第4話
深夜の鐘が鳴った。
教会の絵を描いていたネーリを連れ、フェルディナントは教会を出た。一応道は頭には入っていたが、ネーリが、何がどこにあるということは細かく教えてくれて、さすがに土地勘がある、と感心する。彼は時折声も掛けられていた。知り合いも多いのだろう。
「ネーリは……ずっとあの教会で世話になっていたと思っていたんだが、違うんだってな。
その前は……祖父が亡くなってからヴェネトから離れていないと言っていたが……」
「うん。どこにも行ってない。ヴェネト中を回りながら絵を描いてた。周辺に小さな島も多いから、退屈はしなかったよ」
「……祖父が亡くなったのはどのくらいなんだ?」
「六歳か、七歳か、そんな感じだったと思うけど」
「……嫌な話を聞くと思うんだが、病で亡くなったのか?」
「うん。流行り病で。移るからって亡くなる時、側にはいられなかったんだ」
「そうなのか……。すまない。祭りの日にこんなことを聞いて。もう聞かないよ」
「気にしないで」
ネーリは笑った。
「言ったでしょ。昔のことだから、もうそんなに気にしてないんだ」
フェルディナントが頷く。話題を変えた。
「【仮面の男】なんだが……今までにああいう奴がヴェネツィアやヴェネトの各地に現われたことがあるのかな」
「聞いたことはないけど……『仮面』は結構ヴェネトではよく見るものだよ」
「?」
「ヴェネトって元々多民族が寄り集まって生まれた国だから、最初は内紛も多かったんだ。ある島では、ある民族が排撃されたり……そういうこともあった。だから昔のヴェネトでは、公の場では仮面をかぶって、自分の生まれや素性を隠していたんだよ。『知らなければ、争いにはならない』から。国が出来る前の話。国が出来てからはみんな居住権があれば『ヴェネトの民』になる。今は貴族階級の人が面白がって【仮面舞踏会】を開いてるって聞いてる。流行なんだって」
「仮面舞踏会?」
「うん。仮面をつけて、いつも会えないような人と会って、或いは、親しい人だけど、別人のフリをして会って、遊ぶんだって。あ。フレディ眉間に皺」
眉間をちょんちょん、と指先で触られて、慌てて眉間をほぐす。
「……難解な風習だなと思っただけだ」
「でも僕ちょっと好きな人の前で仮面をかぶりたくなる気持ちは分かるなあ。本音を隠すのが上手い人とかは……本当の気持ちが知りたくなることあるよ。試してみたくなるっていうか……、きっと他人に化けたりして、あの人のことどう思ってるかとか、聞いてみたりしたんだろうね。フレディはそういうの、嫌いそうだ」
「……嫌いというか……。そんな回りくどいことはしたくない。他人に化けて自分のことを聞くなんて。邪道だ」
フェルディナントの方を見る。彼は綺麗な横顔の輪郭を見せている。なんというか、軍人というともっと逞しいイメージがあるが、フェルディナントの輪郭の線は繊細だ。美しいと思う。良血を思わせる、とでも言うのだろうか。
(でもそうか、良血っぽいじゃない。爵位を持ってるって言ってたから、貴族なんだフレディは)
母親がたった一人の家族だと言っていた。すると彼は長子だから、家を継がなくてはならないはずだ。ふと、考えてしまう。
(僕なんかと、こんな風に遊んでていいのかな……?)
神父は彼は十八歳だと言っていた。しかも神聖ローマ帝国で竜騎兵というのはとても身分が高いエリートなんだそうだ。若くて軍人としても非凡で、爵位まで持ってる貴族で、あんな可愛い竜まで持ってるなら、フェルディナントと結婚したいと思う令嬢だってたくさんいるはずだし、自分の娘の婿にしたいと思うような父親だって多いはずだ。
でも……。
あそぶ、と表現して、強い違和感を感じる。
(フレディは、国にいないからって遠征先で遊ぶような人に思えないけど)
そう思うけど……それにさっきのキスだって、とてもじゃないけど楽しい遊びと表現できるようなものじゃなかった。
フェルディナントは言われた言葉を素直に信じていいタイプだとは思うが、彼を取り巻く環境を思うと、ほんとにいいのかな、とつい考えてしまう。
「ネーリ?」
気付いたら立ち止まっていたネーリを振り返り、フェルディナントが手を差し出して来る。
(……いいや。フレディが呼んでくれたら側に行けば)
呼ばれなくなったらその時は……。
祖父の明るい笑みが思い浮かんだ。
そのときは、仕方ない……。
ネーリは小さく笑んだ。
だって人の心は好きには出来ない。
ある時はそこにあるし、無い時は無い。
「ネーリ。おまえ、今、どーでもいいこと考えてるだろ」
「えっ」
手を差し出してるのにいつまでも来ないネーリに焦れて、フェルディナントが自分から歩み寄って来た。
「段々分かって来たぞ。お前がそうやってなんかボーっとしてる時は大抵余計なことを考えてる時だ」
「そ、そうなのかな?」
そうだ!
