表裏
東京卑弥呼
第1話 運命
闇の中のステージ。壇上にナース服に身をまとっている七人の女性がいる。その七人の女性が並ぶ右隅に西村幸恵が立っている。来年公開予定の映画「ナイチンゲールの翼」のヒロインオーディションの最終審査に臨んでいた。そして今、ドラムロールが鳴り響く中、光の輪が最終審査に残っている七人の女性の間を不規則に踊るように動いている。幸恵は運命の瞬間を待った。幸恵は、お腹のあたりで両手を握り締め、目を瞑り心の中で呟いた。
〈とうとうここまで来れた。……逃したくない。このチャンス、絶対逃したくない〉
ドラムロールが鳴り終わると同時に司会者がヒロイン役が書かれている封筒の封を開けた。そして読み上げた。
「ナイチンゲールの翼、ヒロイン役は、加美谷岬さんです」
加美谷岬、一人だけ光の輪に照らされた。岬は驚いた顔をして、口元を両手で覆った。会場は拍手喝采。壇上にいる他の女性たちも拍手をしているが、幸恵だけは、拍手できず、唇を噛みしめ天を仰いだ。
〈あ~またか……。どうして、どうしていつもこうなんだろう〉
幸恵は会場を後にした。帰りの電車に乗り、ドアに身を預けながら窓から夜景をボーと眺めた。
〈何度目だろう。また同じ光景を見ている。これってデジャブーって言うのかな……〉
暗闇の中にマンションの部屋の灯りがチラホラ見える。ふとその灯りの中に母親らしき人と幼子を見た。幸恵はそれを見て過去に想いを馳せた。
幼稚園のお遊戯。あまり見栄えのしないみんなと違ったアヒルの被り物をしている女子園児と、同じ姿で見栄えのいいアヒルのカッコをしている複数の女子園児たち。その中に幸恵もいた。そのお遊戯を園児の両親が見ていた。見栄えのしないアヒルの被り物をした女子園児が大人の立派な白鳥役の男子園児に言った。
「どうして私はみんなと違うの?」
「君はアヒルじゃないんだよ。君は大きくなったら、僕たちと同じ白鳥になるんだ」
「白鳥になるの!」
「そう。だからみんなと違うんだよ」
見栄えのしないアヒルの被り物をした女子園児は目を輝かせた。幸恵はその姿を子供ながらに羨ましそうに眺めていた。
幼稚園から帰ってきた幸恵は台所で夕飯の支度をしている母のスカートを掴んでいた。
母は幸恵を見ることなく話しかけた。
「幸ちゃんがんばったから、今夜は幸ちゃんの好きな、かぼちゃのいとこ煮よ」
「ママ。今度はきっとヒロインになるからね!」
「別にヒロインじゃなくてもいいわ。脇役でも幸ちゃんが一番可愛かった」
幸恵は首を振り、半べそをかきながら、
「いや! 絶対、ヒロインになる! ママ待ってて」
「はいはい。幸ちゃんがヒロインになるの。ママ楽しみにしてるわ」
幸恵は、悔しさで今にも泣き出しそうな顔をしていた。
幸恵は我に返り、電車の窓から見える夜景を眺めながら苦笑した。
〈全くオーディション、通らないな……。せめて、一度でいい。一度でいいからチャンスが欲しい〉
二十八歳の幸恵は焦っていた。ドラマや映画で活躍するにはいい加減、デビューぐらいしておかないといけない。いつまでもエキストラのままでは主演なんて夢のまた夢。もう妄想。それだけに今回、初めて最終審査に残っただけにヒロイン役を手に入れたかった。落選は毎度辛いものだが、いつになくこの落選は辛かった。自分の夢が結局、またいつものように儚く水泡に帰したことが。
