2話 うちの金屋子神はユニーク

 環との付き合いは購入客としてはじまった。

 とはいえ火造りで鍛えた環の包丁は、いちばん安いものでも半月分の給与がとぶ。若いサラには蓄えの余裕がないだろうと、利息なしの五〇回ローンにしてくれた。

「嬉しかったし助かったけど、商売っ気なさすぎて心配になったよ」

「未来の固定客をつかまえとこうって下心はちゃんとあった」

「料理人で食べていけるか、まだわからなかったのに?」

 打ち解けてから、ジョークに見せかけた本心で訊いたことがある。手先が器用というわけではないし、子どもの頃からの貧しい食生活で味覚に自信がなかった。

「駆け出しだって包丁の良し悪しが料理の出来に影響してくる。道具は大事だよ。それに良い仕事ができたらモチベーションになって、修行を続けるきっかけになるでしょ? 料理長になったら、最高ランクの包丁買ってね」

「もちろん。宣伝もするから」

 購入客といっても、大衆割烹の新米料理人では適当にあしらわれるだけかもと心配だった。けれど環の対応は終始丁寧で、工房の見学も了承してくれた。見学からさらに包丁作りに興味があるふりをして、徐々に日常のちょっとした雑用を手伝うようになった。

 本当は鍛冶場を手伝いたかったが、

「たとえ炭でも料理人の指が黒いなんてイメージ悪いし、怪我もさせたくない。見にくるぐらいで気を遣わなくていいって」

「じゃあ、ご飯つくらせて。そしたら、あたしの勉強にもなるし、遠慮なく見にこれる」

「あー……そんな魅力的な提案されると断れない」笑いながら「刃物つくるのは楽しいけど、ご飯つくるのは面倒だったの」

「たまに実験的メニュー出すかもだけど大目にみてね」

 これでまた会う口実ができた——。

 環のそばにいることができる。それがただ嬉しかった。



<三輪鍛冶屋>周辺の道は舗装すらされていない。それだけ幹線道路から遠く、人通りもなかった。

 広い敷地にある母屋は平屋で、塀のない広い中庭がある。三面を母屋がコの字に囲み、残る一面が未舗装路に面していた。

 その脇に苔むした古い石塔が六基ほどある。数があやふやなのは、崩れてしまった石塔なのか、元々そこにあったのか不明な、大きな石も並んでいるから。

 この場所が今日の大掃除の仕上げになる。

 とはいえ、すでにやることがないといってもよかった。自炊には手を抜く環なのに、石塔周辺の掃除はまめで、目につくゴミなどほとんどない。それでもサラはホウキを動かし、環が新たに顔を出した雑草を抜きはじめた。

 石塔を見ると、夜更けの不可思議な子ども達を思い出す。サラは掃き清めながら訊いた。

「石塔っていわばお墓でしょ。敷地内にあるのって怖くなかった?」

「中世の時代、この土地に戦乱を逃れてきた小集団があってね。中のひとりに鍛治屋がいて、技術を伝えてもらったんだって。その人がこの石塔のひとつに眠ってるそうだから、わたしにはお墓っていうより神棚の感覚」

「お師匠さんもそうだった?」

「御杖先生は無信心だったから、宗教としてはなかったかもしれない。うちの工房には神棚がなかったでしょ」

「言われてみたら……」

「ずっとなかったのをいいことに、御杖先生も新たに置いたりしなかった。そのくせ鍛冶場に女——わたしのことね。たとえ弟子でも入れるのはよくないって言ってきた人には、『うちの金屋子神は入ってきた女に嫉妬するほど度量が狭くないんだ』とか都合よく返してたけど」

「女の神様なの?」

「男の神様って説もある」

「実は両方複数だったりして」

「あり得るよ。鍛治の神様は金屋子神だけじゃなくて、火之迦具土神ひのかぐつちのかみとか天目一箇神あめのまひとつかみとか稲荷神とかいろいろで、地方によって違ってる。だから御杖先生は気持ちの持ちよう次第だって思ってたみたい」

 思い出したのか静かに笑んだ。

「神様にはアバウトだったけど、この石塔は大切にしてた。伝えてくれた技術のおかげで良い鍬や鎌ができて、身を守るための刀も打てるようになった。その当時は農民も戦場に駆り出されたり、乱取り(略奪)から身を守らなきゃいけなかったからね。受け継がれた技があればこそ、こんな小さい鍛冶屋でも注文が絶えなくて、食いっぱぐれることない。言ってみれば、この人たちが他に類を見ないユニークな三輪の金屋子神だって」

「ここの石塔全部、鍛冶屋さん?」

「いや、農業とかいくさに優れていたりとかで、ここの土地に貢献した人たちや、その家族だって聞いた。無銘で記録があるわけでもないから、はっきりしたことはわからない。けど、ほかの人たちが大事にしてきたものなら、わたしも大事にしたい」

 環につられて、なんとなくで掃除を手伝っていたが、そう言われるとサラも気持ちが入ってくる。そんな遠い時代の技術を環が継いでいるのも感慨深かった。

「ご先祖さまを大切にしてるのはわかったけど、仏壇はないんだね」

「……そういえばないね」

「え、気づいてなかった?」

「気にしてなかった。わたしもたいがい無信心だ」

「神道のお仏壇みたいなの……なんだっけ?」

祖霊舎それいしゃ?」

「それもないってことは、お師匠さんはどこにお祀りしてるの?」

「御杖先生のお骨は弟さんが引き取りにきたから、地元のお寺じゃないかな。『教えた仕事を守ってくれたら、それが俺の供養になる。法要もなにもいらない』がわたしへの遺言だった。本当は……」

 環が石塔群を見やった。

「ここに一緒に埋葬されて、鍛冶場のそばで眠りたかったのかも。敷地内は法的にアウトだから言わなかっただけで」

「自由にみえて負担になるまいとしてた人だったんだね。お会いしてみたかったなあ」

「ひとが熟睡してる夜中に叩き起こして『酒買ってきてくれ。おつりでチータラとか酢昆布とか、環のオヤツ買ってもいいぞ』とかワガママ言ったりしても? 車の免許もまだ持ってなかったのに」

「そんな不用心なこと、本当に?」

「刃物は売るほどあるから護身用に好きなの持ってけって言ったのは、本気が入ってたと思う」

「自分の子どもだと思って甘えてたのかも」

「なんだろね。ほかの弟子たちには、そんな無茶言ってなかった。兄弟子がいたのは短い間でしかなかったけど」

 草抜きの手をとめて立ち上がった環が全身をのばした。

「ぶっちゃけ、弟子が逃げる条件がそろってた。三輪は早い時期からハンマーやグラインダーを取り入れてたそうけど、機械化できるとこは限られてる。きつい体力仕事のうえに、御杖先生は使える道具にこだわるばかりで、儲けや賞は二の次三の次。米櫃がカラになりさえしなきゃ、零細工房のまんまで構わないって節があったから。どうもこれ<三輪鍛冶屋>歴代の伝統みたい」

「そんな鍛冶屋さんに入って後悔してる?」

「全然」明るい表情で首を横にふる。

「弟子になったのは一人でもできる仕事が欲しかったこともあるけど、御杖源五っていう人間に惹かれたのが大きい。<三輪鍛冶屋>ができた中世の自由闊達な気風をもった人で、新聞沙汰になった施設の出身だった子どもわたしでも引きとってくれた。教えるときはスパルタそのものでも、暴力や暴言を使ったことは一度だってなかった」

「お師匠さんがいなくなったら寂しいよね。大きな家だから、よけいに」

「寂しくないって言ったら嘘になるけど、子どもの頃から一人でいることが多かったからね。今はサラもよく来てくれるし」

 サラはこの機にと考えていたことを切り出した。

「余ってる部屋、あたしに貸してくれない?」

 すかさず、もっともらしい条件もつける。

「ご飯つくるかわりに部屋代おさえてもらえたら、すごく助かる。誰かがいる家に帰るのって、精神的に落ち着けるし」

「駄目」

 即答だった。用意してきた白の桔梗を石塔に供えながら、その理由も続けた。

「ここいら周辺、たまにある家は空き家が多いし、ひとが住んでるお隣さんもカップ麺がふやける距離を歩かなきゃいけないんだよ。仕事あがりが遅いのに、畑ばっかりのとこから自転車通勤させられない」

「だったら車を買う。免許はとってある」

 財布は苦しいが、安い中古車ならどうにか手が届く。

「通勤事情だけじゃないの」

 環の視線がサラから逸れ、目元が厳しくなった。

「立ち退きが成立したら、また引越すことになるんだから、もったいないことしないで」

「成立しない可能性もあるよね?」

 サラも環の視線の先をみる。

 地味なサラリーマン・スーツの若い男と年配者が、先の路肩に停めた車から出てきた。こちらに向かって歩いてくるのは、立ち退き交渉に通ってくる<忌部いんべ造花生花店株式会社>の社員だ。

 今日はその背後に、よからぬ風貌を備えた二人が続いていた。

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