第8話

 対決という体裁はかなり早いうちからうやむやになり、真面目に戦績を記録していたのは三戦目くらいまでだった。今となってはこれまでに晴人と何度会ったか数えるだけでも難しい。今日の勝敗をつけるならば晴人の勝ちで雨音の負けであるが、特別なレジャーでもないこの日は戦績に数えるに値するのか、事前の取り決めがなくとも勝負は成立するのか、そういった細かいルールは明確に定まっていない。

 商店街の一角、一際小さな二階建ての建物に、足を踏み入れた。カラカラと歓迎の音を鳴らすドアチャイムは、廃材で作った店主手作りの品だ。

「いらっしゃいま」とそこまで言って、店主はこちらに気が付いた。「あ、雨音じゃん!」

 棚を整理していた手を止め、店主はこちらに駆け寄ってきた。彼女のそんな姿を見ただけで、雨音は未だに涙ぐみそうになってしまうが、そういう扱いはもはや失礼であることは分かっているので、ぐっと堪える。

「結衣、ひさしぶり」なるべく自然な態度に見えるように気をつけながら、雨音は言った。「また派手になったね」

 この小さなアクセサリーショップの店主こと結衣は、「そうかな?」と言いながら、ローズレッドに染められた自分の髪を撫でた。両耳の上あたりから複雑に編み込まれ、毛先を後ろで一つに束ねている。「今回は結構地味な方だと思うんだけど」

「いや、充分派手だから。でもそっちじゃなくて」

 結衣の足元を指差すと、彼女は自分のエプロンをたくし上げた。すると、その脚が露になる。

「ああ、これね」

 結衣の両脚は膝下で途切れ、そこから先は作り物になっている。義足をしている人は、できるだけ見た目を自然な脚に近づけることを望むことが多いが、結衣はまるで義足であることを誇るかのように、自身の脚に煌びやかな装飾を施していた。

 見せびらかすようにエプロンを捲ったまま、「かっこいいでしょ」と結衣ははにかんだ。

 結衣の脚が生まれつきのものなら、雨音もこんな風に気を遣ってしまうこともなかっただろう。彼女が両脚を失ったのは、あの震災の時のことだ。

『奇跡の誤報』と呼ばれる緊急地震速報が鳴った時、結衣は一人で自宅にいた。速報を聞いた結衣はすぐに庭に避難したが、隣に住む雨音の家の中に、まだ人の気配があることに気が付いた。そして彼女は思い出した。雨音は修学旅行中であること、雨音の両親が帰宅するにはまだ早い時間であること、雨音の家には耳の遠い祖母が一緒に暮らしていること、雨音の家は曽祖父が建てた古い木造家屋であること。

 結衣はすぐさま雨音の家に駆けつけた。するとやはり、そこには雨音の祖母がいた。緊急地震速報に気付いていなかった雨音の祖母は、鬼気迫る結衣の様子に動揺し、事態を理解するのに時間を要してしまった。地震が起きたのは、パニックに陥る雨音の祖母を、なんとか外に押し出した瞬間だった。

 雨音の家は瞬く間に瓦礫と化した。祖母は転倒しただけで済んだものの、結衣の下半身は家の下敷きになり、自力で抜け出すことができなくなった。救助は比較的早く到着したそうだが、彼女を無事に救い出すには、複雑に瓦礫に絡んでしまった両脚を切断するしかなかった。

 幼少期から習っていたダンスで強豪校に通っていた結衣は、大好きなダンスができなくなり、長いこと塞ぎ込んでいた。だが、病室である少女と隣同士になったのをきっかけに、結衣の魂に火がついた。

 結衣を突き動かしたのは、同情ではなく怒りだ。病気の治療で髪をなくして落ち込む少女の姿を見て、結衣は「どうして人は『いかにも病人です』というような帽子を被せたがるのだ」と、あらぬ方向に憤った。元々ファッションに関心があり、ダンスの衣装作りで手芸にも心得があった結衣は、家族に裁縫道具と材料の差し入れを要求した。完成した帽子のあまりに奇抜なデザインに少女の両親は困惑したが、少女も結衣も、笑顔だった。

 以来、結衣は服やアクセサリー作りに夢中になり、ついには自身の店を持つまでになった。経営は楽ではないものの、少なくないファンもついており、それなりに上手く行っているらしい。