幸恵が所属する芸能事務所は、まだ主演俳優を出したことがない弱小事務所。その事務所が今、開業以来、初めての大賑わいとなっていた。十七歳の朝霧繭が大手飲料水のCMに抜擢され、その大手飲料水がスポンサーになりテレビドラマの主演が決まったのだ。事務所の至る所に朝霧繭の飲料水のポスターとテレビドラマ出演決定のポスターが貼ってある。社員もどこか活気に満ちていて電話で話す声もいつになく大きく元気がいい。その声は会議室まで聞こえてくる。会議室といってもテーブルと六人掛けの机が置いてある小さなものだ。その会議室に幸恵と幸恵の相談、ほとんど愚痴だが、その愚痴を聞いてくれる同い年の森田啓太がいる。幸恵は椅子に座り、啓太は立っていた。
啓太は右手に手帳を持って、幸恵のオーディション落選とその愚痴を一通り聞いてから、一息入れてから一言言った。
「幸ちゃん。俺、繭の担当になったから、これからは中々相談に乗れなくなるかも」
「そうね。そりゃそうよね。繭ちゃんはうちの開業以来のスターだからね。啓ちゃんが繭ちゃんのチーフマネージャーになるのは当然だよね」
啓太が何か言おうとするも幸恵がそれを阻むように言った。
「そうよね。よくてオーディション最終審査止まりの私とは大違い。私の相手している暇なんかないことぐらいわかってます」と言って幸恵は頷いた。
「ごめん」
幸恵はため息をついて、
「あ~。でも、ほんとイヤになる。オーディションは落ちっぱなしだし。今では端役さえお声もかからないし……」
「繭のツテで良かったら掛け合ってみようか?」
「よしてよ。私にだってプライドはまだある」
「ごめん」
幸恵は、苦笑いしながら、
「なんか八方ふさがりっていうか、閉塞感っていうのかなぁ。どうしてこんなに報われないんだろう。私の人生、何か疫病神にでも取り憑かれてるのかな」
「なら、お払いしてみる」
「毎年やってる」
「そう……」
「ああ、もうこうなったらテレビなんかで見る、何か良く当たる占い師にでも占ってもらいたい気分よ」
「良く当たる占い師か……」
「なんか凄い占い師とツテなんかないの?」
「凄い占い師? そうだな……。そういえば俺の友達に政治家の秘書がいるんだけど、そいつから永田町に政治家にご贔屓にされている占い師がいるっていうのは聞いたことがある」
「政治家のご贔屓? なんか胡散臭いね」
「確かに。でも、アメリカ大統領だったレーガンの奥さんは、政治のことを占い師に聞いていたっていう話は聞いたことあるし、まぁ、単なるゴシップかもしれないけど」
「……」
「でも、その政治家がご贔屓にしている永田町の占い師には、政界財界問わず、日本のトップにいるような人がわざわざ大金払って占いにくるらしいよ」
「ほんと!?」
「まぁ、友達が秘書している政治家も、選挙前はよく占ってもらうことがあるって言ってたから」
「じゃぁ、その占い師に私のこと占ってもらうこと、出来ないかな」
「えっ、占って欲しいの?」
「見てほしいのよ! どうして自分の努力が一向に報われず、落ちてばっかりいるのか。なんか納得できる確かな理由が知りたいの。それなりの人にハッキリ言って欲しいのよ」
幸恵は真剣な眼差しで啓太を見た。
啓太は、その幸恵の眼差しが本気であることを感じ、しばし考え込んだ。
「啓ちゃん! お願い! なんかそうしたら色々けじめがつけられるようなきがするのよ! 色々心の整理がつけられそうな気がするの」
啓太は幸恵の眼差しを直視して、
「わかった。幸ちゃんは俺にとって初めてスカウトした人だし、俺、友人に掛け合ってみるよ」
「ほんと!」
「それで、幸ちゃんの努力が報われない理由がわかるのなら。それで気が済むのなら」
「ありがと!」
「でも、辛辣なこと言われるかもしれないよ。それでもいいの?」
「構わない。それで自分の不運の理由がわかるのなら」
二日後、幸恵は啓太に事務所に呼び出された。いつもの会議室に連れて行かれ、啓太は上機嫌に話し始めた。
「幸ちゃん、会えるかもしれないよ!」
