに持って来てくれ。あと、徹夜明けに嫌な仕事頼むが、死体を片付けて早急にここ清めてくれるか。こんな暑い夏場で、駐屯地に妙な疫病でも流行ったらとんでもない騒ぎになる」

「ハッ! 今すぐに!」

 すぐに騎士たちが動き出す。

 イアンは上に上がった。

 そこでも、騎士たちが報せを聞いて、不安そうな顔をして待っていた。

「とにかく今は、この話は外に漏らすな。俺は今から、神聖ローマ帝国軍のフェルディナントに会って来る。あいつらは街の警備で、例の仮面の連続殺人事件の詳細を知っとる。

それとこれが繋がっとるかは分からんが、とにかく話を聞いてくる。騎士館の中でだけ、何か変な奴を見たり、物音聞いたりした奴がいないか聞いといてくれ。外では聞くな。増設作業で来とる、ヴェネトの連中もうろついてる。スペイン駐屯地で警邏隊の惨殺死体が見つかったなんて聞いたら――あの王妃が俺らを本国に追い返したいと思ってる奴なら、これが理由に出来る」

 騎士たちの顔に緊張が走った。自分たちが一夜にして、いかに危うい立場に追いやられたか理解したのだ。

「ええな。くれぐれも慎重に頼むぞ」

 騎士たちがザッ、と敬礼で応えた。すでに、彼らは戦地にいるような顔に戻っていた。


 神聖ローマ帝国の駐屯地に行こうとして、イアンは行き先を変えた。

 賑やかな夏至祭の後片付けに、市民がすでに通りを清めていた。

 陰惨な景色を見たばかりだからか、朝日の中、美しく輝く水に、ホッとすらする。

 だが、いつまでも和んではいられない。

 これは非常にまずい状況だった。



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