「この前、この脚を作ってくれた義肢装具士さんに会いに行ったら、すごく褒めてくれたよ」

「そうなの? こんなに改造しちゃったら怒られそうなものだけど」

 塗装だけならまだしも、結衣の脚には金属製と思われる大きな羽飾りまで付いている。

「もちろん『色んなバランスを考えて作ってるんだからほどほどにしてほしい』とは言われたけどね。でもこうしてファッションの一部として楽しんでくれるのは嬉しいって。それでね、今度新しく義足を作り直そうと思ってるんだけど、その時には一緒にデザインさせてくれるって」

「へえ、すごいじゃん! さすが結衣」

 あの日、沖縄に雨なんて降らずに予定通り家に帰れていたら、祖母の避難誘導は雨音ができていたはずで、結衣が脚を失うこともなかったのだ。この罪悪感が消えることは恐らく生涯ないだろうが、そんな薄暗い思いを隠し通すことが、唯一雨音にできるせめてもの罪滅ぼしだと思う。

「ところで雨音、もしかして体調悪い?」結衣が雨音の顔を覗き込むようにしながら言った。

「べつに? 普通だけど」しまった、顔に出てたかなと思い、ひやりとする。

「そう? ならいいけど。珍しく雨降ってないから、どこか悪いのかと思った」

「ちょっと、何よそれ。雨が降ると具合が悪くなる人ならいるけど」

「あれ、気付いてないの? 雨音が体調崩してるとき、だいたい晴れてるよ」

「嘘でしょ」知らなかった。だが、晴れの原因には心あたりがあるので、もごもごと口籠もりながら、言う。「あー、今日はさ、あれかも」

「何よ」

「晴れ男が、ついてるから」

 自分でも顔が赤らむのが分かった。後ろを振り返ると、棚の陰に隠れるように、ひっそりと立つ晴人の姿があった。

「あ!」と結衣が叫ぶ。「例の!」

「そう。例の」

「晴れ男君だ!」

 晴人はおずおずと前に進み、照れ臭そうに、やや気まずそうにはにかみながら、「どうも」と頭を下げる。

「そんなに存在感消さなくてもいいのに! 話は聞いてるよ」

「僕も、お噂はかねがね」

「いやー、驚いたね。まさかあの雨音が、こんなスピード婚を決めるなんて」

 晴人から交際の申し出があったのは、三度目の対決の日、つまり出会って三ヶ月目のことだった。夜景の綺麗なレストラン、ではなく、雨のよく映える日本庭園を臨む料亭で、「結婚を前提に付き合ってほしい」と小さなブーケを渡された。それからさらに三ヶ月後、晴人からのプロポーズという形ではなく、少しずつ話し合うような形で、二人は結婚を決めた。

「私、結衣が結婚なんてタイミングだって言ってたの、ちょっと分かった気がする」

「そんな風に偉そうに言ったこともあったけどね。別れちゃったよ」

「え! 嘘でしょ」そんな話、聞いていない。「いつ」

「先月。一年足らずでした」

 結衣はおでこの上でピースサインを決めた。あまりの衝撃に、雨音は口をパクパクとさせてしまう。

「いやあ、あんなに盛大に結婚式やったのに。お恥ずかしい限りですよ」

「その結婚式には、呼んでもらえなかったんですけどね」

「来なくて正解。別れた今では黒歴史だよ、あんなの」

 結衣の結婚式は、結婚式というよりはライブに近く、結衣と新郎による華やかなダンスパフォーマンスが行われたらしい。義足になった結衣にとってはそれは大きな挑戦であり、雨が降ると傷口が痛んで踊れなくなるからという理由で雨音は出席を断られたのだ。

「ほら、あたしの話なんてどうでもいいからさ」

「いや、めちゃくちゃ気になるんですけど」

「それより雨音の話を聞かせてよ。うちで指輪作ってくれるんでしょ?」

「そうだけど」今日はその相談をしに来たのだ。

「方針は決まってるの? デザインの希望とか」

「それが全然。結婚指輪は二人でお揃いにしたいから、なるべくシンプルにとは思ってるけど」

「婚約指輪は? もう渡しちゃった?」

「ううん」と晴人が答える。「プロポーズらしいプロポーズもしてないからタイミングもなかったし、下手にサプライズをするよりはちゃんと雨音の希望を聞こうと思って」

「ほほう、それは賢明ですな」と言い、結衣はわざとらしく眉を顰めてみせた。「結構いるんだよねえ。彼女の希望を聞かずにサプライズだとか言ってオーダーメイドのアクセサリー作って、『こんなの好みじゃない』って突き返される馬鹿な男が」

