二章
1話 とっつぁんは斬りたい
環は笑うことが苦手だ。
はっきり残る口元の傷痕が、口角から斜め上にむかってのびている。これのせいで緩く笑んだだけでも、ホラー映画の殺人鬼みたいな笑みに見えてしまう。元々少なかった表情の変化をさらになくしてしまった。
けれど気心の知れた数人に限れば、素直に感情をあらわせた。
「とっつぁんはもう……鍛冶場に入るならスーツで来るなって言ったでしょ。汚れるよ」
喜色満面で上着を脱いでいる若い男に微苦笑をうかべた。
「溝口先生に紹介していただいたお客さんへの挨拶があったんです。着替えてる時間がもったいなくて、そのまま来ちゃいました」
脱いだ上着とネクタイを大容量のビジネスバッグに突っ込みながら、
「あと〝とっつぁん〟呼びはやめてくださいよ。目上の人から言われると落ち着きません」
「
「環さんのそういうところ大好きです……あ、これ」
バッグの底から包みをふたつ取り出した。
「忘れるとこでした。このあいだの出張のお土産です。山添さんにもありますよ」
「いつも、ありがと」
遠慮せず
武道用刀剣や居合用品、刀装具などを扱う<十津川堂>三代目予定は、仕事抜きで刀好きだった。
中学生のうちから溝口師範の居合道場に通って刀にふれ、鉄を鍛える場に入らせてくれる刀工——御杖源五がいると知ると、足繁く工房に通ってくるようになった。すでに弟子入りしていた環が涼平と初めて会ったのも、この頃だ。こうして高校を出た良平はすぐ父、十津川清史のもとで武道具屋修行にはいり、<三輪鍛冶屋>の担当を受け継いでいる。
打ち合わせ用の部屋が工房と住居スペースをつなぐ場所に用意してあっても、涼平は工房で話すことを好んだ。
「漬物は嬉しいな。たすかる」
「漬物だけですまさないでくださいね」
「サラみたいなこと言わないの。この生八ツ橋、その本人がいないから美味しい時期逃しちゃうね」
「山添さんの休みは月曜でしたよね。休日出勤ですか?」
「月曜日は昨日」
「え? あぁ! どうりで姿が見えないはず……先方さんに一日ずらしてくれって言われてたんだった……」
涼平が目に見えて肩を落とした。
「賞味期限内にはまた来るから大丈夫でしょ。気持ちだけでも喜ぶと思うよ。あんたらの仲だし」
「同好の士ですから」
「若いのに地味趣味だよね、ふたりとも」
<三輪鍛冶屋>では代々、刀においても使い心地に重きをおいた実用刀をつくっている。刃文や
「価格を忘れて、趣向を凝らした刃物をつくりたいと思ったことないですか?」
「師匠の代から有名工房ってわけじゃないから、高い刀を打ったところで早々売れるとは思えないし、わたしもまだ経験が足りなさ過ぎる。お金持ちじゃない人にも刀や火造りの包丁に親しんでほしいし、売れてこそ鍛冶屋を続けられるんだし」
涼平は居合用の刀、サラは包丁を通じて<三輪鍛冶屋>がつくる刃物の愛好者でいてくれる。喜ぶ顔を見ることがモチベーションにつながった。
環は答えながら<十津川堂>から受けていた特注品を用意する。ケースから出し、鞘をはらう。刀身に北斗七星を彫り、鍔にも星のモチーフが入った、三輪の刀にはめずらしい一振りだった。
「いまさらだけど、刀身彫刻するならよそに持っていったほうがよかったんじゃない?」
「試し斬り演武に使うとのことで、先方からのご指名です。七星を入れたのは御本人の精神的なことと軽量化のためですから、装飾的価値はさほど求めないそうです——って、最初に説明しませんでしたっけ?」
「めったにない注文だったから不安になって」
「自信をもってお渡しできる一振りですよ。環さんがつくる包丁や鉈も魅力的ですけど、刀に本腰入れてつくったら指七本後半の値がつくはずです」
「そこに
「<十津川堂>のぶんはサービスしますよ? それはともかく、一時期は雑誌や新聞の取材を積極的に受けてたから、御杖先生と違う方向を目指してるんだと思ってました」
「あれは……若気のいたり? 売れないと飯の食い上げになる危機感があった」
というのは建て前。別の目的があった。
「派手なことしなくても食えるなら、飾るより使ってもらうもの打ちたい。だから包丁や武道刀」
「良い意味でも悪い意味でも、欲がないですね」
ケースに戻しながら涼平の視線が周囲をはしる。
「はいはい、これが気になってるんだよね」
特注品のチェックより涼平が気になっているだろう刀を取り出した。
蔵の中にあった古い刀を鍛え直したものだった。研ぎ師に預けると息を呑む金額になってしまう。興味で再現する刀に、そこまでのお金はかけられない。打ち直すほうを選んだ。
「錆の食い込みがなかったから原形は保てた」
