第3話 交換
目の前に座る玲奈のもとにも、レディースランチが運ばれてきた。運ばれてくるなり、玲奈はスマホを取り出し、テーブルに盛られた料理にカメラを向ける。
「ちょ、めっちゃ映えるやんコレ~!」
一人でテンションを上げながら写真を撮り始めた。何枚かシャッターを切った後、満足げに画面を確認すると、スマホを高く持ち上げレンズをこちらに向けてくる。
「ねぇ、菜々美ちゃんと一緒に撮っていい~?」
返事を待たずにシャッター音が響き、玲奈とのツーショット写真を撮られてしまった。
撮影を終えると、玲奈はスマホをテーブルに置き、「いただきまーす!」と明るい声で手を合わせ、チキンソテーを一口頬張った。
「ん~! うまっ! やば、これマジ神じゃん! しかも雑穀米のサラダとかオシャレすぎ~!」
満面の笑みを浮かべながら、次々と料理に箸を伸ばす。
「ほんとはさ~、友達と来る予定だったんだけど~、急用でドタキャンされちゃってさ! でもどーしても来たかったから、一人で来ちゃった! …けど正解だったわ~!」
口いっぱいに食べ物を頬張りながら、会社の愚痴や好きなブランドの話など次々に話題を変えながら玲奈はマシンガントークを繰り広げる。その自由奔放な態度に、正隆は圧倒される。
料理をほぼ平らげた玲奈が、チャイを一口飲んでほっと息をつくと、不意にこちらに視線を向けてきた。
「そういやさ~、菜々美ちゃんって、いくつなん?」
急な質問に焦りつつ、「菜々美」の設定を頭の中で組み立てる。兄妹設定を考えるなら、3歳差くらいが無難だろう。
「えっと、22歳です」
「え~! まじで? めっちゃ大人っぽいから、年上かと思ったし~!」
玲奈は驚いたように目を丸くしつつ、続けて言う。
「そっか、1コ下なんだ~! 私23だから、菜々美ちゃんとほぼタメじゃん!」
その言葉に正隆は少し引っかかるものを感じた。新卒の玲奈が、23歳というのは少し意外だった。
「えっと……新卒なんですよね?」
「そーそー! 私ね、大学4年のときに1年間だけ休学してたんよ。海外行きたくなっちゃってさ~、ヨーロッパでワーホリしてたんだ~!」
玲奈は嬉しそうに語りながら、チャイをもう一口飲む。
「それでちょい遅れて卒業して、今年入社したってわけ! やっぱ経験値増やすの大事っしょ? まぁ、親にはめっちゃ怒られたけど~」
「そうなんですね……すごい行動力ですね」
「えへへ~、でしょ~? 菜々美ちゃんも1年くらい留学してみたら? 絶対楽しいから~!」
玲奈の天真爛漫な語りに正隆は圧倒されつつ、なんとか自然な微笑みを保ちながら相槌を打った。
飲み終えたチャイをテーブルに置きながら、玲奈はスマホを手に取る。
「そーいやさ、さっきの写真送りたいからライン交換しよ~!」
「えっ!? ライン!?」
突然の申し出に正隆の動きが一瞬止まる。ラインのアカウントは当然持っている。けれど、交換すれば「正隆」であることがアカウント名でバレてしまう。それだけは絶対に避けたい。
「あ、ちょっとその前に……お手洗いに行ってくるね!」
声が少し裏返りそうになるのを必死で抑え、動揺した素振りを見せないように席を立った。
お店の奥にはトイレの入り口が二つ並んでいる。女性専用と男女兼用。こういう女性客が多いカフェではありがちなタイプだ。男の時なら不平等だと叫びたくなるところだが、この状況では逆に助かる。
男女兼用のトイレに滑り込むと、正隆はポケットからスマホを取り出した。
「まずい、どうする……」
ラインのアプリを起動し、アカウント名を確認する。「武田正隆」というフルネームが画面に堂々と表示されているのを見て、すぐさま設定を開き「takeda」、名字だけの表記に変更した。
「よし……これで大丈夫なはず!」
安堵の息を吐きながらトイレを出る。玲奈を待たせすぎないように、早足で席へ戻った。