 喋りながら彼女は、雨音たちを誘導するように店の奥へ移動した。そこには打ち合わせ用なのか、小さなアンティーク調のテーブルがある。

「まあ、いるよねえ。そういう男って」結衣に促されて席に着きながら、雨音も同意する。思い浮かべたのは、三年付き合って五年引き摺っていた例の男の顔だ。

 結衣がバックヤードに下がっていったかと思うと、すぐにペットボトルの水を三本持って戻ってきた。それを一人一本ずつ、配っていく。

「気を遣わなくてよかったのに」

「気を遣ってるなら洒落たハーブティーとか淹れるよ」

「なるほど」たしかにそうだ。

「長丁場になるからね。喉は潤しておかなきゃ」

「そんなにかかるかな。結衣におまかせでもいいくらいなんだけど」

「かかるよ。『なんでもいい』とか『おまかせ』とか言う人の大半は上手くイメージができてないだけで、人並み以上にこだわりはあるんだよ。ぼんやりしたところから正解を掘り当てなきゃいけないんだから、ああしたいこうしたいって色々言ってくる人よりむしろ大変」

「う、なるほど」おっしゃる通りだ。

「じゃあ、まずは婚約指輪の方から決めさせてもらおうかな」結衣はエプロンの胸ポケットから紙とペンを取り出した。「先に、納期を聞いてもいい?」

「実は、それも特に決まってないんだよね」

 晴人の答えに、「そうなの?」と結衣は意外そうな顔をする。「結納の日とかは? 大体でもいいんだけど」

「結納はやらないの」

「僕の両親がもう亡くなってて、兄弟も付き合いのある親戚もいないからね」

「あらあら」それはそれは。と結衣は言った。

「できれば入籍前には渡したいとは思ってるけど、時間をかけた方がより良いものが作れるなら、順番が前後しても構わないよ。強いて言えば、結婚指輪の方は結婚式には絶対に間に合わせたいけど、それは一年以上先になると思うからあまり気にしなくてもいいかも」

「うん。せっかくなら新婚旅行に指輪を付けて行けると嬉しいけど、できればって感じかな」

「なるほどねえ。新婚旅行はいつ?」

「僕の仕事の都合で最終調整中だけど、今年の秋頃になると思う」

「半年後ね」オーケーオーケー、と言いながら、結衣はメモを取る。

「ちなみに入籍も同時にする予定だよ」

「同時に? 籍入れた足で飛ぶってこと?」

「飛んだ先で籍入れるってこと。晴人たっての希望でね」

「面倒なことするねえ」

「憧れだったんだって」

「晴人さんはロマンチスト、と」

「ちょっと。変なことメモしないでくれよ」

「大事なことだよ。雨音の好みだけじゃなくて、贈り主の想いとか、そういうのもデザインに込めないといけないんだから」

「僕は雨音が喜んでくれさえすればいいんだけど」

「喜ばせるためにロマンティックなあなたの想いが必要なのですよ」

「やめてくれってば」

「まあ、いきなりイメージを言葉にするのは難しいからね。まずは分かりやすいとこから、メインに使うストーンでも選んでみる?」

 結衣は背後に置かれているラックから一冊の冊子を取り出し、雨音の前に開いて置いた。そこには色とりどりの宝石の写真がずらりと並んでおり、それぞれにその名称と解説が書き添えられている。

「婚約指輪によく使われるのはこのあたりの石かな。見た目で選ぶもよし、意味から選ぶもよし。まずは少し眺めてみてよ」

 雨音は冊子を手に取った。晴人からも見えるように大きく広げて持ったまま、端から順に目で追っていく。

「へえ。石にも色んな意味があるんだね」と晴人が感心する。雨音も宝石に詳しい方ではないが、晴人はさらに疎く、「誕生石なんていうのもあるんだ」とまで言った。

「誕生石ねえ」

 溜め息混じりに言う雨音に対し、「え、何?」と晴人は首を傾げる。

「私、誕生石ってちょっと理不尽だと思うんだよね」

「石に理不尽とかある?」

「あるよ。えーっと、誕生石の一覧とかって」

「ここだよ」結衣がページを捲ってくれる。

「ほら、見てよ。私の誕生石」

雨音は一月の欄を指差した。そこには血のような濃い赤色をした宝石の写真が印刷されている。

「ガーネット? 綺麗じゃない。意味合いとしても、愛の象徴とか、御守り効果とか、悪くないし」

「まあ、綺麗ではあるけどさ。私は青い宝石の方が好きなの。生まれた日なんていう自分の力で変えられないことで身につけられるものが決まっちゃうなんて、理不尽だと思わない?」

 そこまで言うことかな、と晴人は困惑していたが、結衣はしみじみと頷いた。

「それ、分かるなあ。モノに言葉を乗せて祈りを込めるのは素敵なことだと思うけど、言葉の方に縛られて好きなものが身につけられなくなっちゃうのはナンセンスだよね」

「そうそう。気にせず好きなものを身につければいいのかもしれないけど、でも意味が与えられてしまってる以上、やっぱり意味までぴったり合ってた方が素敵だとも思うし。あーあ。せめて私が十二月生まれだったらなあ。ターコイズとかラスピラズリとか、青い宝石勢揃いだったのに」

「でも雨音。ガーネットって実は、他の色もあるんだよ」

「そうなの? あ、写真よりもう少しピンクっぽいのなら見たことあるけど」

「赤系だけじゃなくて、緑とかオレンジとか。ガーネットって、『青だけがない』と言われてたくらい色々な色がある石なの」

「なんだ、青はないんじゃない」

「だから、『言われてた』って。つまり」

「今はある、ってこと?」

 結衣はにやりと笑い、何も言わずに立ち上がって、バックヤードへ消えていった。しばらくガサゴソという音が聞こえた後、手の中に何かを持って戻ってくる。

「数少ない採掘地はもうほとんど枯渇状態な上に人気も高いからものすごく稀少なんだけど、ついこの間、運良く良質なルースが手に入ったんだよね」

 そう言ってテーブルに置かれたのは、手のひらサイズの小さなケースだ。蓋にガラス製の窓がついており、中を覗くことができる。

「え、これ?」

 雨音は首を傾げた。話の流れからして、てっきり結衣は青色のガーネットを持ってくるのだと思ったのに、その宝石は全くもって青色ではなかったからだ。ガーネットとしてはあまり見ない色合いではあるが、一言で言うならばそれはピンク色であり、少し紫がかった、透明感のある上品な色をしている。

「まあ、見てなって」

 結衣は椅子に腰を下ろし、背後のラックから小さな懐中電灯を取り出した。電源を入れ、ピンク色の宝石に光を当てる。

「えっ」

 小さく声が漏れた。隣に座る晴人も、おー、と嘆息を漏らしている。目の前で、不思議なことが起こったからだ。

 結衣が光を当てると、ピンク色だった宝石は瞬時に淡い青色に姿を変えた。そしてライトを外すと元の色に戻る。光の加減とか、そういうことではなく、全く違う色になっているようにしか見えなかった。

「すごい。どういうこと?」

 雨音が尋ねると、「ライトに仕掛けがあるとか?」と晴人が口を挟む。

 まさか。今ここで結衣がそんなお粗末な手品を見せるわけがないだろう。と思っていると意外なことに結衣は、「お、鋭いね」と愉快そうに言う。

「と言っても、そんなに特別なものじゃないけどね。ただの白色LEDだよ」

「青色の光を当ててるってわけじゃないんだね」

 そんなまさか、と結衣は笑う。

「べキリーブルーガーネット」

「べき、何?」

「この宝石の名前。宝石の中には光の波長によって違う色を発色するものがあるの。うちの店の照明は白熱灯だから初めはピンク色に見えてたけど、白色LEDや太陽光の下では青く見える、特別なガーネット。それがべキリーブルーガーネットだよ」

「べキリーブルーガーネット」

 その名前を刻みつけたくて、雨音は復唱するように言った。ライトを当てられたときの、透き通った青色。澄んだ水を思わせるその色が、雨音はとても好きだった。

「ねえ。この石、雨の日は何色に見えるの?」

「あはは。ちゃんと青く見えるよ。ただ、晴れた日に太陽に透かすと、きらきら光って、ほんとに綺麗」

 その情景が目に浮かぶ。太陽に翳した左手。薬指に光る青。想像するだけで、胸がドクドクと脈打つ。

 運命だと思った。それは例えるならば、情熱的に愛し合った前世の恋人と千年の時を経て再会したかのような、いや、婚約者の隣でこんな例えを思い浮かべるのは不実にも程があるが、とにかくそんな衝撃的な出会いだった。

「べキリーブルーガーネット」もう一度その名を口にした。「晴人。私、これがいい」

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