第7話 早退

 仕事の面白さに気づいたのか、玲奈は最近積極的に仕事に取り組むようになっていた。その吸収力は目を見張るものがあり、モニターアンケートの集計でも必要な関数を自分で調べて使いこなしたのは驚きだった。


そんな矢先――。


「ぎゃああああああああっ!」


 オフィス中に響き渡る玲奈の叫び声に、正隆は一瞬キーボードを打つ手を止めた。隣の席を見れば、玲奈がコピー機の前でオロオロしながら頭を抱えている。


「……また何かやらかしたのか?」


 嫌な予感がしつつも、正隆はため息をつきながら立ち上がり、慌ててコピー機へと向かった。


「どうしたの?」


「ど、どうしよう! コピー止まらないんですけど!」


 玲奈が指差す先には、コピー機から溢れんばかりのコピー用紙の山が散乱していた。よく見ると、全て同じページが印刷されている。


「何やったの?」


「急ぎの資料だから急いでたの! 気づいたら大量に印刷されてて、止め方もわからなくて……!そのままバーって出ちゃって……」


「はぁ……」


 正隆は頭を押さえた。コピー機のトレイにはまだ紙が残っており、「印刷中」のランプが忙しなく点滅している。


「ちょっと待ってて」


 正隆は冷静にコピー機を操作し、印刷を停止した。そして、コピー用紙の山を見て再びため息をつく。


「だから、落ち着いて確認してっていつも言ってるでしょ?」


「だって、急いでたんだもん! しかも、なんでこんなに早く印刷されるわけ?」


 玲奈は申し訳なさそうに、しかしどこか明るく言った。その様子に、正隆は「まあ、玲奈らしいか」と苦笑いを浮かべながら、散乱した紙を拾い集めた。


 その後の昼休み、自分のデスクでコンビニ弁当をつついていると、ランチに出かけている玲奈からラインが届いた。


「今日ヒマ? さっき仕事でちょっと失敗しちゃってさ~。気晴らしに飲みに行きたいんだけど、つきあってくれる?」


 平日に飲みに誘われるなんて少し戸惑ったが、内心では嬉しく感じている自分に気づいた。つい先日、一緒に買い物に行った時に見たプライベートモードの玲奈。仕事中とは違う、無邪気で楽しそうな笑顔。そして気さくに飛び出す会話。あの時の姿をもう一度見たい気がしていた。


 だが、その一方で、菜々美として接していることに罪悪感もわずかに胸をよぎる。しかし、部下の気晴らしに付き合うのも上司の役目だと言い訳しつつ、正隆は「いいよ」と返事を打ち込んだ。


  昼休みが終わると、集中して今日中に片付けるべき仕事に取り組んだ。すべてを終えると、大げさにお腹を押さえながら課長の席へ向かった。


「課長、すみません。お腹が痛くて……早退させてもらってもいいですか? 頼まれていた資料はもう仕上げてあります」

「そうか、仕事が終わったんならいいけど」


 課長は特に心配する様子もなく、淡々と返事をした。その冷めた対応にほっとしながら、そそくさと会社を後にした。


 いつもより2時間早く家に帰ると、まずシャワーを浴びて身を清めた。次に、クローゼットの奥に隠してある「秘密の衣装ケース」を開ける。白地に花柄のセットを選び、身につけた。


 続いて、玲奈と買い物したときに購入したタイトミニスカートを取り出す。茶色のチェック柄が秋らしいスカートに、仕事帰りの雰囲気を装うため黒いブラウスとベージュのジャケットを合わせた。


 黒タイツを履き、コーディネートを整えたものの、膝上15センチのミニスカートをまとった自分の姿に、鏡の前で思わず視線を泳がせる。これまでの自分なら絶対に選ばなかった服装に胸が高鳴った。初めて女装外出をしたときの緊張感と高揚感がよみがえってくる。


 さらに、10月後半の肌寒い空気がミニスカート越しに伝わり、黒タイツを履いているとはいえ、寒さがじんわりと足元から這い上がる。

 おしゃれは我慢と自分に言い聞かせて、駅までの道のりを歩みを進めていく。


 夕方の電車に揺られ、玲奈との待ち合わせ場所へ向かう途中、ふと気づく。座席に座ってスカートの裾を気にしていると、向かいに座っていたサラリーマン風の男性がこちらをちらちらと見ている。


 「やっぱり目立つのかな……」


 そう思いながらも、どこか新鮮で悪くない気分だ。これまで感じたことのない視線を意識しながらも、少し楽しんでいる自分がいた。


 ホームを歩いている時にも、通りすがりの若い男性がちらっとこちらを見ていくのが分かる。そのたびに少し照れくさい気持ちになる一方で、興味本位の視線を投げかける彼らを心の中で軽くあしらうのが、どこか愉快でもあった。


 新たに発見した高揚感を胸に秘め、玲奈との待ち合わせのお店に向けて一歩一歩、足を進めるのだった。




 

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