第10話 そして、寝酒会
車中で合流した4人の紳士たちは、食堂車のすぐ後ろの車両に戻った。青木氏は自分の寝台のカーテンを開き、同行者の荷物を彼の側に移動させた。
「ぼくらはこちらのテーブルを使いますから、平沼さんと片山さんは、それぞれ通路側のテーブルを開いて使ってください」
この寝台車には、窓側だけでなく通路側にもテーブルがある。要は上段寝台の客が座席利用時に使えるようにとの配慮。窓側には上段寝台への梯子があるが、そのはしごと窓の間には、なぜか大きめのテーブルが備え付けられている。急行列車や客車の栓抜付の小ぶりなものでなく、弁当の二つくらいは置けるほどの大きさ。
横幅70センチながらも、縦幅約2メートル。起きて半畳寝て一畳という慣用句があるが、向かい合せの通路を除けば、まさにその寝て一畳を地で行くスペース。これだけもあれば、ゆったりと話もできるし飲み食いも出来ようものである。
「私ね、下りの1号じゃあ鳥取着が早すぎますから、東京まで出張した後は大体いつも松江まで乗って松江の営業所に寄って視察して鳥取に戻るようにしています。なんせ山陰は商圏が小さいですし、うちは鳥取の支社と松江の営業所の二つアジトを設けとりますから、どっちも見ないといけませんでね。でもまあ、それこそ中小零細企業の社長や幹部みたいに、一人でどんな仕事もしなきゃいけないというほどのこともないのが救いと言えば救いですね」
片山氏もまた、この出雲号を年に何回かは利用している。
「私も片山さんに近いことをやっているといえばやっています。米子ね、あそこは鳥取県でしょ、あそこまでは。ですから、東京の会議の後は米子あたりの視察を必ず入れるようにしています。大体皆さん、鳥取と米子は県の端と端でしょうが。状況も雰囲気も違いますからね、鳥取からだけでは見えないものもありますから」
ここで、東大鉄研OBの青木氏が二人に尋ねる。皆さん既に缶ビールで乾杯し、さらにイカのつまみをつまみながらの話。
「ところでお二人とも、鳥取におられるはずなのに、東京の帰りは米子や松江まで乗るということは、まさか、3号ではなく1号に乗って食堂車に通いたいからだとか言いませんよね?」
「なるほど、片山君や平沼さんのような人がいるから、出雲1号は余計に混雑するというわけですな」
作家氏の弁に、思わず吹き出しそうになった平沼氏。図星だったのだろうか。一方の片山氏は、平然とビールを置いたまま、今度は日本酒のワンカップを開く。
「そらそや内山君。あんな三段の蚕棚なんかに浴衣もなしに横になって行けるか。どうやら最近は秘かに浴衣のサービスもやり始めたようだけど。でもま、食堂車があれば2食は行けますから。頭打ちかねんカイコダナに横になっても仕方ないですよ。まさか、平沼さんもそれを・・・」
「そうですよ。片山さんのおっしゃる通り。ぼくら利用者からすれば、食堂車あった方がいいに決まっている。青木君の会社には申し訳ないけど、そこはどうしても考えてしまうものでしてね。それからそのカイコダナの御指摘もそうですよ。何も個室を寄越せとは言わないけど、せめてこうしてゆったり座って飲めるくらいの場所は欲しいですな。あくまで利用者の素人考えのぜいたくかもしれないけど、このくらい言わせてもらっても、バチは当たらんでしょう」
平沼氏もまた、ビールを置いてワンカップを開けて日本酒を飲み始める。ここで青木氏が、ビールを飲みかけのまま窓側のテーブルにおいて熱弁を振るい始めた。
皆さんのご要望はもう、痛いほどわかりますわ。
ですが、食堂車につきましては現在弊社では縮小の方向でやっとります。
新幹線のほうは仕方ないですが、在来線に関しましては、合理化も去ることながら人手不足もありましてねぇ。
何も内山君や片山さんのような「人材」までは要求しないにしても、平沼さんのような怖くてお偉い方なんて大贅沢は申さないにしても、人がいないンだよね。人が。人がいなけりゃ料理をする手も料理を運んでくる手もない。人の手がまったく不足しておるンです。今時の若い人らは、こんな暗くて揺れるような場所で長時間立ちっぱなしどころか歩き回らされる仕事なんて敬遠しますから。
ほら、ぼくらが若い頃を思い出してみてくださいよ。
あの頃の中卒の子ら、金の卵とか何とかもてはやされていたでしょ。高卒ならなおよし。ぼくたちのように東大でも岡大でもいいけど、大学なんか行くようなのはほんの一握り。一握りと言っても戦前よりははるかに大衆化された学問の場でしたが、こちらは正ではなく言うなら破格の破でしたからね。今や、こっちが正に近づいて向こうが破の状況になりつつあるではありませんか。
実はここだけの話、新幹線にしても、いつまでも営業できないでしょうね。それは皆さんそうでしょ、あれは人手だけではなく、水も使うし電気とはいえ火を呼び込むような設備も大いに使うでしょう。そこを座席車にしたら、何十人もの客に座って移動してもらえるわけですよ。うちの会社的にはそのほうが売上は確実に上がりますからね。そういう方向に持っていくことも、一部ではすでに検討を始めています。
私個人としてはなんだか寂しさを感じないわけでもないですが、まあ見ていてくださいよ、20年もすれば、新幹線もかなり変わりますよ。これは国鉄改革が行われるかどうかにかかわらず、必ず、変わります。ええ。
そこまで言って、青木氏は残ったビールを飲み干した。
列車は豊岡を21時26分に定刻で発車した。ハイケンスのセレナーデをアレンジしたのオルゴールの音とともに車内放送が始まった。時刻は21時30分を少し回っている。次は、福知山。定刻で22時27分着の3分停車である。
彼らの話は、益々盛り上がっている。しかし、上段寝台には客の乗車はない。
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