キツネ症候群
野菜ばたけ『転生令嬢アリス~』2巻発売中
第1話 罹患者は幼馴染(男)
眠りを邪魔する目覚まし時計を、上から叩いて黙らせる。
時計を見れば、朝八時。
今日の授業は二限目からだから、十時半に着いていればいい。
「……しまった。昨日、二限目の前に用事があったから」
昨日と同じ受講スケジュールだからと、油断した。
俺はそう内心で独り言ちた。
いつもならあと一時間は寝ているのだが、一度起きてしまったからには仕方がない。
二度寝も一瞬考えたが、その結果寝坊する未来が見えたので、素直に体を起こす事にした。
別にたまの寝坊による欠席くらいで出席日数が足りなくなったりはしないが、似たような精神で怠けた結果、今正にヒーヒー言っている奴を知っている。
あいつの二の舞になるくらいなら、一度の早起きくらい許容範囲だった。
ベッドを出て、ノソノソと洗面所へと向かう。
顔を洗い、歯磨きをして、台所でケトルに水を入れてスイッチを入れ、冷蔵庫を開けた。
食パンを焼く傍ら、マーガリンを落としたフライパンを火にかけて、ベーコンを焼き、上から生卵を落とす。
トースターがチンッと音を立てたので、火を止め平皿に食パンを乗せ、フライパンを傾け上にベーコンエッグを滑らせた。
出来上がった朝食を片手にリビングに行く途中で、リモコンでテレビの電源を付ける。
<随分と社会問題になっております、キツネ症候群。コメンテーターの大西さん、どう思いますか?>
<えー、そうですねぇ。頭にキツネのような耳が生えるという事で、巷には『かわいい』『モフモフしたい』という声が多くありますが>
耳に滑り込んできたのは、そんなテレビの音だった。
平皿をテーブルに置いた俺がチラリと画面を見ると、いつも見ている情報番組の面々が、ちょうど『キツネ症候群』について話していた。
画面にはちょうど、罹患した人の写真が幾つか写されているが、老若男女、様々だ。
子どもや女性、優しげな老紳士やイケメンのキツネ耳姿に周りが色めき立つのは分かるが、この病気の発症は人を選ばない。
ヤクザのように厳つい顔の男や、地味目な普通の人にまで、発症すれば区別なくキツネ耳が付く。
<可愛いと思うかどうかは……まぁ個人の好みによりますが、見た目に騙されてこの病気を侮ってはいけません。キツネ症候群の症状に関する解明は、未だ完全ではありませんが、本人が無意識のうちに『キツネのような行動』と形容できるような奇行をしてしまうというのが、この病気の最も怖いところです>
席に座ろうとして、テーブルにコーヒーがない事に気が付いた。
おっと、淹れてくるのを忘れた。
さっきケトルのお湯が沸いていたのを思い出し、テレビから目を離し台所にカップを取りに行く。
<突然の奇行に周囲が驚くのはもちろんですが、それが原因で積み上げてきた人間関係が壊れたり、本人が後のその奇行を恥じて外に出られなくなるなど、症状そのものよりも、それによって引き起こされる二次被害と呼んでも差し支えないようなものに、悩まされる罹患者が続出し――>
コーヒーの湯気が香り立つカップを手にリビングに戻ってきた俺は、今度こそ着席しながら「難儀な世の中になったなぁ」とため息を吐く。
キツネ症候群。
そんなものがこのITの時代に、一時的とはいえ現実に生まれ、それによって悩まされるだなんて。
彼女が好きな現代ファンタジー小説群に、如何にもありそうな展開だ。
……いや、あれは神様だとかが出てくるような、和物のほのぼの寄りファンタジーだから、これとは別か。
テレビの中で今議論されている現象は、どちらかと言えばパンデミックホラーに近い。
厳密に言えばパンデミックという程爆発的に広がっているようなものではないのだが、キツネ症候群は今のところ『発生原因:不明、症状:情報収集中、治療法:不明、後遺症:個人差あり』の状態だ。
少なくとも飛沫などの接触によって感染するものではない事と、現在分かっている症状それ自体に命に係わるものはない事が、せめてもの救いか。
しかしそれは、逆に「いつ発症するか分からない」という事実でもある訳で。
<治療法はまだ定まっていませんが、十日で症状は改善するとされています>
十日で治るとはいえど、いつ何故発症するのか分からないというのは、ある種の興味だ。
なんせ自分の努力によって、発症を防ぐことができない。
そこがこの病気の最も厄介なところだろうというのが、俺の素人感想だ。
まぁ、SNSやテレビで見るだけで、俺の身近には今まで一人もこの病気になった奴なんていない。
だから、現実味はかなり薄いけど。
席に座り、皿の上のパンを手に取る。
まだ温かいパンとベーコンエッグを一口目から一緒に味わえるように、大きめに口を開け――ピンポーン。
玄関のチャイムが鳴った。
朝っぱらから誰だろう。
……とりあえず、一口食べてから――ピンポーンピンポーン。
「おい、孝也!!」
ドンドンドンドンと外からドアを乱暴に叩く音と共に、聞きなれた男の声が聞こえてきた。
この声はあいつだ、という予想はすぐについた。
元々騒々しい奴ではあるが、それにしったて今日は一段と煩いな。
「何だよ、近所迷惑になるだろうが」
この前ゴミの出し方や何やらで、お隣のおそらく一人暮らしOLさんにちょっと嫌な顔をされたばかりなのに、またあんな顔をされたらメンタルに来る。
仕方がなくパンを皿に戻し、俺は玄関へと向かった。
一人暮らしの1Kだ。
玄関でもテレビの音は、十分に聞こえる。
<その間の奇行は無自覚に現れ、人によっては『気付けば半裸で外出していた』などという事態もありますので>
「どうした、一体――うわっ?!」
コメンテーターの話声をBGMにしてドアを開けると、外からカーキー色のファー付きコートのフードを被った男が、なだれ込むようにして家に入ってきた。
必然的に、押し倒された形になる。
まぁ昔からこいつは感情のままに行動して、こういう迷惑を周りに掛けるのが得意な奴だ。
別に珍しい事でもないのだが。
「どうしよう俺! 隔離されたら困るぅ!!」
バッと顔を上げた彼は、涙目だった。
その拍子にフードが脱げた結果。
<罹患した際には速やかに最寄りの病院に連絡し、隔離病棟で過ごすようにしてください>
その友人にモフモフのキツネ耳が生えていたのを見れば、流石に驚かざるを得なかった。
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