2話 疫病神の関心
初めて環のもとを訪れたとき、サラは<三輪鍛冶屋>への弟子入りを希望した。そして、あっけなく断られた。
「わたしにはまだ弟子をとるほどの技量がありません。山添さんは料理人の修行を続けられるほうがいい」
当たって砕けろ、無理を承知で訊いてみたこと。予想していた答えだったので、さほどショックはなかった。けれど、
「料理人の修行をされている山添さんへの応援に、包丁のお支払いは利息なしの五〇回ローンで結構です。気に入ったら、またいつか別の包丁も買ってください」
これには驚かされた。こんなお人好しを誰にでも発揮する人ではなかったはず。そこまで思ってもらえたと自惚れていいのか……。
現在の環のことをますます何でも知りたくなった。
この日のために生きているといっても過言ではなくなった月曜日。
待ちに待った休日に、サラはいつもの場所にいた。
「涼平だった。一時間ほど遅れるんだって。スケジュールに無理に差し込んでもらった荒試しだから、もうちょっと待ってね」
黒電話の受話器をおいた環が謝ってきた。
サラとしては、まったく問題ない。涼平は気安く話ができる貴重な相手だが、環とふたりで過ごす時間も大切にしたかった。
「涼平さん、そんな腕力あるように見えないけど、ほんとにこれ振るの?」
荒試しに使う刀を工房で見せてもらっていたところだった。柄にものものしい金具がはめ込んであるだけあって、持たせてもらうと見た目どおりの重さだった。
「コツさえつかめば、重さを利用して斬ることができるよ」
サラから刀を受け取って白鞘に戻し、横長の刀箪笥の一番下の引き出しにおさめた。
「工房で待ってるのも暑いから家に入っとこう。涼平のお土産——!」
環が言葉途中でふりむく。挨拶の言葉もなく、いきなり工房のドアが開けられた。
無断で入ってきたのは、先日、由行についてきていたふたりだった。分厚い筋肉の固太りの大野。そして砥石みたいにのっぺりした表情に、高身長を猫背に丸めた男、室生だった。
疫病神でしかないコンビに、サラは身構える。
環はずっと言いそびれていた。
サラの休みは週一回しかない。なのに毎週飽きもせずやってきては工房を見学し、環の食事や身の回りの雑務を手助けしてくれる。
「たまの休みなのに身体やすめなくていいの?」
サラに訊いても、
「休みだから、したいことしてるよ? 一人で過ごしてたときは、レンタルビデオで香港アクション映画観たりしてたけど」
「サラがアクション映画っていうのは意外」
「そう? 体格や数で負けてる主人公が、まわりの生活用具を使ったり機転をきかしたりして、悪役に逆転するの面白いよ」
「じゃあ今度、映画館いく? ついでに外で食事したら、よそのお店の味を知る機会になるし」
「いまは観たいものないから、また今度ね」
「台所仕事なんかほっといて、工房で遊ぶだけでいいんだよ。わたしはサラがくるだけで、商売以外のおしゃべりができて気分転換になってるんだから」
「あたしも楽しむための料理でリフレッシュしてる。『美味しい』以外の感想を言ってくれると、もっと嬉しい」
そこまで言ってもらうと断る理由がないし、環自身も毎月曜日を楽しみにしていた。もつれる立ち退き交渉に懸念を抱きつつ、つい「来ないほうがいい」とは口に出せずにきてしまった。それを今日、激しく後悔する。
室生が茶封筒を突き出してきた。
「粘って引き延ばしても、あなたの分が悪くなるだけだ。ここらで折れることを勧める」
「簡単に建設中止にできないそっちの事情と同様、こっちも生活がかかってる。交渉金額を上げようとしてるだけとか思ってるんなら、永遠に合意できない」
タメ口の室生にはタメ口で返した。
「こんな気持ち悪い家の何にこだわってんだ? よく住んでいられるな」
「もしかして『見える人』? あなたみたいな業種の人は迷信だと嗤うだけだと思ってた」
「見える人」という例えに大野のほうが反応した。答えが気になるらしく、うかがうような視線を室生にむけた。
「幽霊なんぞ見たことない。俺のは直感が働くって意味だ」
「それで、わざわざ教えに?」」
「親切心で言っている。こんなとこから早く離れたほうがいい」
「わたしにはなんの問題もない。あなた方がこの家に嫌われてるから、厭な感じしかしないんじゃない?」
「調子に乗ってんじゃねえ!」
いきり立った大野が前に出る。挑発したつもりはなかったが、機会を与えてしまった。大野の威嚇は環だけでなく、その後ろにいたサラにもおよんだ。
「だいたいおまえは部外者だろうが! 席ぐらい外せ!」
たいていの人間なら、この一喝で黙ってしまう。
ただし加害された過去があると、これ以外のパターンがあらわれる。些細な発端でフリーズして心身ともに動けなくなるか、身を守ろうとして猛烈な反撃に出るか。サラは後者で反応した。
振り払う仕草であがった大野の右手が、殴ろうとする動作に誤認識される。壁にかけてあった作りかけの柳刃包丁を手にとった。
「そっちこそ出ていけ!」
「おもしれえ、やろうってか? 包丁ぐらいで、びびるかよ!」
先手を取られまいと大野が突進してくる。
室生は突っ立って眺めているだけ。
サラを加害者にするわけにはいかない。ましてや被害者にも。環はサラと大野のあいだに割り込もうとした。
「やめろ、大野‼︎」
止めたのは若い男の大声。額に汗をにじませた由行が駆け込んでくるなり、大野の正面に回り込んで怒鳴りつけた。
「誰の指示でこんなことしてる⁉︎ 社長はまだ俺に指揮を預けているんだ。勝手なことをするな!」
後半の台詞は室生にむけてだった。
室生は何も話さないまま一礼すると背を向けた。そのまま出入り口に向かう。大野が慌ててあとを追った。
環は、安堵するとともに一抹の不安を残す。
室生が出て行きざまに視線をやったのは、環でも由行でもない。サラだった。
環は自分の傷痕がどうみられるか知っている。喧嘩っ早い連中からは同類と勘違いされ、からまれることもあるぐらいだ。それなのにどうして環ではなく、サラのほうに興味を示したのか。
興奮して刃物を手に取ったとはいえ、室生からみれば子どもが暴れたぐらいでしかないはずなのに……。
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