第7話 山陰おこわでビールは進む 1

 4月の夕暮れは、伯耆富士とも呼ばれる大山を赤く照らしている。対してこちらは少し明るめの青色を塗られた客車。全車両に2本の銀帯が巻かれている。先頭の機関車はこれまた朱色に近い赤。その前につけられたヘッドマークは、赤字に白の雲をつけられ、その下に

「出雲 IZUMO」

と書かれている。まさにそのヘッドマークや機関車の色に染まる時間は、朝と夕方のほんの一時だけである。その一時の色・赤こそが、この列車のテーマカラーなのである。その赤は、他の寝台特急のヘッドマーク以上に鮮烈な色合いである。


 食堂車では、先ほどの40代後半の紳士たちにおこわ定食が提供された。彼らは少し酒を飲むペースを落とし、付け合わせの小鉢をつつき、ときに腹を満たすべくおこわをつまむ。まさにこれ、酒飲みのだらだら食いとでも言いたくなるような食べ方ではある。かくして、食も酒も列車と共に順調に進んでいく次第。

 おこわ定食が来たと同時に、彼らは開いた瓶をウエイトレスに下げてもらうとともにもう1本頼んでいる。最初に来たもう1本も程なく空になり、さらにもう1本ビールを追加注文した。


「それじゃあ、ここまでで一応会計してもらって、領収書下さい」

「かしこまりました」


 これは内山氏の名義で領収書をとるのであるが、取材ということで出版社からの経費になるそうな。ただ、あまり高額になると難色を示されるので、そこはほどほどのところで抑えておくのがコツ。

 というのは、実は建前。実際は、1人当たり一定額を超えた際に飲食額の1割となる地方税である料飲税を逃れるようにするためという意図も、ないではない。

 そろそろ、腹もほどほど一杯になってきた。ビールも、列車の揺れもあって、五臓六腑によくしみ込んできた模様。それに比例して、リラックスがもたらされる。

 気が付くと、列車は倉吉駅に。ここでもまた、いくらかの乗客がある。食堂車はすでに全テーブルが埋まっている。そろそろ、相席も発生しそうなくらいの混雑具合になってきた。倉吉を出ると、次は鳥取。19時48分着で3分停車。

 倉吉駅を過ぎたあたりで、彼らより少し年長の背広姿の男性がやって来た。


「相席、よろしいですか?」

 ウエイトレスが声をかける。

「ああ、どうぞどうぞ」

「それでは、通路側、失礼しますね」

 新客の男性は、進行方向に向かって通路側の席に腰かけた。向いの男性が、びっくりして声をかける。

「あ、平沼さんじゃないですか」

「そういうあなたは、何だ、青木君じゃないか」

 ウエイトレスにはすでに注文を出している。程なく彼の元にも、ビールがやって来た。彼もまた、山陰おこわ定食を注文している。

「で、青木君、私の横にいらっしゃる方は?」

「作家をされている、内山定義さんです。私が国鉄に入って岡山にいた頃からのお付合いでして、今日は取材と出版社の打合せを兼ねて東京に行かれるとのことで」

「はじめまして。ワタクシ、内山と申します。学生時代はペンネームで官能小説を書いておりましたが、今はもう本名で執筆しております」

「内山さん、初めまして。私、平沼武志と申しまして、今年より鳥取県警の本部長で赴任いたしました。明日は警察庁の会議がありますので、用のあった倉吉からこの列車で出張です。実はね、私も出身は岡山です。とは言いましても、県北の津山ですけどね。内山さんは、どちらです?」

「私は、倉敷です。S高校から岡大の文学部の院まで参りまして、作家家業をずっとやっております。平沼さんは、青木君とはどういうお知り合いで?」

「彼は東大法学部のゼミで3期後輩になります。普通ならそれだけ離れれば接点があるとは限りませんが、うちのゼミは結構先輩後輩の接点が多い方でしてね、それで彼も存じ上げているわけです。実は、彼に国鉄を薦めたの、私です」

「ほう、それはまたなぜ?」

「もっと申しましょう。彼に鉄道研究会に入ることを薦めたのも私です。あの頃はほら、岡大もそうだったでしょうけど、うちらなんかもう、安保云々で学内が政治色に染まっておりましたでしょ。そこを逃れる方法はないかと考えまして、たまたま研究室に来ていた1年生の彼に、それなら鉄研なんかいいのではないか、あそこなら、政治的な動きを強要されることはないし、何でも彼らはこのデモの盛んな時期に新線建設の現場を見学に行ったほどですから、そりゃあ、そこまで逃げれば大丈夫だってことでね」

「実はその教授、弁護士をされている先輩の知合いでして、東大に合格したらまずは挨拶に行けと言われていたの。それでね、早速行ったら、当時4年の平沼さんにたまたまお会いして、そんな話になったわけ」

「なるほど。しかし、こちらの平沼さんにお会いしていなかったら、青木君もどこかのセクトに入ってデモに行って何やらやっていたかもしれんですね。国鉄に入社できるどころか、な話になっても、ね」

「そう。私ね、彼に最初にお会いした時、それを心配したンだ。この青年はああいう世界には向きそうもないなって、すぐわかったの。だからね、ぼくの同期にいた鉄研の会員に頼んで、彼を入れてもらったのよ」

「それはいいですけど、青木君は当時から言うなら鉄道マニアみたいなことは?」

「それはなかったですね。ですけど内山さん、なんで彼に鉄研かと言うとね、鉄道のことを知っておけば国鉄に限らずどこに行っても重宝されると考えたの。手っ取り早くそれを知るには鉄研にでも入って、マニアやらそうでない人やらいろいろいるけど、そういう人らから耳学問でもいいから学んでおけ、ってこと。そういう意図で、青木君に鉄研に入ることを薦めたのです」


 一度会計を済ませてはいるが、今度は自分がおごるといい出した青木氏が、ビールを2本注文した。まだまだ、宵の口である。食堂車はさらに客が増えている。食事だけの客もいれば、彼らのように腰を据えて酒を飲む客もいる。


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