3話 どうしたいの?

 事の真相を問い詰めるつもりで戻った店に竜一がいない。四階フロアで帰りを待っていた由行だったが、戻ってくる途中で見かけた室生の姿が頭から離れなかった。

 室生と大野が向かった先の予測はつく。黒塚にうながされて室生を<三輪鍛冶屋>に随伴させたとき、妙に落ち着かない様子をみせていた。

 鍛冶屋を辞去したあとに訊かれたのは、

「これからもお供しなきゃいけませんかね」

 不快をにじませた表情で、室生にしてはめずらしく感情をあらわにした。由行はこれを生ぬるい対応に苛立っていたせいと考えていたが……

 時間を有効利用するはずの机仕事が、室生の動向が気になって上の空になる。たまらずイスを蹴立てて立ち上がり、フロアから駆け出した。呼び止める黒塚の声を聞きながらも足をとめなかった。

 うやむやな解決方法をとりたくないのは、都祁環の生い立ちを知っていたせいでもある。


     *


 環はまずサラの手から柳刃包丁をとった。それでようやくサラも、自分が何をしようとしていたのか自覚したようだ。

「違うの……あたしは、ただ守らなきゃって」

「わかってる。サラは悪くない。ここは、わたしに任せて」

 それから予定外の客に言った。

「いまはとても話ができる状況じゃない。帰ってください」

「今回のお詫びは、あらためて」

 由行が深く頭を下げた。追いついてきた黒塚もこれにならう。が、いとまを告げたわけではなかった。

「ひとつだけ聞かせてください」

「もっと強い言葉で繰り返さないとわかりませんか?」

「都祁さんのインタビュー記事を読んでいます。私事ですが、わたしも家庭環境に恵まれなかったこともあり、勝手にエンパシーを感じました。だから聞かせてほしいのです。努力を重ねてきた仕事場が、あなたの新しい家にもなった。大切なものだとわかります。どれだけの立ち退き料を積まれても承諾できないでしょう。ただ、これほど頑なに拒まれる理由がまだあるようにも感じています。そのあたりを聞かせていただけませんか」

 しつこい。だいたい真面目に答えても、まともに取り合うとは思えない。

「実は埋蔵金が家の下にあるから」

 ふざけた物言いで返すと、少し離れて控えていた黒塚の目に剣呑な色がはいった。環は見逃さない。

「そちらのロマンスグレイの紳士も室生さんと同類ですか。お引き取りを。力で解決しようとする人間には、もううんざりだ」

 険悪になった形相を隠すように黒塚が顔をふせる。すかさず、

「黒塚さん、先に行っていてください」

 由行が退室をうながした。

「あなたもです、藤ノ木さん。この子を休ませないと」

「いいよ、あたしは大丈夫」

 動揺から少し回復したサラが話の要を代弁した。

「あたしからも藤ノ木さんに聞きたいことがあります。環さんが本当の事情を話したら、あなたが計画中止にしてくれるんですか?」

 由行の喉が上下する。外で待っている黒塚を気にしてか、声を落とした。

「善処します。これがいま精一杯の答えです」

 希望がもてる返事ではないが、きれいごとで返していないことで誠意も感じる。サラを手近なイスに座らせると、環は立ったまま続けた。

「うちの工房には神棚がありません。この鍛冶屋ならではの守り神がすでにいるからです」

「は、はい……」

 善処するといったものの、困惑は隠せない様子。

「実際にあったことだけをお話しします。解釈はお好きに」

 一方的に告げて話をすすめた。

「わたしが先代、御杖の養子から内弟子になってしばらくすると、この家でラップ音を聞くようになりました」

「怪音の正体は、家鳴りや動物が潜り込んでいた、あるいは修行のストレスで、というわけではないんですね」

 オカルト映画の見過ぎと揶揄やゆする様子はなかった。

「半年ぐらいたった頃、見覚えのない子ども達と石投いしなご遊び……いわゆる、お手玉遊びをしたことがあります。これはわたしも夢なのか現実だったのか判断つきません。ただ<三輪鍛冶屋>を担ってきた者は、たいていこういった体験があるのは確かです。

 御杖も寝ていた夜中に、ふすまを破らんばかりに叩く音で目が覚めたことがあるそうです。普段から時々あった、駆け回るような足音を聞いたり、地震でもないのに吊り下げ照明が揺れたりといったものではない。目が覚めると追い立てられる気分で飛び起きた。家の中を見てまわったら、古い電気配線が原因でボヤを起こしかけていました。

<三輪鍛冶屋>の誰もが体験することではありません。ただ体験しない者は修行が続かないことが多いらしい。体験した場合も、本人の受け取り方次第で、我慢できない恐怖であったりする。それで辞めてしまう者もいる」

 由行は戸惑いをさらに深くしている。しかし、

「おめがねにかなう者に対してだけ……気配? を見せているんでしょうか。起こす現象も、逃げ出さない程度に加減しているとか」

 真剣な問いを返されたのは意外だった。

「一人前になれるか、ちょっとしたジンクスになっている元は、工房のそばにある石塔群です。三輪の技術は、ここに眠っている方から受け継いだと伝えられています。そのことを忘れさせないために不可思議な現象を起こしているのだという者もいました。そして、伝えたことに恥じないものを作っている限り守ってもらえる、とも。

 だから鍛冶屋の多くが金屋子神や稲荷神、荒神の神棚をおいているのに、うちの工房にはないんです。石塔に眠っている方を守護神としてきたんです」

 由行が工房の壁に視線をめぐらせ、神棚がないことを確かめた。

「製造方法や需要の変化で、多くの鍛冶屋が潰れました。そんななかでも<三輪鍛冶屋>は生き残ってきた。先人の守護など迷信だと切り捨てる気にはなれません。

 この鍛冶屋が続いていたおかげで、わたしは自分の居場所と生業を得られました。そして先代たちが大切にしてきた場所を潰されたくもない。これが立ち退きに同意できない理由です」

「…………」

 由行の思案顔は、この話をどうとるか悩んでいるようにみえる。環はそこには構わなかった。好きに解釈しろと言ったとおりである。

 反対に、由行への疑問をぶつけた。

「こちらからも質問させてください。藤ノ木さんはご自身の仕事がお好きですか?」

 思わず環を見返した由行の視線が、すぐにそれた。

「勝手な推測ですが、藤ノ木さんは迷っているように見受けられます。室生のような人間を連れてきておきながら使わない。かといって弁護士をはさんで説得にかかってくるわけでもない。この土地をどうしたいのか意図がみえません」

「……都祁さんが気になさることではありません」

「ええ。ただ藤ノ木さんはこの一年、追い返され続けながらも丁寧な態度を崩さなかった。そういう人だから気になっただけです。おせっかいは忘れてください」

 苦渋と哀情を溶け合わせた顔で聞いていた由行が頭を下げた。

「わたしも長居してしまいました。これで失礼します」

 姿勢を戻すと、もう一度声を落として言った。

「力で話をつける人間は、力にこだわります。そちらの女性に——」サラを視線でさし「喧嘩を売られたと考えているかもしれません。気を付けてください」

「脅しみたいな助言をどうも。つまり、藤ノ木さんでは抑えきれないわけですか」

「わたしの役職は、社長の血縁でもって与えられたお飾りにすぎません。では、失礼します」

 皮肉を投げても苦笑を返してくるだけ。建設計画を押し進めようとする忌部生花にあって、由行は異質な存在に思えた。


     *


<三輪鍛冶屋>から引きあげた室生は、大野を連れて警備部のフロアに急ぎ戻った。

 遊軍的立ち位置の室生は、個人で手懐けている部下をもっている。人数はいらない。子飼いのなかから、いますぐ動ける者をシフト表から捜した。

 合意書の収穫すら忘れさせた女がいた。

 飼い猫だと思っていた若い女は、あるじの危機には狂虎に変貌する片鱗をみせた。

 一緒に住んでいるわけではないようだから、早くしないと自分の巣穴に帰ってしまう。その前につかまえたかった。無駄な抗争は許されないが、軽く遊ぶぐらいなら社長も追及してこない。

 シフト表を確かめた室生は、装備品用ロッカーの鍵を手にとった。

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