言い切って、フェルディナントはネーリの手を握ると、引っ張るように歩き始めた。引っ張られる自分の手を見下ろしながら、ネーリは微笑んだ。
言葉はよく分からないけど。
この手から僕の手を取ってくれるなら、きっとそのままにして大丈夫なんだ。
◇ ◇ ◇
「お前の言った通り、街自体は元通りみたいだな……」
西地区にやって来て、初めて実感した。
花と明かりが通りに飾られて、人もいる。怯えた様子は特にない。
「夏至祭入る前に竜騎兵団のみんなが重点的に西地区を警備してくれたから、きっとみんな安心したんだよー」
「そうだといいけどな……」
石の橋の所まで来た。
「ネーリ、少しここで待っていてくれるか。そこの通りの奥に、事件現場があるんだ。少し見て来る。すぐ戻るから」
さすがに人が死んだ場所なので、ネーリは連れて行きたくなかった。
「分かった。ここで待ってる」
彼は抱えて持って来た紙と、木炭をフェルディナントに見せてきた。描いてる、という意味だ。本当に、ずっと描いていたいんだな、とフェルディナントは目を細めて微笑むと、頷いて歩いて行った。
フェルディナントを見送って、ネーリは細い木炭で最初の一筋を描いた。
去って行くフェルディナントの背中がもう何となく形になる。
彼の姿が通りの角に曲がって消えても、ネーリは記憶を辿って手を動かし続けた。
◇ ◇ ◇
事件現場付近に、あたりを巡回中の竜騎兵二人がいた。彼らはすぐにフェルディナントに気付くと、敬礼をした。
「団長、ご苦労様です」
「この辺りを少し自分で見回りに来た。特に問題はないか?」
「はい。問題ありません」
「そうか。祭りの日に悪いが、引き続きこの地区の見回りは頼む」
「ハッ!」
ここは空き家だが、中で死体が出たのだ。殺されたのは警邏隊ではなく、商人だった。
素性を調べたが、近くの店に薬剤を卸す、ごく普通の商人で、殺された理由は不明だった。
しかし商人の喉に突き立った武器にはフェルディナントは見覚えがあった。
深く突きたてられた時の痛みもまだ思い出せる。
【仮面の男】が使っていたあの特殊な自動弓の『矢』だ。ヴェネト中の武器店や武器商にも聞いて歩いたが、ああいう形の武器は無いらしい。
殺された人間に殺される理由がないなら、偶発的な通り魔だろう。
フェルディナントは空き家を見上げた。商人が卸していた薬屋も、薬剤師も、この家も二度捜索したが、特に何も出なかった。
だから偶然ここに通りかかった所、襲われたという見方が強い。
しかし街を騒がせるだけが目的の通り魔と言われて、納得出来ない自分がいる。
一度刃を交わした時に感じた、整然と襲い掛かり、整然と撤退するあの印象。
目的を持って動いているように見えた。
フェルディナントが思ったのは、複数起きた事件の中に、模倣犯がいるのではないかということだが、こちらは現場の遺体から例の特殊な武器が出てしまったので、普通に考えれば同一犯ということになる。でも漠然と違和感はまだ残っている。
何となく、二度入って調べた空き家に入って行く。
何年も捨て置かれた空き家という感じだ。敢えて言うなら、通りから一本入った場所にあるにしては古い空き家だなという印象がある。こんなに古いなら、潰すなり建て替えるなりすればいいと思うのだが……。
立地自体は悪くないのになとそんなことを考える。
鐘の音がした。
ネーリを待たせていることを思い出し、また今度にしようと考えた。
(こんな遅い時間だし……)
ふと、その時気付いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます