第3話

 見上げる天の先は見えない。

 いつも霧に包まれている。

 巨大な黄金の扉。

 巨大な扉のほんの下の端に触れている感じだ。

 びくともせず、こんなに風は夏の風で生暖かいのに、凍り付いているみたいに黄金は冷え切っていた。

 これを動かすのに、どれくらいの労力と人数が必要なのか、分からない。

 しかもそんなものを使わず、これが開いたことがあるなどと、俄かには信じ難かった。

 音がした。

 暗い湿地帯の方を見る。

 ここは山間にあり、周囲は湿地帯と山と、森に囲まれているから、いつ来ても生き物の気配がするのだ。

 鳥のさえずりや、木々の葉が自然に揺れる音じゃない。

 よく分からない、音がするのだ。

 風の音らしいが、よく分からない。細い所を通り抜けるような、大きな何かにぶつかるような音も聞こえる。

 生きているものの気配が確かにするのだが、……普通と違うのだ。

 カサカサや、ザザザ、という明確に存在を示す音じゃない。

 ざわざわ、するのである。


 ……相変わらずゾッとする所だ。


 それでも、時折足が向いてしまう。

 湿地帯の向こうに、夏至祭に賑わう王都ヴェネツィアが見えた。

 光に焦がれて、帰ろう……と思い歩き出すと、向こうからやって来る姿に気付いた。


「――ロシェル。お前俺を監視しろって言われてんのか」


「またこちらにおられたのですか」

 自分の問いは無視された。

「夜会で皆さんがお待ちですよ」

「……今日は出ない。そういう気分じゃない」

「では、そのようにお伝えしましょう」

 さして気にした様子もなく、参謀ロシェル・グヴェンは言った。

「ここに近づくのはおやめください。危険な場所です」

「誰に向かって言ってる。【シビュラの塔】はヴェネト王家の神殿。王太子の俺が来て、何が悪い」

 ジィナイース・テラは忌々しそうにロシェルの前を通り過ぎた。広い階段を下りていく。

「その神殿に、警備を置けない理由をご存じですか?」

 怪訝な顔をし、ジィナイースは振り返って参謀を見上げる。

「かつては厳重な警備を置いていたのです。それが、ある日、ヴェネト王宮精鋭の近衛団の三つの小隊が、全員、殺されたのですよ。殺され方は人間技ではありませんでした。犯人も捕まっておりません。それ以来、妃殿下が警備を置かぬよう命じられました。四方を封鎖して俗世間から隔離することで、この場を守っている。よって、貴方が秘密裏に王宮を抜け出してこんな場所にいらっしゃっても、守る者はおりません。

 ――貴方はヴェネトの神の祝福を受けられる方ゆえ、心配はないでしょうが……。

 万が一のことがあっては危険です。たった一人の世継ぎの君なのですから……」

「……」

 ロシェルは歩き出す。

「ロシェル」

 今度は階段下のロシェルを見下ろして、ジィナイースが聞いた。

「お前は……【シビュラの塔】の扉が開いたのを見たことがあるんだよな……?」

「ええ。その黄金の扉が開いているのを見たことがあります。人の手を借りず、閉じて行くところも。……これは人知を超えた古代兵器なのですジィナイース様。妃殿下はその得体の知れぬものと、たった一人で向き合っておられる。貴方は世継ぎの君としてお母上の側にいて差し上げて下さい。それは貴方にしか出来ないことなのですから」

 ロシェルはそう言うと、一礼し、乗って来た馬に跨るとジィナイースを待たず、その場を去って行った。

 ジィナイースは数段下りて、振り返る。


 ……オォォ……


 風が、塔に吸い込まれる音だろうが、

 低い唸り声のような音が聞こえる。

 背筋がゾッとした。

 彼は急いで階段を下りると、馬に跨り、その場から離れた。一度も、振り返らずに。


 何かとてつもない大きな存在が、

 或いは、

 とんでもない数の得体の知れない生き物の気配と、視線が、こちらをじっと見ている気がした。



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