第2話 当日、何とかなった?!

 本田女史は現在、東京発の山陰ワイド周遊券の他に鳥取発の東京ミニ周遊券も確保している。なぜかというと、今週月曜日に岡山に戻ってくる際に玉造温泉から鳥取まで山陰ワイド周遊券で移動し、そこで東京ミニ周遊券を確保してこの度の東京都の往復に備える必要があったからである。これなら、鳥取から津山まで山陰ワイド周遊券とダブリはするが、どのみち急行列車は自由席なら急行券なしで乗車できるので、鳥取からその切符で急行「砂丘」に乗車して岡山に戻って来た次第。

 岡山では2日間稼業にいそしみ、その後週末から次の週明けまで、東京まで出た上で改めて山陰入りするのである。この東京ミニ周遊券があれば鳥取までそのまま乗込めたうえで、そこからはまた山陰ワイド周遊券を機能させればよいのだ。


 さて、18時少し前に岡山駅に着いた彼女は、表口になる東口のみどりの窓口に出向いた。ここでは鳥取からの東京ミニ周遊券を使って東京入りする。予定が煮詰まっていなかったこともあり、まだ特急券などは確保していなかったのである。

 まず彼女は、京都までの新幹線の自由席特急券と京都からの「出雲2号」のB寝台券が確保できるか試みた。

 もちろん、名古屋まで行って「紀伊」に乗るという手法もなくはない。東京から紀伊半島の先端部になる勝浦や串本の方面は人気観光地であり、その方面の客を見込んで特急化された列車ではあるが、このところ新幹線と昼間の特急「南紀」が整備されてきたこともあり、わざわざ寝台列車に乗って紀州入りする客は減少していた。この傾向は無論この列車だけではなく、新幹線が開業した後の夜行列車の苦戦はどの路線でもおおむね同じである。この頃になると1車両に1人しか乗っていない日もあったと言われているくらいのことはあり、この「紀伊」号は翌1984年2月の白紙ダイヤ改正であっけなく廃止されてしまった。

 一方のこちら「出雲2号」であるが、急行時代からの名列車である下り1号と上り4号の補完列車として、特に下りは早朝に着き過ぎる鳥取や倉吉への客の貴重な足となっており、利用率もさほど悪くはなかった。

 それは、紀伊号の廃止後20年以上存続したことでも明らかである。


 陽子女史が最初に係員に依頼した切符は、難なく確保できた。

 水曜日というわけであるから週のなかびであることも幸いした模様。これで、夜遅くまで名古屋駅で待つ必要はなくなった。この列車の京都着が22時30分。これに乗っていけば翌朝6時25分には東京駅に到着可能。7時着の「出雲4号」の到着を待てば、間違いなくあの2人をホームで見つけることが可能である。

 これは言うなら現在の上りサンライズエクスプレスに岡山から乗車して横浜まで乗車するのと同じくらいの時間、寝台で横になれるというわけである。もっともこの列車はサンライズエクスプレスのような寝台車は全車個室というわけにはいかない。3段式のB寝台と、2段ながら開放型のプルマン式A寝台車しかない。しかし当時はまだ個室寝台車はA寝台車のほんの一部だけであった。B寝台車に個室ができるのは、これから数年待たねばならなかった。


 彼女が確保した特急券は、岡山-京都間の新幹線自由席特急券と、京都から東京までの「出雲2号」の特急券とB寝台券。幸いにも下段が空いていた。かつては上段中段そして下段と寝台が下に行くに従い寝台料金が高い設定となっていたが、この頃の客車の3段式B寝台車はどの段も同じ価格になっていた。

 

 ともあれ、これで明日の朝いちばん、夜明けほどない頃には東京に着く。

 彼女はしばらくの間地下街で買い物を済ませ、頃合いの喫茶店で珈琲を飲んで待ち時間を過ごした。岡山発車後すぐ食堂車に行く予定なので、今から食事をするほどのこともない。いつもなら、喫茶店の稼ぎ時。このような早い時間に食事をとることはまずないから、どうしても夜は遅くなる。しかし今日は出かけるため、いつもより早く食事にありつける。

 

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