第2話 隔離されないつもりかよ
綺麗なお姉さんのキツネ耳姿なら、眼福だと思いながらいつまでも飽きずに見ていられる自信がそれなりにあるが、男友達のキツネ耳姿など、誰が好んで見たいのか。
いやまぁこいつは垂れ目気味だし、こいつ自身の趣味ではないが、年上のお姉さんたちから「庇護欲をそそられる」「可愛い」とそれなりに言われるくらいには、顔は悪くない。
きっと見る奴が見れば好んで見るのかもしれないが、俺が見たい姿でない事だけは間違いない。
「お前それ、キツネ症候群だろ」
急にやって来た友人・祐介にコーヒーを渡しながらそう言えば、彼は肩を落として身を小さくした。
こいつはかなり分かりやすい。
感情が言動にあからさまに出るある意味素直な奴だから、見るからにシュンとするのも、よく見た光景だ。
今はそれにキツネ耳が付いている訳で。
耳までショボンと下がったのを見て、俺は思わず苦笑する。
まぁ、落ち込むのも分からなくはない。
「かかったって、気が付いたのは」
「今日、朝起きたらこうなってて……」
という事は、今日から完治するまでの十日間、こいつは気軽に外出できない。
先程テレビのコメンテーターが言っていた通り、キツネ症候群の怖いところは、本人が意図せず奇行に走ってしまう事だ。
しかも、治療法が確立していない。
そんな状態で十日間、こいつは不便に不安と向き合わなければならないのである。
冷静でいる方が難しいだろう。
こいつは特に、ヘタレだから。
「まぁでもよかったじゃないか。罹ったのが、この病気の認知が大分進んだ今で」
今ある対抗措置と言えば、病院に連絡して隔離してもらう事くらいだが、それだって今だからこそある措置だ。
祐介は「そんなぁ」という非常に情けない声を出しているが、別に嘘でも意地悪でもない。
発症者が出始めた初期時期に比べれば、頼れる場所がある事や周りの理解も少しはある分、随分とマシになったと言える。
それに、少しでも掛からない努力ができるような病気なら未だしも、この病気はかかる原因が分からないのだ。
周りの人たちも、結構同情的に見てくれる事が比較的多いように思う。
少なくとも大学で聞く他の罹患者周りの噂話を聞くには、そういう印象だった。
社会人なら「仕事に穴が~」とか、色々と事情が生まれるが、俺たちはまだ大学生だ。
迷惑をかけるとすれば、精々がバイト先くらいの話だろう。
「お前がこれからやるべきは、まずバイト先に十日間の欠勤について話をして、それから一応実家の親御さんに電話。で、身支度をして病院に電話。あっちの指示に従って――」
これでも人生十九年のうち、十六年は一緒にいるのだ。
親御さんからは「祐介が東京で一人暮らしなんて、きっと不安で泣いちゃうだろうから、孝ちゃん、祐介の事、お願いね」なんて言われているような、親同士のご近所付き合い込みの、腐れ縁。
俺のところになだれ込んできたのは、一人でどうしていいか、分からなかったからだろう。
先ほど玄関でこいつの耳を見た時に、そんな事は容易に予想がついていた。
電話で聞くという手もあるが、どうせ一人が不安だったとか、パニックになってそこまで思いつかなかったとかだろう。
ともあれ、だ。
俺の役目はパニックのこいつに、今はもう別の話題に移ったテレビで、つい先ほどやっていた『キツネ症候群罹患者の隔離ガイダンス』の内容を、そっくりそのまま教えればいいだけ――。
「ダメなんだ!」
「は?」
言い切ったら、せっかく作ったのにまだ食べていない朝食のパンを一齧り。
そう思って持ち上げたパンを前に、口を開けかけた時だった。
祐介が、いきなりそんな事を言い出す。
「何がダメなんだよ」
「病院にはいかない!」
「隔離されないつもりかよ。たしかに病院に行ったところで、何か治療がされる訳じゃあないけどな、お前のこれからを考えれば――」
「だから、ダメなんだって!」
最初こそパンを食べる機会を損失させられて不満に思った。
次にしょうもない我儘を言うなんて、お前はガキかよと思った。
しかし呆れながら忠告する俺の声さえ強い声で否定した祐介の声に、流石の俺も適当に散歩させていた視線を相手に向ける。
祐介は俯いていた。
コーヒーカップには手を付けていない。
テーブルの上に置いてある両手はギュッと握りしめられており、僅かにプルプルと震えているようだ。
駄々をこねる事自体珍しい祐介が、俺の忠告を聞いても尚ここまで頑ななのは、かなり珍しい事だ。
いや、もしかしたらここまでなのは、初めてかもしれない。
十六年一緒にいて、初めての頑なさだ。
「何でダメなのか、言わないと何も分からないぞ」
少しだけ、真面目に聞く気になった。
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