席に戻ると、飲み切ったはずのカフェオレが新しいものに変わっている。玲奈も新しく注文したらしいチャイを片手に持ち、満面の笑みを向けてきた。
「あ~、おかえり~! 勝手にカフェオレおかわり頼んどいたけど、大丈夫だったよね?」
「えっ……あ、うん、大丈夫……」
戸惑いながら答える正隆。ラインを交換したらそのまま席を立つつもりだったのに、この展開ではすぐに帰るのも難しい。
「じゃあ早速ライン交換しよ! 私QRコード出すから、そっちから読んで~」
玲奈は軽いノリでスマホを操作し、画面を差し出してくる。その無邪気な笑顔に、正隆は引きつった笑みを浮かべながら自分のスマホを手に取った。
「は、はい……ありがとう……」
玲奈の無防備さと正隆の焦燥感が入り混じる中、ライン交換が無事(?)行われたのだった。
それぞれドリンクを飲みながら、他愛もない会話が続いていた。正隆としては適当なところで切り上げたいと思うものの、玲奈が次々と話題を提供してくるので、なかなかその隙がない。
ドリンクを半分ほど飲み終えたころ、ふいに玲奈が話を止めた。かと思えば、身を乗り出してじっとこちらを見つめてくる。
(ま、まずい! 正隆だって気づかれた……?)
思わず顔を隠すようにマグカップを持ち上げる。心臓がバクバクと音を立て、冷や汗がじんわりと背中ににじむ。
「菜々美ちゃん」
玲奈の真剣な声が静かな店内に響く。次の言葉までの数秒が永遠のように感じられる。
「イエベでしょ。イエベだからさ、オレンジ系とかコーラルピンクのチークがめっちゃ似合うと思うよ!」
「えっ……イエベ?」
拍子抜けするような言葉に、正隆は思わず聞き返した。
「そ! イエローベースね。肌のトーンの話。だからね、ベージュ系とかゴールド系のアイシャドウも超ハマると思う! 逆にブルベの子みたいに青みピンクのリップとかはちょっと浮いちゃうかもだから気をつけた方がいいよ~」
玲奈はまるでファッション雑誌の一節を朗読するかのように、軽やかに言葉を紡ぐ。その表情には自信が満ちていて、自分の知識を誰かに共有することが楽しくてたまらない、といった様子だった。
「そういえばさ、菜々美ちゃん、今日のその服、めっちゃいい感じだよ!」
玲奈が目を輝かせながら正隆の服装を指差した。
「えっ? あ、これ?」
正隆は動揺を隠しながらも、自分が選んだシンプルなカーディガンとスカートのコーディネートに目をやる。
「うん、やっぱシンプルだけど清楚で女子力高めって感じで超かわいい。でもさ、ちょっと甘辛ミックスとか挑戦してみたら? 例えば、このカーデの代わりにライダースジャケットとか羽織ったら、もっとかっこかわいい感じになると思う! スカートはそのままで大丈夫!」
「ライダースジャケット……」
思わぬ提案に、正隆は一瞬イメージがつかめずに固まる。
「そ! それに、イエベだからブラウン系のジャケットとか超似合いそう! カジュアルとキレイめのバランス取れるし、デートでも絶対映えると思う!」
玲奈は自分の中で浮かんだイメージを熱心に語り続ける。その瞳の輝きは、自分の好きなことを全力で共有したいという純粋な気持ちそのものだった。
(ライダースジャケットなんて着たことないけど……そんな風に思いつくのすごいな)
玲奈の言葉を聞きながら、正隆はいつもは見えない彼女の頼もしさに気づかされる。そして、こうして玲奈にファッションアドバイスをもらう自分の状況に、どこかくすぐったさを感じつつも、彼女のセンスに驚かずにはいられなかった。
「ありがとう、玲奈ちゃん。でも、菜々美にライダースって似合うかな?」
「似合う似合う! 私が言うんだから間違いないって!」
玲奈は自信満々に笑顔を見せた。その笑顔につられて、正隆も少しだけ微笑み返した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます