3話 暗雲低迷で前途多難
<三輪鍛冶屋>がある一帯に、斎場の建設計画がもちあがっていた。
火葬炉と大型駐車場を併設した大規模な計画で、一年以上前から立ち退き交渉を持ちかけられている。生活の便が悪い土地に見切りをつけ、四軒の家が立ち退きに応じ、周辺の畑を買い取って規模を拡大した農家と環だけが断り続けていた。
「同席していいよね」
サラは先んじてこの場に残りたい宣言をした。
そばにいたところで何ができるわけでもないが、相手は四人。これまで居合わせたときは、地味スーツの若い男と年嵩のグレイヘアだけだったのに、不安しか感じない人間が増えていた。
分厚い筋肉の固太りと、猫背気味で背が高い、脳面みたいな顔つきの男と。ふたりとも弁護士にも真っ当な不動産屋にも見えない。交渉に応じないから実力行使要員を出してきたように思えて、環をひとりにしたくなかった。
四人の先頭を歩いてくるのは
すぐ後ろに白髪まじりの
「サラ、家の中に入ってて」
小声で言われたのをいいことに、聞こえなかったふりをする。サラはそのまま残った。
顔だちがはっきり見えるところまできた由行が、環にむかって会釈した。
環は形ばかり応えながら、石塔のそばから動こうとしない。家の中に入らせず、話はここで。つまり、短時間で終わらせるつもりのようだった。
「何度こられても答えは同じです。火葬炉をつくるための場所探しの難しさは存じていますが、うちにもうちの事情があります」
由行もすぐに用件に入った。
「鍛治工房の建設が可能な候補地の資料を用意してきました。黒塚さん」グレイヘアが茶封筒を両手で差し出す。「まずは見ていただけませんか?」
「代わりの工房があればいい話でもありません。この交渉は互い時間を無駄にするだけです」
受け取ろうともしない環に固太りが凄む。
「騒音にも対処した場所を苦労して探したんだ。そっちも見るぐらいの礼をかえ——」
半歩踏み出したものの、すぐにぴたりと口を閉ざした。能面が軽く片手を上げていた。それから、ちらりと環と視線をあわせると、猫背をさらに丸めて頭を下げた。表情が変わらないので非礼を詫びる誠意もなにも感じなかった。
茶封筒を渡すより、交渉方法の変更を宣言しにきたようにもとれる。
由行たちは一〇分ほどで帰っていった。
「立ち退き交渉って、いつもこんな短時間で終わってるの?」
サラは洗面所でもう一度手を洗いながら訊いた。
「最長記録は初回の三〇分だったかな。何度こられても答えが同じなのわかると、時間も短くなった。それより、あの藤ノ木っていうやつ……」
掃除用具を片付けおえた環が首をかしげた。
「毎回あっさりしてて、合意書とってやろうって覇気を感じないんだよね。交渉時間は短くても、回数重ねてプレッシャー与えてくる訳でもないし。お目付け役みたいな黒塚が、うしろで渋い顔のぞかせてること、たまにある」
「白髪の人、あたしにまで腰が低かったけど、その実、藤ノ木って人より上なんだ」
「とりあえずは邪魔者も帰ったことだし、お茶にしよう。掃除より、こっちのほうで疲れたよ」
キッチンに入ったサラは茶の用意をする。
「居間にいかない?」
「ここでいい。手間かけなくていいよ」
キッチンテーブルについた環の前にグラスをおいた。
「いつもありがとう」
サラもいつもの位置、環の対角線上にすわった。
古い家だからキッチンと居間が分断している。運ぶ手間ぐらいどうということはないのに、環は食事もキッチンでいいといって気にしていなかった。
由行から渡された茶封筒は、封を切ることもなくゴミ箱に直行していた。
「でも、あんなのまで来て、これから大丈夫? あっさり引き上げていったのが、かえって不気味」
「
質問を端折っても環はすぐ理解した。
「直接の嫌がらせはない。そんなことしたら通報するきっかけになるっていうのは頭にあるみたい」
「でもそのうち環さんに何かしそうで不安だよ。特に猫背のほう」
「室生ね。大野はまあ見た目まんまだろうけど……」
子ども時代の経験から、危害を加えてきそうな相手には勘が働いた。固太りのいかつい男はいかにもだけれど、表情がうすい猫背のほうが、実のところ危ない気がした。
「一見冷静に見えるやつほど、一線を越えたら何してくるか、わからなかったりする。けど、どんなに脅されてもなあ」
グラスについた水滴を指でなぞりながら環は続ける。
「新しい鍛治工房と家があったとしても引っ越せない。<三輪鍛冶屋>の仕事は、この土地でこそ安定してると思うから。お金に換えられない価値がここにあるっていっても、わかってもらえるはずないし」
「庭の先にある石塔と関係ある?」
「<三輪鍛冶屋>にとっての座敷わらしみたいなものって言ったら、いちばん近いかな。この家、時々おかしな物音とかするの、サラも慣れちゃうほど聞いてるよね。あれに関係してると思う」
「じゃあ石塔ごと引っ越せない? お坊さんにお墓の移転を頼——!」
唐突に金属がぶつかる軽い音がして、びくりとなる。
音がしたほうを見ると、ヤカンがひっくり返っていた。五徳に置いたものが転がるはずないから……
「動かされるのはイヤみたい」環が笑う。
「ときどきこうして自己主張もしてくる。わかりやすいでしょ」
サラはかっくりと首を垂れた。引っ越せばトラブルから遠ざかることができるのに。
環が工房を移転するなら、サラもついていく気でいた。場所によっては勤め先を変えてもよかった。
やっと下働きから抜け出せた店を辞めるのは惜しい。けれど、伸びなかった身長に反して体力はついた。多少なりとも仕事の経験も積んだから、調理関係なら新しい職場を見つけやすいはず。仕事に調理人を選んだのは、学歴を問われなかったことと同時に、こういったフレキシブルさを考えてのことだった。
二度と環と離れたくない——。
この思いを本人に話すことはない。人を殺めたことがある人間に、そんな資格があるはずなかった。
「ついでにもう食事にする? 掃除で動いてお腹空いてるでしょ」
サラは勢いよく顔を上げた。ここでこそ出番だ。
「あたしが作る! 何がいい?」
昨夜くるとき、食材もひとそろい仕入れて冷蔵庫に詰め込んであった。
「なんでも……はダメなんだっけ。キャベツがあったからそれでお願い。葉物は洗うのが面倒でなかなか使わないから」
鋼を叩いて延ばし、折り曲げてまた叩く。延々と続くかと思うほど何度も叩く。
刃物をつくるときは、あれほど丁寧な仕事をするのに、食事づくりとなった途端に環は大雑把になる。おかげで出番があるとはいえ、もう少し栄養に気を配ってほしい。
「炒め煮にしてもいい?」
作り置きしておいても、炒め物より美味しく食べることができる。
「うん。一皿料理でいいからね」
サラは満タンにした冷蔵庫を開けて思い出した。
「そういえば明日、お客さんが来るっていってたよね。お茶菓子とか用意しとこうか?」
「大丈夫。客といっても〝とっつぁん〟だから。このあいだ蔵から出して仕上げ直した刀を見せるだけで満腹になるよ」
明日はサラも仕事がある。次の休みが待ちきれなかった。
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