第5話 買い物

 玲奈と買い物に行く約束をした日曜日の朝、正隆はいつもより早く起きた。

 鏡の前で入念に髭を剃り、丁寧にメイクを施して「正隆」の面影を消す。「今日は絶対バレない」と心に誓った。


「菜々美ちゃんって、大学どこだったの?」など玲奈に聞かれるかもしれない質問を想定しながら、自分の設定を頭の中で繰り返す。

 地元の高校から国立大学の経済学部へ進み、今は工務店で経理を担当している――そんな「地味で突っ込まれにくいキャラ設定」を練り上げていた。

 完璧な準備のはずと心の中で自分を励ます。今日一日、玲奈に不自然さを悟られないよう、細心の注意を払う必要がある。


 鏡をもう一度見て深呼吸する。「よし、行ける」と自分に言い聞かせ、準備を終え家を出た。


 待ち合わせ場所のショッピングモールに着くと、すでに玲奈が待っていた。人通りの多い中でもすぐに彼女の姿を見つけられたのは、その目を引くスタイルのせいだろう。


「おっそーい! 菜々美ちゃん!」


こちらを見つけると、玲奈は片手を軽く振りながら声をかけてきた。


 今日の玲奈は、黒のフェイクレザージャケットにクロップド丈のニットトップ、ハイウエストのスカートというコーデだった。足元にはスエード素材のロングブーツを合わせている。華美すぎず、けれどどこかギャルらしい抜け感のあるおしゃれさが目を引く。


「ごめんね、待たせちゃった?」


「大丈夫、大丈夫! それより、今日は買い物たくさん付き合ってもらうから覚悟してよね~!」


 玲奈の元気な声に少し気後れしながらも、正隆は自然に笑顔を作って歩み寄った。

 

 最初に入ったのは、玲奈が愛用しているという若者向けのショップだった。


 店内にはトレンドを意識したカラフルな服や、タイトなシルエットのトップス、派手な柄のミニスカートやワイドパンツがずらりと並んでいる。どれもこれも、正隆――いや、菜々美がこれまで着ていた服とはまったく違うテイストだ。


「……こういうの、私にはちょっと派手すぎない?」


 ラックに並ぶキラキラした装飾や大胆なデザインの服を見て、菜々美は戸惑いながら小声でつぶやいた。


「え~? 大丈夫だって! 菜々美ちゃん、絶対似合うってば! 私より若いんだから、ちょっとくらい攻めてみなきゃ損だよ!」


 玲奈は片手に取ったクロップド丈のトップスとチェック柄のスカートを菜々美の体にあてて、「ほら、これとか可愛いじゃん!」と笑顔で勧める。


「……でも、こんな短いスカートなんて、履いたことないし……」


「心配いらな~い! スタイルいいんだから、むしろもっと自信持ちなよ! あと、ちょっとメイク濃くすれば絶対いけるって!」


 玲奈の明るい声と勢いに、菜々美は「うーん」と唸りながらも観念して、差し出された服を手に取った。渋る様子に玲奈は説得を続けた。


「え~、全然いけるってば! ミニスカートって確かにちょっと勇気いるけど、上手く着こなせばめちゃくちゃ脚がキレイに見えるんだよ?」


 玲奈はスマホを取り出し、ファッション雑誌のコーデ例を見せながら続ける。


「例えば、こういう感じでショートブーツと合わせると、露出が抑えられてバランス良くなるし、黒いタイツ履けばもっと安心じゃない? あと、この丈なら、ちょっとトップスをゆるめのセーターとかにしてもカジュアルで可愛いし!」


「そっか……確かに、それならいけるかも……」


 菜々美はスマホの画面を覗き込んで納得したように頷いた。玲奈のアドバイスは具体的で、イメージがしやすい。


「それに、菜々美ちゃんは脚キレイなんだから隠すのもったいないって! これを機に思い切って出しちゃおうよ! あたしなんか、毎シーズンもっと短いの履いてるんだからさ!」


