第3話 真心ズッキュン♥風邪もたまにゃー悪くないの巻

 私の名前は真咲マサカ。身長149cm、体重39kgのお姫様体型な高校1年生。セットに40分かかる黒髪ツインテと、大きなピンクのリボンがトレードマークなのだ。


 風邪を引くと嬉しかったのっていつ頃までだろうか。時期は人それぞれだと思うけど、それって子どもの特権だと思うんだよね。学校は休めるし、お母さんは優しくなるし、おかゆとかアイスとかでお口が甘やかされるし、良いことずくめじゃない? まだ年齢が一桁台だった頃は私も熱出す度にウキウキしてたなぁ。


 で、なんでそんなことに思いを馳せているかというと……今、私が思いっ切り風邪引きさんだからなんだよね。


「……ぶぇっくし!!」


 私は寝室のベッドに仰向けになり、特大のくしゃみをかましていた。真上に飛散した唾が降って来るのを顔で浴びていると、体温計が脇の下で鳴った。液晶の表示は38.3℃。見事に発熱している。


「うぐぐ……これはツラい」


 昨日、体育で鼻血出してサヤ先生にヨシヨシして貰えたのはいいんだけど……放課後、蝶貴さんたちに連行されて制服のままプールに叩き込まれたんだよね。


――おーっほっほっほ! 小汚い地雷系にはぴったりの洗濯場ですわね真咲さん。ほらほら犬かきをなさいなわたくしのために! 沈まず200m泳ぎ切るまで水からは出して差し上げませんわよ。おーっほっほっほっほっほっほっほ……!!


 熱に浮かされた頭に、蝶貴さんの高笑いが響き渡る。オフシーズンのプールは冷え切った上にびっしり藻まで張ってて、足をつけるのも躊躇われるぐらいだった。そんな所で私は延々と着衣水泳させられたものだから、寒さと雑菌のために無事体調を崩してしまったというわけだ。


(蝶貴さん……サヤ先生に言い負かされて悔しかったんだろうなぁ。マサカに当たるのはいいけどさぁ、汚れ系のやつは勘弁して欲しいナ!!)


 病院に行く元気なんてあるわけない。学校へは自分で欠席連絡を入れ、フラフラしながらおかゆを作って何とか栄養を補給する。あとは市販の薬を飲んで睡眠あるのみだ。


(……ママの姿がどこにもない。そう言えば、今日は取材で遠出するって担当さんが言ってたような気がする。まあ、もし居たとしても私の看病なんかするママじゃないから関係ないけどね。療養は努力! お姫様は風邪だって自力で治すのだぁ……)


 なんて思いながら私がベッドに戻ると、机の上に置いてあるゴッドマサカリが目に入った。遮光カーテンの隙間から差し込んだ日光が金色の刃に反射して、私の目を射る。何か言われてるみたいで、ちょっとだけ不気味かも。


「……ゴッドマサカリさんゴッドマサカリさん、私の風邪を治してください。願わくば私を苦しめるこの発熱と倦怠感およびその他の感冒症状をあまねく取り去りたまえ。エイメーン」


 光の照り返しに向かって、私は思いつきの祈りを捧げてみた。おじいちゃん曰くこれは願いの叶う斧らしいけど……一通り拝んでみても私の体はちっとも楽にならない。私はアホらしくなってしまい、すごすごと布団に潜り込んだ。


(はぁ〜あ……学校なんて別に行きたくもないし、将来は王子様のとこに永久就職するから成績落ちようがどうでもいいけどさぁ……サヤ先生に会えないのは寂しすぎるよう! 私にとっての貴重な目の保養、日々の癒しを絶たれるのはツラい……)


 なんて思いながら寝返りをひとつ。


(先生今何してるのかなぁ……もしかしてまた蝶貴さんとバトってたりして? 蝶貴さんも元気してるかなぁ。今度のお仕置きは程々のやつにして欲しい……ナ……)


 思い馳せながら痰を飲み込む。


(ああ、サヤ先生……サヤ先生に会いたいな。どうせ片思いだってわかってるけど、せめて遠くから見つめて……たい……なぁ……)


 ああでもないこうでもない。そんなことを代わる代わる夢枕にのっけているうちに刻々と時間は過ぎていき……とうとう窓の外で陽が傾き始める。まだ髪も結んでないのに、今日という日はもう終わろうとしていた。


「うう〜……トイレ」


 流石に尿意に耐えきれなくなり、私は一度起きることにした。布団から一歩踏み出すと、寝汗を吸ったパジャマが体に冷たくまとわりついて来る。ついでに着替えもしなきゃならないみたいだ。


(まだ頭がクラクラする。こういう時一人ってしんどいなぁ。寂しくて、心細くて、世界に虐められてる気分になる……)


 私がそんな風に儚みながら用を済ませ、再び自分の部屋へ戻るべく廊下を横切ろうとした時だった。


 ピンポーン


 不意にドアチャイムが鳴った。ママが帰って来たのかと思ったが、恐らくそれはない。ママはピンポンなんて鳴らさず鍵を開けて入って来るからだ。よって来客なのは間違いないけど……誰だろう。


「ごめんください。マサカさんの担任の三上と申します。お見舞いに参りました」


 と、ドア越しに名乗る声が聞こえた。三上……サヤ先生!?


(ななな、なんでサヤ先生がうちに!? お見舞いって……わざわざ!?)


 予想外の事態にテンパりかけた私だったが、サヤ先生を外で待たせるわけにはいかない。ダッシュで玄関ドアに取り付き、鍵を開ける。


「いっ、いいいいらっしゃいませぇ!!」


「あら真咲さん」


 仕事帰りらしくジャージの上にウインドブレーカーを羽織ったサヤ先生が、ドアの隙間から微笑んだ。


(ひいんっ!! 先生、本日も笑顔が素敵だよう〜!!)


 兎にも角にも私は彼女を迎え入れ、居間のソファーへご案内した。ついでに良さめのお茶なんか入れちゃって、お菓子と一緒にお出ししちゃう。


「そそそそ粗茶ですが」


「あ、ありがとう。でも大丈夫? 具合悪そうなのに……無理しなくていいのよ」


「い、いえっ。先生を相手に礼は失せませんし……そのぉ、お顔が見られてちょっと元気が出ましたので……へへっ」


「そうなの?」


 サヤ先生はちょっと困惑気味だけど、私の出したお茶を遠慮がちに一口飲んでくれた。少し肩をすくめた可愛い飲み方……先生ってこんな風にお茶飲むんだ。先生の向かいに腰掛け、私も湯気立つ玉露をぐいっと呷る。舌を火傷したけどその痛みは気合いで耐える。


「とりあえず、これは今日の配布物ね。落ち着いた時に目を通しておいて」


 そう言いながら、サヤ先生は数枚のプリントをテーブルに広げて見せた。私がそれを見るでもなく見ていると、不意に先生の表情に影が差した。


「それと……ごめんなさい」


「えっ?」


 何のことだろう。先生が私に謝ることなんてあるのかな。


「蝶貴さんのこと。あの後真咲さんが報復に遭ったって、他の子から聞いたわ。本来ならわたしがちゃんと注意してなきゃいけなかったのに……本当にごめんなさい」


「あ、あー……」


 頭を下げるサヤ先生に、私は思わず曖昧な相槌を返した。


(参ったな……まさか先生がそんなことに責任感じてくれてたなんて。でもそれでわざわざお見舞いに来てくれたんだぁ。やっぱり先生って優しいなぁ)


 間を持たせるようにお茶をすすり、私は目の前にある事実を反芻する。病気で心細い時に、憧れの人が駆けつけてくれたというこの事実を。


(……やばい、ちょっと嬉しすぎるかも! 先生がちゃんと私のことを見てくれて、気にしてくれて……そんな優しくされたら、私は、私わわわわわわ)


「蝶貴さんとは一度話をするつもりよ。クラスのリーダーでしっかり者で、決して悪い人じゃないのに、どうして真咲さんにだけキツく当たるのか……彼女の口から聞く必要があるもの。理由がわかれば、今の問題も解決するかもしれないしね」


(サヤ先生……好き……大好き……やっぱり無理だよ、抑えきれない。遠くから見つめるだけなんて絶対に嫌だよう! 好き、好き、好きが溢れて……とてつもなく好きっ)


「私みたいな新米先生、頼りないかもしれないけど……せめて真咲さんが学校で過ごしやすくなるように努力するわ。だから、真咲さんも何か困ったことがあれば相談して欲しい。一人で悩む前に、包み隠さず私に共有して欲しいの」


(その髪、その指先、その瞳……言葉を紡ぐその唇も……あらゆる部位が全て好き。先生の全部が全部、私にとっての最高級部位なんだもん! ああ今すぐ食べたいむしゃぶりつきたい……いやむしろ食べて欲しい! 磨きに磨いた私のカラダをサヤ先生の可愛いお口でむしゃむしゃして欲しいでひゅうううう)


「情報が共有されていれば、対策も立てやすいでしょう。私はね、クラス全員が誰一人欠けることなく卒業できるよう願ってるのよ。だから真咲さん、あなたも協力してね? 実は誰にも言えず苦しんでました~みたいなのは、絶対ナシにしましょ?」


(いいよね、もう我慢しなくても、いいよね!? 教師と生徒っていうと禁断の関係っぽいけど、ここに居るのは愛に飢えたお姫様と、お耽美レズビアンの王子様、要はそれだけじゃない!? ここで頑張らない理由、特になくない!?)


「……そうよ、よりによって私のクラスから不登校児なんて洒落にならないもの」


(私にだって……権利はある!!)


「えっと……真咲さん、聞いてる?」


「ひゃいっ!?」


 サヤ先生に顔を覗き込まれ、私はソファーから1cmほど飛び上がった。どうやら内なる衝動と対話しているうちに私は黙りこくっていたようで、サヤ先生がその間ひたすら話しかけてくれていたらしい。やっべぇ全然聞いてなかった……でもまあいっか。サヤ先生のことだから多分良いこと言ってたんだよね。


「だ、大丈夫です。オールオッケー! お言葉、胸に染み渡りましてございまひゅ!」


 海軍式の敬礼と共に、極めて適当な返事を返す私。サヤ先生は一瞬怪訝な顔をしたようだったけど、すぐ「そっか」と微笑みを浮かべてソファーから立ち上がった。


「じゃあわたしはこの辺でお暇するわ。真咲さんはゆっくり休んでね」


 まずい帰られる。折角、頑張るって決めたのに。


「ま、待ってぇ!!」


 私はソファーから跳ね上がるように腰を上げ、サヤ先生の上着の裾を掴んだ。そして、驚いてよろける先生の顔を上目遣いで見上げ、渾身の鼻声で攻勢に出る。


「あ、あのぉ……サヤ、先生? 私〜……実は今すごい汗かいてましてぇ〜……カラダ冷え切っちゃってるんですぅ。タオルで拭こうにも熱でままならなくて……とっても困っててぇ……んっ……良かったら〜手伝って貰えませんかぁ〜?」


 痰が絡んで危なかったけど、何とか決まった。夜な夜な練習した、私の必殺媚び媚び誘惑ボイス。さあ王子様の反応や如何に。


「え……ええっ? 真咲さん、どうしたのいきなり……」


 引かれたかな。いや、足を止められただけで充分だ。


「お願いしますぅ……私、ママが留守がちだからいつも寂しくて……今日もひとりぼっちで苦しくて、心が壊れちゃいそうでぇ〜……先生だけが頼りなんですぅ」


 嘘は言ってない。実際かなりメンタルヘラってたからね!


「そ、そう……ツラいわね。でも……ごめんなさい。そこまでするのは悪いわ。わたしはあくまで先生だもの、最低限の節度は守らなきゃ」


 そう言って私の手を振りほどくサヤ先生。流石に真面目だ。その理性の壁……私が壊す!


「先生っ!!」


 私は一歩踏み出し、サヤ先生に思い切り抱きついた。柔らかさの向こうに確かな芯を感じる彼女の胸に全体重を預け、そのまま自分のパジャマのボタンを外していく。


「ま、真咲さんっ!? 何して……っ」


「……焦ってくれるんですね。嬉しいです」


 不意に、声色を平静に戻す私。そしておへその下まであるボタンを全て外し、襟を寛げてパジャマの上を脱ぎ去る。今日はたまたまキャミソールとか着けてなかったから、レースをあしらった桜色のブラが直でお目見えだ。


「節度なんて……そんな寂しいこと言わないでください。私、サヤ先生になら何されてもいいです。体を拭いてもらうことも……もっと他のことでも」


「……っ! 大人をからかわないで」


 私の真珠のような肩や、慎ましい曲線で描かれた胸の谷間から目を逸らす先生。でも、その可愛い強がりが既に語るに落ちてるんだよねぇ。今、楽にしてあげちゃうんだよねぇ。


「好きです、サヤ先生。先生のこと、私全部受け入れますから。先生が好きにしていい女の子……ここに居ます、よ?」


 私はそう言って先生に密着し、胸を押し付けて彼女の回答を待った。先生は私の告白を聞いて息を呑んで……しばらくそのまま固まっていた。


「……本気で、言ってるの?」


 ややあって彼女の唇が言葉を紡ぎ、最後の問いが発せられる。いや、もうこれは質問なんかじゃない。言わば形式上の意思確認。最早、彼女の中で決定的な一線は踏み越えられた後なんだ。私は歓喜に打ち震え、サヤ先生を見上げて言葉を返す。


「はい! 私、真咲マサカはサヤ先生に身も心も全てを捧げふぎゅうっ!?」


 と、私がまさに夢見たお姫様になろうとした時だった。サヤ先生が私の頭を右手で鷲掴みにし、体育教師特有の腕力で我が身から引き剥がした。何が起こったのかわからず目を白黒させる私の前で、先生が地の底から響くような溜息を発する。


「あ゛〜〜〜〜〜……またこのパターンかよぉ!! クソが!!」


「!?」


 ドスの利いた声。そして普段の彼女からは考えられない乱暴な口調。据わった目。そこから私は悟った……自分がとんでもない勘違いをしていたということを!


「どいつもこいつもぉ!! こっちがビアンだってだけで自分に権利があるようなツラして寄って来やがる。挙げ句、教師相手に告白だぁ!? ふざけんじゃねーよ人の迷惑も考えず自分に酔いやがって……お前らガキはホントどうしようもねーな!!」


「え……あ……あう……」


 こめかみにアイアンクローを決められたまま、真正面から怒号をぶつけられる私。既に泣きが入っているのがわかってもらえるだろうか。


「だからビアン公表すんのなんて嫌だったんだよ!! それをあの教頭が人権教育の一環だとか言ってゴリ押すから……おかげでわたしは周りから舐められるわ、フッたガキのフォローに追われるわ、手当もつかねー精神作業に耐えてんのよ!! てめーの気持ちを押し付ける前に、そういうことを一度でも想像したか? どうせしてねーよなぁ、てめーみてぇな自己陶酔女はよぉ!!」


「ち、ちが……私は……!」


 違う。私の気持ちは自己陶酔なんかじゃない。私は本当に先生のことが好きで……私の王子様になって欲しくて……


「わ、た、し……は……っ」


 その続きは言葉にならず、荒れ狂う先生の息遣いの合間に消えた。


「大体なぁ」


 先生が右腕を振るい、私をソファーの上に投げ捨てる。私を見下ろすその目はとても冷たくて、明らかな侮蔑の色が窺えた。


「てめーが遺伝上たまたま女だった程度のこと、こっちにゃ何の価値もねーのよ。据え膳なら何でも喰うと思ったのか知らねーけどよ……あんま人を馬鹿にすんじゃねーぞ? 」


 やめて。


「それとも何か? いちいち構ってやったからのぼせたんか? じゃあ、てめーが何かやる度なんでわたしが飛んで行くか教えてやるよ。クラスで浮いてるてめーは要注意生徒として職員会議に上がんのよ!! 不登校の黄色信号出てんのよ!! だから時間外でこうして見舞いにも来てやったしこれからもケアしてやるつもりだよ!! 逆に言えばただそれだけに過ぎねーの!!」


 お願い。やめてよ。


「わかってねーようだからハッキリ言うけどよ。てめーはクラスに波風立てる異物で、わたしの仕事を無為に増やすお荷物でしかねーんだよ。そこんとこ自覚してちっとは謙虚に生きろや。そしたら苛められねーで済むかもしれねーだろうが」


 そんな風に言われたら、私もう。


「……チッ。こんなつもりじゃなかったのに、取り乱しちまったじゃねーか。じゃあ今度こそ帰るからな。熱下がったらちゃんと学校来いよ。それから蝶貴の馬鹿と二度と揉めるんじゃねーぞ。アイツが絡むとめんどくせーから……」


 と、サヤ先生がぼやきながら居間を出ようした時だった。


 キィン


 独特の風切り音を立てて黄金色の光芒が部屋を横切り、床すれすれを走って先生の足元を掠めた。


「いっ……!」


 彼女が違和感に気付き顔をしかめた次の瞬間、その両足首の後ろ側がパックリ裂けて血が噴き出した。


「ぎっ……ああああああああっ!!」


 遅れて来た激痛に、サヤ先生が悲鳴を上げる。それと同時に彼女のくるぶしより先は力を失い、支えのなくなった体が前のめりに倒れ込む。


「あっ、あっ足……わたしの足ぃぃぃ!! なんっで……だよぉ……!! クソぉ痛え〜〜〜〜!!」


 フローリングを血で汚しながらのたうち回る先生。その上空で回転しながら浮遊しているのは、ご存知ゴッドマサカリだ。


「……ひどいですよ、サヤ先生」


 頂点に達した私の失意は、切なる願いとなってゴッドマサカリに届いた。そしてこの不思議の斧は置いてあった部屋を飛び出して居間に飛来。サヤ先生の両足の腱を切り裂いて逃げる術を奪ったのだ。


「こんなに好きなのに……私のことそんな風に思ってたんですね」


 そして今、アクセ大から手斧のサイズまで巨大化したゴッドマサカリが私の手に握られた。血の滴る凶器を引っ提げて迫る私を見て、サヤ先生が恐怖に顔を歪める。


「や、やめろっ……なんだよそれ!! 助けてっ……助けて!! 誰かぁ!!」


 叫んでもこの家には他に誰も居ない。年収8桁の人気作家であるママがおっ建てたこの家は防音に優れてるから、外の人が声を聞きつけることもないだろう。それでも先生は、腕だけで這いずって必死に逃げ出そうとしている。そんなに私と居るのが嫌なのかな。リビングの戸口へ向かうその可哀想な背中に、私はどっかりと跨ってあげた。


「がはっ!……ぐっ、真咲てめっ、ふ、ざ、け……っ!!」


「ふざけてるのは先生の方でしょ」


 そうだよ。お姫様体重の私に乗られたぐらいでもう前に進めないなんて、全く失礼しちゃうナ! 私はそんな先生の後ろ髪を指で掻き分け……露わになった白いうなじに斧の刃先をそっと当てた。


(あっつくなぁ〜〜〜れっ♥)


 そう願うや否や、ゴッドマサカリの刃がほんのりオレンジ色に発光し、電熱線のように熱気が上がる。


「あっ……いぎっ!……あ、あ、ああ゛つ゛っ゛!! 熱い熱い熱い熱い熱い!! やめてえええええええっ!!」


 先生が苦悶の叫び声を放つ。こないだ美々美ちゃんを葬った爆発のようなエネルギー、それの出力を落としてやってみた。即席の焼きごてみたいな感じだけど、そんな生易しいものじゃない。多分これでも鉄を溶断できるぐらいの高温だから、先生がもがく度にうなじの皮膚が破れ、肉が裂かれ、刃が下へ下へとめりこんでいく。これがもし脳神経や骨を断ち切ってしまったら……先生の命は終わる。


「サヤ先生……私、本当に先生が好きなんです。先生のためなら何だってできるし、運命だと思ってるんです。だから……言ってください。私のこと好きだって! 私の王子様になってくれるって!」


「うぐぐ……うあっ、あああっ!……おおおおてめーおかしいだろ!! 頭沸いてんじゃねーのか!?」


 急所を焼き焦がされる痛みでぐちゃぐちゃの顔になりながら、先生はなおも私を罵倒して来る。沸くも何も、このままだと全身の血液が沸騰して死に至るのは先生の方なんだけどね。傷口からの血が出たそばから泡になってぱちぱち弾けてるのに気付いてないのかな。


「このイカレ女!! 人殺し!! こんなことしてもてめーのことなんか誰も好きになんねーよクソが!! わかったら馬鹿なことをやめてそこをどきやがあぎっ……ぐっぎゃああああああああっ!!」


「そんなのわかんないじゃないですか」


 先生が余計なこと言うから、ゴッドマサカリの加熱温度が上がっちゃったよ。傷口から吹き上げる蒸気がものすごいことになってるし、刃自体も結構深く刺さって来てる。相当痛い筈だしそろそろ命に関わると思うんだけど、私と付き合うのそんなに嫌かな? もしそうならかなりショックなんだけど……違うよね? もしかして教師としてのコンプラは命より重いとか? う〜ん手強い。手強いよサヤ先生。


「やめ、やめて……お願い助けてっ……ころっ……殺さないでください……っ!!」


 などと考えていると、とうとう先生から泣きが入った。ドキン、と私の心臓が期待に跳ねる。


「……死にたく、ないですか?」


 私は逸る胸を押さえながら、慎重に彼女の意思を確認する。


「それじゃあ……どうすればいいか、わかりますよね?」


「なるっ!! てめーのこと好きになるよ!! 王子様になるからっ……だからっ……死にたくない!! 死にたくないよおっ……!!」


 言った。


 言ってくれた。


 サヤ先生が、私を好きって言った。私が皆まで言わなくても、食い気味に言ってくれた。私の……私だけの、王子様になってくれるって。


「わ……わわ、わぁ……!!」


 念願が叶った喜びが私の全身を震わせる。頬が紅潮して、涙が出て来て、この喜びを表現したい気持ちが溢れて来る。


「ば、ん、ざ……い……」


 震える唇で確かめるように快哉を発し、私は昂る感情のままに両手を突き上げた。


「ばんざーーーーーーーーーいっ!!」


 ストン


「え?」


 軽い音がした。お刺し身の短冊をスライスする時のような、少し湿った剥離音。私はハッとして自分の手を見た。その手にゴッドマサカリは握られていない。バンザイを叫んだ時、無意識に手放したんだ。


(ま、さ、か……)


 サヤ先生の声がしない。さっきまで苦痛に悶え泣きじゃくっていた彼女の声が、今は全然聞こえない。私は恐る恐る、眼下に横たわる彼女に目を落とした。


「あ、ああ……せ、せんせ……っ!?」


 不思議の力で赤熱したゴッドマサカリはあまりに熱かった。そしてあまりによく切れすぎたんだ。先生のうなじにあてがわれたまま持ち主の手を離れたゴッドマサカリは、その切れ味のままに彼女の肉を、神経を、骨を次々に溶断した。そう、例えるなら氷塊の上に乗せられた1000℃の鉄球のように……自重に任せ、彼女の首を完全に切断。夥しい出血を赤い煙に変えながら、それはフローリングの床に突き立っていたのだった。


「ひっ!!」


 胴体と物別れになった、サヤ先生の頭。横向きに転がったその顔が見られない。乱れた横髪の間から覗く、最早瞬かぬ目が見られない。見たくない。私は弾かれたように骸の上から飛び退き、動揺するまま床の上にへたり込んだ。


「やっ……ちゃっ、た……」


 殺っちゃった。そんなつもりじゃなかったのに。そんなこと願ってないのに、ただただ私の不注意のためにサヤ先生はその命を絶たれた。折角、私のことを好きになってくれたのに。ようやく巡り会えた、私の運命の王子様なのに。その人を私は自らの手で殺めてしまったんだ。


「ご、め、ん、な、さ……」


 罪の意識か、悔恨か、名前のない感情がお腹の中を駆け巡り、口を突いて飛び出して来る。


「……ごめんなさああああああああああああああああああああああああい!!!!」


 失ってしまった。遂に掴みかけた幸せを、永久就職先を、私はむざむざ失ってしまったんだ。


「今のナシにしてくださあああああああああああああああああああい!!!!」


 こんなの嫌だ。こんな結末、認めたくない。私はさっきまで王子様だった骸の前に這いつくばり、喉も枯れよと叫んだ。


「生き返って……生き返ってくださあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああい!!!!!!」


 それはまさに切なる願い。絶叫する私の姿を鏡映しにして、ゴッドマサカリがまばゆく輝き出した。


「な、なにっ」


 面食らう私の前で、ゴッドマサカリは黄金の光を放ちながら宙へと飛翔。柄を軸にしてぐるぐると回り始めた。スプリンクラーにも似たその回転に従い、光の粒子が雨のように振り撒かれる。その雨はサヤ先生の骸の上いっぱいに降り注ぎ、雫の落ちた所を次々と発火させていく。美々美ちゃんを燃やし尽くした、あの青い火だ。


「だめっ、消えないで!!」


 私は慌てて骸へ駆け寄ったけど、すぐに様子が違うことに気付いた。


「って、消えない……?」


 青い火はサヤ先生を消し去ることなく、ただ包みこんで守るように燃え盛っている。そしてそのゆらめきの中で、先生の体が再生されていく。足の傷が糸で綴じるように塞がり、胴体から離れた首の血管が、神経が、骨が引き寄せられるように繋がっていき……とうとう首そのものが溶接されるみたいに綺麗にくっついてしまった。


「うそ……こんな、こんなことって」


 眼前で起きる奇跡の業に慄きつつも、私は固唾を呑んで見守った。すると……ああ、すると……虚ろだった彼女の瞳が俄に潤み、びっくりした時のように瞼が瞬いた。やがて手や足の指先も目を覚ましたようにピクピクと動き始めて、とうとうサヤ先生は床に手を突いて起き上がった。


「……ほぇ」


 ぺたんと座り込んで、惚けたような声を出す先生。信じられない。とても信じられないけど、生き返ったんだ。


「しぇ、しぇんしぇ……サヤしぇんしぇえええええ!! うわああああああん!!」


 私は感情の溢れるまま、先生の胸に飛び込んだ。でも何て言えばいいんだろう。おめでとう? おかえりなさい? ありがとう……はちょっと違うか。それとも謝った方がいいのかなぁ。


「先生! せんせ……私、私……っ!」


 今の気持ちはとても言葉に表しかねて、私はとりあえず先生の引き締まったお腹に顔をスリスリして感触と匂いを確かめた。


(ああ〜〜でも、これ怒られるかも。先生にとって私はナシ寄りだってさっきわかっちゃったもんね。こんな、運命のお姫様にしか許されないようなスキンシップは……)


 と、私が冷静になりかけた時だった。


「……ぎゅ〜〜〜〜〜」


 突然、先生が腕を回して私の体を抱き締めて来た。


「ひゅいっ!?」


 あまりのことに呼吸が止まりそうになる私。懸命に酸素を吸いながら先生の顔を見上げると、彼女は私をすっぽり抱いたまま優しく微笑んで……こう言った。


「大好き、だよ。わたしの素敵な……“お姫ちゃむ”」


「は、は、はわあ……っ!!」


 凄い。凄いよ。サヤ先生が私を大好きって……私のこと、お姫様って! 言ってくれた! 微妙に発音怪しかった気がするけど、確かに言ってくれた……今度は刃物で脅したわけでもないのに!!


「はい……はいっ! 私も大好きですよ、サヤ先生! 私の……私だけの王子様!!」


 サヤ先生をきつく抱き締め返し、ぬくもりを感じながら私は思った。これがゴッドマサカリの力なんだ。持ち主が心の底から願ったことを、その時のやり方で叶えてくれる。私が殺意を抱けばそれは凶器になるし、証拠を消したいと思えばそのようにしてくれる。そして、一度死んだ人間を私の愛の虜に変えて蘇らせることだって。


「ずっと一緒に居ましょう! この世の終わりまで……死が二人を分かつまで……約束ですよ、先生っ!!」


 おじいちゃんからの贈り物は、素晴らしい祝福だった。この無類の願望器があれば、私は本当に己が生を楽しめるようになるかもしれない。


(私は……幸せになれるかもしれない!!)


 急に目の前が開けたような気がして、私は無上の喜びを噛み締めたのだった。


「うん、ずっと一緒。わたしがいつも居てあげるね。“お姫ちゃむ”の側に」


 睦言をささやくサヤ先生の首周りには、溶接痕みたいなケロイドがぐるっと残っちゃっている。ちょっとグロいから、後でチョーカーでも着けて貰おっカナ!


《つづく》

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地雷系の私は“願いを叶える斧”で幸せになる 〜Pretty Legendary MASAKARI Massacre〜 @mirrormanfan1993

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