第2話
教会の側まで来てしまった。
水路に光が浮かぶ街並みの中で、ネーリの手を握っていて、……幸せすぎて、なんだかふわふわしている。気を引き締めなければならない。どうしてもネーリの手が離せなかった。本当に駐屯地に戻ってくれるのか、心配だ。
「……着いちゃったね」
優しい声で彼が言った。自分と同じことを思ってくれていたことが分かって、嬉しくてたまらなくなる。
「じゃあ……」
「お、送って行く!」
ネーリが目を丸くして、吹き出す。
「フレディ、それじゃまた僕もここまで送りたくなって、ずっと送り合いになっちゃうよ」
フェルディナントは赤面して、そっぽを向く。
「わ、分かってるよ……気持ちを言ってみたまでだ」
手が離れた。生まれてから、人のぬくもりなんかにさして依存なんかして生きて来なかったのに。なんでネーリと離れる時だけこんないたたまれない気持ちになるんだ。フェルディナントは自分自身に文句を言いたくなった。
「このあとは、どんなお仕事するの?」
「西の、市街の様子を見に行こうと思ってる。警備は他より強化してるし、今のところ大丈夫だって報告はちゃんと受けているんだが、そこに住んでる市民はどんな雰囲気で過ごしているか、そういうのは自分で行ってみないと分からないからな……」
「巡回するんだね。トロイさんたちも一緒?」
「いや、俺一人で見に行く」
「えっ」
「空気を見たいだけだからな。一人で十分だよ。それからついでに、街の夜警に声を掛けつつ、ヴェネツィアをぐるっと回って様子を見ようかと」
「そうなんだ」
ネーリが安心したみたいな溜息をついた。
「? なんだ?」
「それならフレディ、僕がついて行ってヴェネツィアを案内してあげるよー」
「えっ!」
「ぼく街には詳しいから」
「いや、それはよく……知ってるけど」
「? ……だめかな?」
「ダメって言うか……」
二人でヴェネツィアを見て回るなんてデートじゃないか。考えかけてフェルディナントは首を振った。
(何を考えてるんだ俺は。ネーリは純粋に案内役を買って出てくれてるのにデートだなんて浮かれ過ぎだ。彼は俺とデートしたいなんて一言も言ってないんだぞ。何をいいように解釈をして……)
「それに、もう少し僕もフレディと話したい気分だから」
爆発するみたいに顔が赤くなる。
「そ……」
「そ?」
「……それはまた……、おまえ……、」
両手で顔を覆ってフェルディナントは頭を抱えた。
「お、お仕事中だからダメだったね」
突然この世の絶望を見たみたいに頭を抱えているフェルディナントに、さすがに何かを察して、ネーリは自分から話を切り上げる。
「ごめん僕、じゃあ……帰るね。少し教会に寄ってから駐屯地――」
去ろうとしたネーリの手首を、フェルディナントが掴んだ。
「あ、……危ないだろ……、殺人事件もあった地区なんだし……、犯人捕まってないし……そんな所に、お前を連れて行くわけには」
と言いつつ、ネーリの手を放さない自分のこの手をどうにかしたい。掴んでどうする。
「でも僕一昨日西の地区に教会のお届け物しに行ったよ」
「えっ! なんでだ」
「えっ。……え、と……神父様とか、合同礼拝の準備で忙しそうだったから……、僕ほら……絵を描いてるだけで手が空いてたから……その、……お手伝いを」
「そ、それは分かるけど、……危ないだろ……」
イアンも、騒ぎに遭遇したと言っていた。
「平気だよー 西の地区のみんなも、すごく綺麗にお花飾ってたよ。それに、警邏隊の巡回を中止してから襲撃は起こってないんでしょ?」
「それはそうだが……」
好きな相手だからと言って心配し過ぎなのか俺はという気持ちと、
確かにここで一緒に行かなくたって、じゃあ西の方回って帰るーとネーリが言って帰れば一緒に行ったって同じことじゃないかという気持ちと、
一緒にいたいから俺はそう都合よく思いたがってるんじゃないのかという気持ちと、
いやちゃんと使命感と恋情は別にしてるに決まってるだろという気持ちと、
思い込もうとしているのか、本当の気持ちかさえ全く分からなくなった。
自分の手を掴んだまま、複雑な表情をしながら何やら色々考えているフェルディナントの表情をきょとんとしてネーリは見守っていたが、不意に、くすくすと笑いだす。
「……フレディっていつも真面目できちんとしてるけど、たまにすごく面白いよね」
「なんだよ……」
ネーリの笑顔に、抵抗を諦めた。俺は出会った最初から、こいつのこの顔に弱かった。
「面白いなんて……言われたこと一度もないぞ」
どちらかというと生真面目で面白みがないとよく言われる。
「そんなことない。面白いこと、よく考えてる」
彼は笑いながら、優しい声を出した。
「いいよ。それならここで一度お別れしよ。僕フレディが西に巡回に行く時一緒についてっちゃおっと。別にそれならフレディが連れてってるわけじゃないからいいんだよね?
たまたま、歩く方向一緒になったんだから」
悪戯っぽく彼は言った。
本当に、色んな顔を見せる青年だ。自分では三種類くらいしか表情を持ってないと思い込んでるフェルディナントは、高貴な画家の表情や、子供のような笑顔や、憂う横顔や、悪戯っぽい顔まで見せて来るネーリの多彩な表情に、そのどれもに惹かれてしまって、もうどうしていいのか分からなかった。
彼が敵なら、確実に倒せる気がしない。絶対負ける。
だが結局、彼の言ってることは正しい。
フェルディナントにはネーリの行動を制限など出来ないのだ。彼は部下ではないのだから。彼が付いて来れば、結局同じことである。
「……分かった。俺もまだ少しお前に聞きたいことがあったから。案内を頼むよ。た、ただし、あくまで今度は勤務中だ! さっきみたいなことはしない。――今のは自分に対して言った!」
ネーリはヘリオドールの瞳を丸くしてから、可愛い声で笑った。
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