「会えるって、政界を動かす占い師に!?」
「俺の友達がいうには、眉唾という喫茶店の店長の魔貝という男に会って、そいつから聞いてくれだってさ」
「眉唾?」
「そう、雰囲気は純喫茶なんだけど、なんか胡散臭いことに造詣が深いらしい。その店長の魔貝亨という男が色々知ってるって。この紙にその魔貝がいる喫茶店眉唾の住所が書いてあるから」
啓太は幸恵にメモ用紙を幸恵に渡した。
「どう、行く? 俺は繭の方が忙しくて一緒にはいけないけど」
「行くわ! そんな政界お抱えの占い師に見てもらえるなんて、普通、あり得ないし、それにその人が何言うのか、ぜひ聞いてみたいわ」
啓太は笑った。
喫茶店眉唾は、雑居ビルの地下にある。その地下へ下りると、別段、変わったところはない。地下の明かりはオレンジっぽいどこか温かみのある電球色の中に喫茶眉唾があった。眉唾の外観も飾り気はなく、質素でシックな雰囲気を漂わせている。至って普通の純喫茶のような店構えをしていた。幸恵は訝しげな気持ちをもって眉唾のドアを開けた。幸恵は店内を見渡しながら入った。店内の照明は雑居ビルの地下の明かりとは打って変わって昼白色、自然の光の明るさでどこも怪しい感じはしない。新聞を読んだり、読書をしたりするのに丁度いい。調度品はアンティークで揃えてあり、とても落ち着けるいい雰囲気を醸し出している。とても雑居ビルから漂う雰囲気とは別物。立地のいい場所に出店すればお客さんが沢山入ってもおかしくない。いや、店名を眉唾などと胡散臭い名前にせず、もっと普通の名前に変えれば、この雰囲気を味わいに集客も期待できるのではないか、と思えるぐらい落ち着きがある。幸恵は少し拍子抜けした。カウンターにいる若いハンサムな男が幸恵を招き入れた。
「いらっしゃいませ」
幸恵は静々と若いハンサムの男の前に座った。
男はメニュー表を幸恵に手渡し、「決まったら行ってください」と言って微笑んだ。幸恵はメニュー表を受け取り、開く前に若い男に話しかけた。
「あのぉ、こちらに魔貝亨さんはいらっしゃいますか?」
若い男は幸恵を見て、
「私が魔貝亨ですが何か?」
幸恵は、驚いた。もっと胡散臭い男が魔貝亨と勝手に想像していたのに、爽やかなイケメン男性とは全く思っていなかった。
「あなたが魔貝亨さんですか!」
「はい」
「あの、私、ここで魔貝亨さんに会えば、政界お抱えの占い師に会えるって聞いて来たのですが」
魔貝は笑い出した。
「ああ、はいはい。伺ってます。でも、会えるかどうかはわかりませんよ」
「そうなんですか?」
「私は、ただ、その占い師と連絡が取れるだけですから。それでも構いませんか?」
「構いません。ダメもとで結構ですから宜しくお願いします」
魔貝は幸恵を見た。幸恵の表情から、会いたいという本気度が伺えた。
「わかりました。先方と連絡とってみます。あの方も色々忙しい方ですから会えるかどうかわかりませんが追って連絡します。この紙に連絡先の電話番号を書いてくれませんか?」
「わかりました」
魔貝はメモ帳を幸恵に差し出す。幸恵は自分の携帯電話番号と名前をメモ帳に書いた。魔貝はメモ帳を幸恵から受け取った。
「どうです。ブラジル産の良い珈琲豆が手に入りました。珈琲豆もワインの葡萄と同じで、その年の気候によって出来不出来があるんですよ。今年は良品が多く、特に酸味がいい。いかがです?」
「じゃぁ、せっかく来たのだから、要だけ済ませて帰るのは失礼なので、その美味しいコーヒーを頂きます」
「ありがとうございます」
魔貝は、豆を布袋から出し焙煎し始めた。
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