玲奈の自信たっぷりの言葉に背中を押されるようにして、菜々美はミニスカートを試してみてもいいかなと思い始めた。

その表情を読み取った玲奈はすかさず店員さんに声をかけた。


「すみませ~ん。このスカート、試着してみてもいいですか?」


「えっ? 試着?」


「そうだよ。着てみないと、どんな感じかわからないでしょ?」


 店員さんの「もちろん大丈夫です」という声を聞くなり、玲奈は勢いよく菜々美の背中を押した。


 試着室のカーテンを閉め、玲奈に渡されたチェック柄のミニスカートを手に取る。慎重に体に当てて鏡に映してみる。


 普段は試着を避けていた。男性が女性用の試着室を利用することに抵抗を覚える女性もいるし、試着中に店員とのやり取りが増えると、自分が男だと気づかれるリスクがあるからだ。だが、今回は違った。


「この後買うなら、少しくらい試してもいいよね……」


 そんな言い訳が頭をよぎる。それに何より、玲奈が選んだスカートは今までの自分が絶対手に取らなかったタイプだ。ち着きのある配色ながら、細かいチェック柄とミニ丈が新鮮で、試してみたい気持ちを掻き立てられる。


「もしかしたら、これを着たら新しい自分になれるのかも……」


 そう思うと、好奇心が少しずつ不安を上回り、手は自然とスカートのホックへと動いていった。


 試着室のカーテンを開けると、待っていた玲奈が目を輝かせながら声を上げた。


「ほら、やっぱ超似合ってんじゃん! 菜々美ちゃん、スタイルいいから絶対いけるって思ってた!」


 その言葉に照れつつも、鏡に映る自分をもう一度見つめる。自分でも悪くないかも、と思っていたが、玲奈の自信たっぷりの褒め言葉で「かも」は「確かに」に変わった。


「これ、私に似合う……かも、いや、似合ってるよね」


 玲奈が大きくうなずき、ニヤリと笑う。


「当たり前じゃん。これ着てデート行ったら、相手絶対落ちるって!」


 玲奈の軽口に笑いながら、菜々美はスカートをそっと撫でた。試着室に戻り、スカートを脱いで服を整えながら、新しい自分に少しだけ自信を持てた気がする。そして、その勢いのままスカートを手に取り、レジへと向かった。


 その後も玲奈の豊富な知識と抜群のセンスに驚かされながら、トップスやメイク用品など次々と買い物が続いた。


「これにこのバッグ合わせたら絶対おしゃれだよ。ほら、試してみて!」


 玲奈の軽快なアドバイスに従って試すと、不思議としっくりくる。自分では絶対に選ばない組み合わせなのに、玲奈が言う通り、鏡の中の自分はどこか洗練された雰囲気になっていた。


 買い物がひと段落した頃、二人はモール内にあるコーヒーショップへ。ソファ席に座り、ふうっと一息ついた。


「結構買っちゃったね」


 菜々美が笑いながら袋を見つめる。玲奈に勧められるまま買い物をしているうちに、合計は3万円近くになっていた。でも、これで今までと違う自分になれると思うと、不思議と後悔はなかった。それどころか、女装を始めた頃のような新鮮な感覚に包まれていた。


「こういうの、楽しいでしょ?」と玲奈がカップを片手に微笑む。


「うん、楽しい。自分じゃ絶対選ばないものばっかりだけど、玲奈ちゃんのセンス、本当にすごいよ」


 そう口にした瞬間、気づいた。いつも仕事で迷惑をかけられっぱなし玲奈を、初めて尊敬の目で見ている自分に。

 普段、仕事では知識不足で迷惑ばかりかけている玲奈。しかし、好きなことに対してはここまで知識を深め、誰かを引っ張る力があるなんて――正直、少し意外だった。

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