第6話 指導
買い物の話題がひと段落すると、玲奈の仕事の愚痴が始まり、正隆のコーヒーがすっかり冷めてしまっても愚痴は終わらない。玲奈は飲み干したカップをいじりながら、深いため息をついた。
「数学なんて、高1で挫折して文系に行ったのに、また使うことになるとは思わなかった」
「そうなんだね。でも、就活の時にテストとかなかった?」
「それ? Webテストだったから、数学得意な男友達に解いてもらったよ。マジで無理。あたし、お菓子好きだから新商品の開発とかやりたくてこの会社に入ったのに、なんでマーケティング部なのよ。マジ最悪」
正隆は内心では、「そりゃ研修中に重要書類をシュレッダーにかけたり、レポートに『工場の棚卸マジ面倒だったけど、頑張りました♡』とか書いてたら仕方ないだろ」と毒づいていてたが、内心を悟られないよう表面上は優しく頷いた。
「そういえば、菜々美ちゃんって何の仕事してるんだっけ?」
「工務店の経理。交通費精算とか伝票入力とか、そういうの」
「え、数字好きなんだね。武田さんと一緒じゃん」
玲奈はまるで未知の生物を観察するような目で正隆を見つめた。その視線に軽くたじろぎつつも、愚痴を聞き続けるのも辛くなってきたので無理やり話題を変える。
「ところでさ、この冬の流行って何? 玲奈ちゃん、詳しそうだよね」
「え、聞いちゃう? あたしめっちゃ調べてるよ!」
玲奈の表情がパッと明るくなると、勢いよくトレンドについて語り始めた。
「今年の冬はね、ビッグシルエットのコートが引き続き流行ってるけど、差をつけるならフューシャピンクみたいなビビッドカラーがいいんだよ。あと、アクセントにファーハットとか、足元はスクエアトゥのショートブーツがトレンドなの! マフラーも大判のチェック柄が可愛いよね。ほら、こういうの!」
玲奈はスマホを取り出して、いくつものファッション画像を見せてくる。その情熱はさっきまでの愚痴とはまるで別人だった。
「すごいね、めちゃくちゃ詳しいじゃん」
「まあ、好きなことだしね! トレンド押さえないとダサくなるからさ」
正隆は玲奈が熱く語る姿を見つめながら、「この情熱の1%でも仕事に回せば……」と思ったその瞬間、何かが頭の中でひらめいた。
◇ ◇ ◇
その翌日、モニターアンケートを集計した資料の山の前にため息をついている玲奈に話しかけた。
「どう上手くいってる?」
「ねえ武田さん、この売上データとか見ても、ただの数字の羅列にしか見えないんだけど。これ、どうやって使えばいいの?」
正隆は少し考えたあと、笑いながら言った。
「玲奈ちゃん、これってさ、すっぴんの状態だと思えばいいんだよ」
「……すっぴん?」
玲奈が首をかしげる。
「そう。データそのままだと、ただの数字が並んでるだけで目立たないし、パッと見て分かりにくい。つまり、化粧してない状態ってこと」
正隆は手元のデータを示しながら続けた。
「でも、ここにグラフを足したり、統計を使って分析したりすると、全体のバランスが分かりやすくなるし、見栄えもよくなる。これってメイクと同じだと思わない?」
玲奈の目が少し輝き始める。
「へえ、面白いかも。例えば、どんな感じでメイクするの?」
「まず、これをベースメイクだと考えると……このグラフを追加して、全体のバランスを整える。ほら、これで全体像が見やすくなるよね?」
正隆が売上データを折れ線グラフに変えると、数字が一目で分かりやすくなる。
「おお、確かに! グラフにすると、どの商品が一番売れてるとか、売上が落ちてる時期が分かりやすい!」
玲奈が身を乗り出して画面を見る。
「でしょ? 次にアイメイクを加える感じで、色分けしてみるとさらに見やすくなるよ。例えば、ここを商品カテゴリーごとに色分けすると……こんな感じ」
エクセルを操作してグラフに色を付けると、商品の違いが一目で分かるようになる。
「すごい! これならどれがどの商品かすぐ分かるね! え、私でもこれできるのかな?」
玲奈が興味津々で質問する。
「もちろんできるよ。実際、玲奈ちゃんがメイクするときに色のバランスを考えるのと一緒で、データもバランスよく整理すればいいだけだから。慣れれば、メイクより簡単かも」
玲奈は自信を取り戻したように笑顔を見せる。
「なんか分かってきた気がする! このデータ、私がメイク感覚でまとめてみてもいい?」
「もちろん。むしろ玲奈ちゃんのセンスなら、きっと素敵なデータになるよ」
正隆がそう言うと、玲奈はさっそくデータの整理に取り掛かる。
隣の席で玲奈の様子を気にかけながら自分の仕事に取り掛かる正隆。
いつものダルそうな態度とはまるで別人のように、玲奈は生き生きとした表情でパソコンに向かい、資料を熱心にまとめていた。
その様子に、課長と平川が目を見張る。
「おいおい、玲奈ちゃんどうした?」
課長が驚いた声を上げた。
「え、これくらい普通じゃないですか?」
玲奈は得意げに肩をすくめる。
「いやいや、レアだろ。ガチャで引いたSSR並みに珍しいぞ!」
玲奈は得意げな笑みを浮かべながら二人に話しかけた。
「そんなんじゃないって。数字の面白さってやつが、ちょっと分かっただけ」
楽し気にパソコンに向かう玲奈を、二人は不思議そうにみつめた。
その後、玲奈がふと正隆の方を向いて質問を投げかけた。
「ねえ、有意差って結局どういうこと? 正直意味わかんないんだけど」
少し考えてから、簡単なたとえ話をすることにした。
「うん、じゃあね……例えば、姫川さんが新しいファンデーションを2つ試してみたとするよ。AとBってやつ。どっちが肌の調子を良く見せるか知りたいよね?」
「うん、そうそう!」
「で、Aを使った日とBを使った日で、肌がどれだけ綺麗に見えるか、友達10人に評価してもらったとする。結果、Aの方が高評価だったとしても、その差がたまたまかもしれないって思わない?」
「うーん、確かに。たまたまAの日に照明が良かったとか?」
「そう、それ! 有意差っていうのは、その『たまたま』じゃないって証明するための考え方なんだ。統計を使って、『Aの方が確実に良い』って言えるかどうかを判断するんだよ」
「なるほど! つまり、適当に見えるけどちゃんと根拠があるんだね!」
「だから、有意差で、ちゃんと数字で裏付けるんだよ。計算式は複雑だけど、エクセルでこうやればできるから……」
玲奈は興味深そうに正隆が操作するエクセルの画面を見つめていた。
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