環は木綿でできたシンプルな白鞘袋を渡した。
「拝見します」
鋼に呼気をかけないようマスクをし、腕時計を外した涼平が、一礼してから房紐をほどく。商売用の刀より、さらに扱いが丁寧だ。そこまでしてもらうほどの刀でもないのだが、環は彼なりの敬意ととった。
柄と
涼平がマスクを外しながら感想の言葉をあふれさせた。
「やや先反りで、広い身幅に
「小国家が乱立して、戦ばっかりやってた中世の終焉期と考えたら、蔵に残ってた日記とあうんだよね。よそから逃げてきて移り住んだ小集団がいたって頃と。そのなかの誰かの刀だったのかな」
「お百姓さんはもとより、女性も戦場に参加していた説がある時代ですから、誰かが持っていた可能性は充分ですよね。無銘という点からしても」
「銘を削ったあとがないし、茎を切り詰めてもいない。作刀者が銘を切らない献上品というほどの逸品じゃないから、数打ちものだとしたら話が合うよ」
「そんな古い刀なら、そのままにしといたほうが良かったかもしれませんね。いまさらだけど」
「今後の勉強のためと思えば惜しくない。保管しておくだけでも手入れが必要になるんだし、有効に使ったほうがいいでしょ」
「でも、わからないのは……」
「うん」環も頷いた。
「湿度がコントロールされる土蔵とはいえ、錆が薄かったのが不思議です。手入れされていたのならともかく、あったことすら環さんは知らなかったんですよね」
「御杖先生が手入れしてたのなら、今後の保存を考えてわたしに言ってるはず。何年もほったらかしにしてたにしてたようには見えなかった」
「妖刀だったりして」
「うちの蔵から出てきたなら、あり得る」
「これがジョークにジョークで返したってことにならないのが<三輪鍛冶屋>ですからね。お祓いとかしてもらったほうがいいんじゃないでしょうか」
冗談抜きで涼平が怯えをみせ、あたりを探るように見まわした。
「体験したことなくても信じられるんだ」
「環さんになら『幽霊とお茶した』って言われても信じます。ぼくが<十津川堂>に就く前からのお付き合いですよ。こんな場面で冗談は言わない人だって知ってます」
「まあ錆以外おかしなことはないから大丈夫じゃない? ということで切り
「え、試し斬り……もしかして荒試しで⁉︎」
武道具屋モードから一変、涼平が色めきたった。
「戦乱期の刀なら、なおさら実用性を確かめたいでしょ」
「ぼくに斬らせてください! 準備も後片付けも全部やりますから!」
試し斬りのひとつに、鉄板や兜を使った荒試しがある。刀の強度を試すハードなテストで負荷が大きいから、一般的な柄ではなく、鉄の輪をはめて刀身を補強できる切り柄を使う。目釘穴もいろいろな刀身に合わせられるように複数箇所あった。
「そんな前のめりにならなくたって涼平にお願いする気だったって。直に手応えを感じたくはあるけど、わたしじゃ刃筋を合わせる技量がない。刀が曲がるだけになったら泣くに泣けないよ。正確な強度をみるには、斬る修練やってる人でないと」
「ありがとうございます! じゃあ、さっそく次の月曜日でどうですか?」
「水曜日じゃなくて? <十津川堂>の定休日かわった?」
「水曜のままです。山添さんが来れない曜日にふたりだけでイベントやって、刺されたくないですから」
「サラは刀には興味ないみたいだし。呼ばなくても大丈夫じゃない?」
「それじゃあ可哀想です。環さんの火造りが好きだからこそ、休みのたびに自転車で四〇分かけて工房に通ってくるんじゃないですか。月曜に都合つけます」
「あんまり無理しないでね」
「ところで、立ち入ったこと訊いてしまいますが……」
帰り支度をととのえながら涼平が心配げな表情を見せた。
「立ち退きの件、大丈夫ですか?」
「交渉に怪しげなやつが交じってくるようになった。こういう状況だから、サラが来る頻度を減らしたほうがいいかなって思ったんだけど」
「ぼくはいいんですか?」
「剣術が役に立つよ。
「居合です。それに真剣持たせてもらっても、植物以外の有機物は斬りたくないですよ」
笑って返したが、すぐ真顔になった。
「いやがらせとか受けたら、すぐに連絡してください。父にも策がないか聞いておきます」
「ありがと」
「斎場の建設計画、中止にならないですかね……」
「ほんと」
師匠であり養父である御杖源五を亡くしてから、ようやく気持ちの整理がついた。サラが遊びにきてくれるようになり、出入りの業者ともいい関係を保っている。やっと手に入れた安定だった。
この生活を続けたいだけなのに、平穏は遠い。
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