第8話 飲み会

 玲奈が予約をとっていたお店は、レンガ調の壁に木製の看板が掛けられた、落ち着いた雰囲気のイタリアンレストランだった。


 店先にはワインボトルが並ぶディスプレイと、柔らかな光を放つランタンが置かれている。

 窓越しに見える店内は、木のテーブルと椅子が整然と並び、温かみのあるオレンジの照明が空間を包んでいる。


 正隆は「平川と飲みに行くなら絶対に選ばないタイプの店だな」と内心苦笑した。少し緊張しつつも、玲奈が待つ店内へと足を踏み入れた。

 お店の中を見渡すと、窓際の席に座っている玲奈が手を振った。


 お店の中を見渡すと、窓際の席に座っている玲奈が手を振っていた。


「菜々美ちゃん、こっちだよ~!」


 店内は女性客が多く、明るい会話とともに華やかな雰囲気が漂っている。その中を進み、玲奈の元へ向かった。


「あ、そのスカート、この前買ったやつじゃん!」


 玲奈はすぐに気づいてくれた。


「ちょっとミニすぎるかもって思ったけど……」


「全然大丈夫! タイツ履いてるから全然上品だよ!」


 そう言われてほっとしながら席に座ると、玲奈がドリンクメニューを差し出してきた。


「何飲む?」


 普段なら迷わずビールだが、このおしゃれな店の雰囲気と今日のコーディネートに、ビールはなんだか似合わない気がした。菜々美にふさわしいようにと、メニューを見てサングリアを選んだ。


「サングリアで」


「いいね! 私はカシスオレンジにしようかな」


玲奈は店員に注文を伝えると、視線をこちらに向けた。


「アイシャドーも、この前買ったやつだね。菜々美ちゃん、イエベ春だから、コーラルピンクとか、ゴールド系のラメがすごく似合うと思ったんだ! 今日のもめっちゃかわいいよ!」


 アイシャドーという細かいところまで気づく玲奈の観察力に、改めて驚かされたが、どうしてその鋭さを今日のコピー機の設定確認にも活かせないのだろうかと、思わず苦笑してしまった。


 ドリンクが届いたところで乾杯をすると、玲奈が今日の失敗を話し始めた。しかし、愚痴っぽくはなく、どこか明るい調子で笑い話のように話している。


「今日は失敗しちゃったけど、最近さ、仕事順調なんだよね。この前も資料作り課長に褒められたし」


「ああ、モニターアンケートの?」


 玲奈に任せていたモニターアンケートの集計作業。玲奈は、持ち前のセンスを活かして、グラフを多用し、視覚的にも理解しやすい資料を作り上げていた。


 正隆や平川は仕事に慣れているがゆえに、「説明しなくてもわかるだろう」と、細かい部分や基礎的な情報を省略しがちだった。しかし、初心者である玲奈は逆にその視点を忘れず、初心者でも理解できるように丁寧に構成されていた。課長はその完成度に驚き、正隆も内心では素直に感心していた。


「そうだけど、あれ? この話、菜々美ちゃんにしたっけ?」


 玲奈の問いに、正隆の背筋が一瞬凍る。菜々美としては、玲奈の具体的な仕事の話を聞いたことはなかったはずだ。


「そうだっけ? ラインで見たような気がするけど……それとも、お兄ちゃんから聞いたのかな?」


 とっさに誤魔化して言葉を紡ぐと、玲奈は「そうだったかも!」とあっさり信じてしまった。

 相変わらず玲奈のポンコツぶりに助けられたと胸を撫で下ろした。


「お兄さんと言えば、今日お腹が痛いって言って早退したけど、大丈夫かな?」


 玲奈がふと思い出したように尋ねてきた。


「ああ、そうなの? 私には何も連絡ないし、大丈夫なんじゃない?」


 慎重に知らないふりをしながら言葉を選ぶ。頭の中で、菜々美として知っている情報を整理しながら会話を進めないと、ボロが出るかもしれない。気を引き締めた。


 いつも平川と飲みに行くときは唐揚げやフライドポテトが並ぶテーブルも、今日は違う。バーニャカウダーやアヒージョといった洒落た料理が並び、いつもとは違う空間にどこか落ち着かない気分だったが、次第に美味しい料理に会話も弾み、楽しい時間が流れていった。


 2杯目に選んだシャンディガフがテーブルに運ばれてくる。ビールの苦味をジンジャーエールの甘さとピリッとした刺激が包み込む味わいに思わず一息つくと、玲奈が興味を示した。


「シャンディガフって何? 私飲んだことないの」

「ビールをジンジャーエールで割ったものだよ」

「へぇ~、どんな味か一口もらってもいい? 私のキールも飲んでみる?」


 玲奈が自分のグラスを差し出してきた。間接キスを意識して一瞬ためらうが、今は女の子同士。ここで拒絶するほうが怪しまれると判断し、玲奈が口をつけていない部分を選んで口を付けた。


 一方、玲奈は気にするそぶりもなく、シャンディガフを一口飲むと「これ、美味しいかも! 次、私も頼もうかな?」と笑顔でグラスを返してきた。


 その自然なやり取りにほっとする反面、「正隆だとバレたらどうしよう」という緊張が背筋をひやりと駆け抜けた。


 デザートがテーブルに並ぶ頃には、いい具合に酔いが回ってきていた。小さなチョコレートケーキとカシスソースのかかったアイスクリームの甘い香りが漂う中、話題は自然と女子会らしい恋バナへと移っていく。


「菜々美ちゃん、彼氏いるの?」


 玲奈がグラスを手にしたまま、微笑みを浮かべて少し身を乗り出してきた。その頬はほんのり赤く染まり、アルコールのせいか、それとも話題への照れ隠しかはわからない。


「えっ、私? いないよ、そういうの全然……」


 否定はしても玲奈は「ほんとに?」と疑わしげな目を向けながらも笑い出した。


「絶対いると思ったんだけどなぁ~。だって菜々美ちゃん、かわいいし、男の人放っておかないでしょ?」


「そ、そんなことないってば! それより玲奈ちゃんは?」


 これ以上追及されると困る菜々美は、慌てて話題を玲奈に振った。


「私もいないよ~。いい人いたら紹介してよ!」


 玲奈には彼氏がいないらしい。コンプライアンスの厳しい会社ではなかなか聞けない玲奈のプライベートを知り、ちょっと得した気持ちになる。酔いの勢いも手伝って、ついでにもう一歩踏み込んでみた。


「だったら、お兄ちゃんはどう?」


「菜々美ちゃんには悪いけど、それは絶対ない!最近は少し優しくなったけど、いかにも理屈っぽい理系男子って感じだし、話してても堅苦しくて楽しくなさそうだもん」


「いやいや、今楽しく話してるのはその理系男子なんだけど……」


 とはさすがに言えず、ぎこちなく笑うしかなかった。玲奈の言葉に若干のダメージを受けながらも、自分の立ち位置を改めて実感してしまった。

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