4話 アジトは花屋

<忌部造花生花店株式会社>の柱は斎場運営になっている。

 紫蘭の花言葉「あなたを忘れない」をもとにしてつくられた<紫蘭苑>は、山裾を切り開いた三万平方弱の敷地に広い駐車場もそなえていた。告別室や収骨室はもちろん、火葬炉には動物炉も用意され、棺や仏具の製造販売、蔡苑で利用される仕出し弁当やおしぼりサービス、警備部門まで自社でまかなっている。

 こういった事業を外部にも展開させ、昨年からは新たに清掃事業も加わっていた。

 しかし表向きは真っ当で、納税の義務を果たしていても、おおっぴらにされていないところもある。一般の斎場では嫌厭される筋からの依頼を受けていた。警備や清掃まで事業をひろげているのは、その関係でもある。

 施設警備でありながら、金属製の特殊警戒棒や防刃ベストまで装備にあるのは、セレモニー参加者の安全確保のためでもあったし、清掃事業は血液や体液、皮膚といった汚染物の清掃を含むものだった。

 ここまで大きくなった忌部グループだが、はじまりは雑居ビル一階にある花屋からだった。



 東西南北の路線が集まる駅に続く表通り。近代的なすっきりした外観のオフィスビルと、古ぼけた雑居ビルがまじりあって建っている。

 後者のなかでも、さらに年代物に入りそうな中規模ビルに<忌部造花生花店株式会社>は本店を構えていた。そのなかの四階、事務フロアで一階店舗からの内線電話でよばれた藤ノ木由行は、黒塚とともにむかった。

 一階では現在も生花店を営業していた。店舗の奥、店頭の華やかさから隔てられたバックヤードに入ると、濃く硬い鬼眉の男が黙々と水揚げ作業をしている。

 代表である忌部竜一だった。

 地域に受け入れられて生花店は順調にまわっている。近隣住民をスタッフとして雇い入れ、仕事の評価が厳しくても給与や保障といった待遇はしっかりしているので、従業員の定着率もよかった。

 それでも竜一は暇さえあると作業場で身体を動かし、事務室で黙々と机仕事をしている。そのせいで事務机には、竜一の私物が置きっぱなしになっていることがよくあった。

 いつも竜一のそばで作業しているのは、側近の壷坂つぼさか。花屋は存外、体力仕事が多い。あざやかな花々とはつりあわない髭面で、水替え作業といった力仕事を手伝っていた。

 竜一がやっている水揚げは、切り花が水を吸い上げやすくするため茎を切り直す作業になる。導管組織を壊しやすいハサミではなく、いつもナイフでやっていた。

 手にあるのは、ナイフデザイナーが仕上げたカスタムタイプのフローリストナイフ。

 模様が特徴的なダマスカス鋼の刃に、ハンドル部分は鹿角が使われている。折り畳みではないシースナイフなので、そばのテーブルに本革のシースがある。刃長は六〇ミリほどで、軽い力で木皮でもすっぱり削ぐことができる一品だった。

「呼んだ理由はわかっているな」

 由行が声をかける前から訊かれた。長年の喫煙でかすれた声に恫喝の色がまじっている。

「おまえのやり方での立ち退き交渉を任せた。どれぐらい経つ?」

「十四ヶ月です」

「いい加減、結果が出ていいはずだ。何をもたついている」

「……申し訳ありません」

「まず鍛冶屋だ。頑固な鍛冶屋から合意書をとれば、農地を抱えているもう一件もあきらめて頷く。効率的に仕事を進めるための適切な手段の使用も許しただろうが」

「叔父——」

 竜一が切り花から顔をあげ、鋭い目線で由行を刺した。

「失礼しました。社長の言われる『適切』は、本当に適切だといえるんでしょうか」

「汚れ仕事も手段にかわりない。今頃なにを言っている」由行の背後に目をやり、

「黒塚、早く慣れさせろ。甘やかすな」

 黙礼した黒塚から視線を由行に戻した。

「おまえまで勇二みたいなこと言いやがって。なんで育てた俺じゃなく親父に似るんだ」

「————」

 出かかった言葉を由行は呑みこんだ。

 竜一がナイフをおき、鳩がオリーブの葉をくわえているデザインの箱に手をのばした。抜き取ったタバコに火をつけても、これまでのように呑み込まない。軽くふかして吐き出した薄い煙の中から、由行に視線を戻した。

「おまえが小学五年生の頃、逃げた母親を馬鹿にした同級生を殴ったこと、覚えてるか?」

 由行は首肯した。

 怒りで頭が真っ白になって殴ったのではなかった。こいつに説明しても、きっと曲解した出まかせを他のクラスメイトに言うに違いない。話すだけ無駄だ。かといって放っておく気はない。だから殴りつけた。結果、そいつは病院に行くことになった。

 大きな騒ぎにはならなかった。竜一が相手の保護者と個人的に、つまり竜一の交渉方法で場を収めたからだ。

「あのときの由行に比べりゃ、勇二は本当のタマなしだ。ガキの頃からやわな奴だったが、結局どうにもならなかった。どうしてやりゃよかったんだ」

 由行に、というより独り言のように続けた。

「女房がいなくなると忌部の仕事だけじゃなく、息子まで放り出したのは俺の——」

「社長のせいじゃありません! あれは……すいません」

 竜一の黒子に徹している壷坂がめずらしく口を挟んだ。竜一が小さく頷いたのを見て、すぐにさがる。

「話がそれた。とにかく入婿にまでなった勇二が俺にはわからん。そこまで忌部を……ごふっ!」

 苛立って思わずタバコを吸い込んでしまったらしい。竜一は激しく咳き込んだ。波打つ背を慌てて壷坂がさすった。

「くそっ、ちょっとふかすだけでも駄目なのかよ」

 半分以上残っているタバコを真鍮製の灰皿で押し潰して消すと、身体の力が抜けたようにスツールに腰を落とした。

「おまえも座れ。ここからは叔父として話す」

 黒塚を立たせたまま、由行にだけすすめる。

 目の高さを同じにすると竜一の目元がやわらかくなった。

「おまえは親父とは違う。素養があるんだ。そこを俺が育てて鍛えた」

 上体を前に傾け、顔を近づけた。

「思い出せ。おまえには必要とあらばクールに問題をさばく力があるはずなんだ。新しい斎場は経営を強固にするために、ぜひとも必要だ。それに次の代表になる能力があるところを皆に見せる機会でもある。反論があるやつを黙らせろ。そして俺を安心させてくれ」

 すぐに頷いて返すことはできなかった。確かに母がいなくなったあとの勇二は気が抜けたようになり、まだ小学生だった由行の世話さえほったらかしにした。代わって育ててくれたのが竜一だ。

 恩がある。けれど働くようになり、視野が広がってから見る竜一の姿は、すべてを肯定できるものではなくなっていた。本人は隠しているが、通院を続けている竜一の容態がよくないと知っても妥協できるものではなかった。

「合意書はとってきます。いましばらく猶予をください」

 時間稼ぎの返答に、竜一が小さなため息で応えた。

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