第3話
予定よりずっと遅れてしまった。日が傾いている。
ネーリはもう街に戻ってしまっただろうか、と急いで馬を駆らせて、フェルディナントの帰還に敬礼している騎士たちの行き交う駐屯地に戻り、騎士館に入ろうとした時。
「あっ。 フレディー おかえりなさい!」
騎士館の丁度横から、ネーリが顔を覗かせ、その上からフェリックスも同じように顔を覗かせていた。
「ネーリ」
良かった、まだいてくれたと思うと、わらわらと騎士たちが姿を現わす。
「団長、ご苦労様です」
「おかえりなさい」
それぞれが敬礼で出迎えた。休憩中や待機中の騎士たちだ。行ってみると、数人の騎士たちが、丁度竜の身体を水場で洗ってやってるところで、聖堂の入り口の階段を椅子代わりに、他の騎士たちが座って話していて、少し離れたところにネーリがいた。
彼はやはり、絵を描いていた。
フェルディナントが連れてきた竜騎兵団は複雑な任務にも適応出来るような、異国での勤務も黙々とこなせるような人選をしているので、今日まで彼らはこの慣れない環境でも、淡々と日々をこなしているような者が多かったのだが、聖堂の入り口付近を、広場のようにしてそこに集い、何となく輪になって、話していた。これは初めて見る光景で、よく見ると、それぞれが紙を何枚も手にして、それを見ながら話している。
「フレディ昼頃戻って来るって言ってたから、待ってたんだけど、遅かったね……何かあった? 大丈夫?」
「あ、いや。大丈夫だ。何にもない。実は教会に寄って来たんだ」
フェルディナントは抱えてきた聖典をネーリに見せる。
「僕のスケッチだ」
ネーリが気付いて明るい表情をする。
「話してたら神父様が思い出して、見せて下さったんだ。昨日お前が戻らなくて心配したんじゃないかと思って、ちょっと寄ってこっちに戻るつもりだったんだが、見始めたら止まらなくて。実は教会で仮眠も取って来た」
「ネーリ、神父様がお前の許可があれば、これを持ち出してもいいと言ってたんだが……構わないか?」
「もちろん大丈夫だよ。でも走り書きが多いけど……そんなのでいいのかな?」
フェルディナントは首を振る。走り書きなんてとんでもない。
「どのスケッチも美しいよ。時間があったら俺もまだ見たかった」
「ネーリ様が描いたスケッチですか?」
騎士たちが興味津々だ。
「見せてやってもいいか?」
ネーリが微笑む。
「もちろんだよ」
騎士たちに聖典を渡してやると、挟まっているスケッチを覗き込み、すぐみんな集まって来た。
「今日一日ですっかりお前のファンになったな」
ネーリが可愛い顔で笑った。
「フレディの副官さんが、駐屯地案内して見せてくれたんだ」
「そうか。良かった。退屈させたかと」
「全然そんなこと無い。竜もいっぱい見れて、本当に驚いた。増設中の騎士館も大分出来てるんだね。中はまだ出来てなかったけど、外観は出来始めてて綺麗だったよ」
ネーリの側にいた副官が、薄い板の上に描かれたスケッチを見せてくれた。
「今日一日でネーリ様が、駐屯地を見て回って絵を描いてくださいました」
見慣れた駐屯地の光景なのに、感動を覚える。
竜の世話をする騎士たちの姿、彼らに世話を受けている時の竜の姿、剣を打ち合って身体が鈍らないように修練している騎士たちの様子、暑い中、水で汗を洗い流している姿、休憩中に海の方を眺めている姿、昼食を食べている姿、掃除をしている姿、食事の後片付け、食器を洗ったり、乾かしたり、テーブルを拭いている姿まである。
色んな騎士たちと竜の姿が描かれていた。
約半日だが、相変わらず凄まじい筆の速さだ。ネーリはスケッチなら、どんな絵でも十分か三十分ほどで仕上げて来る。そして本当にどの絵も描写が精密で美しい。
騎士たちも、上官に揃えたように芸術など無くても生きていける、というような人間がここには多かったが、その彼らからしても、瞬く間に絵を仕上げていくネーリの才能は、目を見張るものがあったようだ。珍しいものを見た、というようにどの顔も輝いている。
「団長の言った通り、ネーリ様はすごい画家ですね。筆も早いですが、一枚一枚のスケッチも美しくて」
「そうなんだよ。ネーリ、この通り、ここの騎士はお前の絵に夢中らしい。良かったらあの教会にある残り四冊の聖典も、この駐屯地に運び込んでも構わないか? 休憩中もあまり自分たちがウロウロしては……とヴェネトの街に気を遣って出て行かない奴らが多いから、ヴェネト王国の景色を描いたあのスケッチは、ここの者たちにはとても珍しいものだろうから、見れたら嬉しいと思うんだよ」
ネーリは嬉しそうに頷いた。
「あんなものでいいなら、喜んで」
あんなもの、なんてとんでもないよ。フェルディナントは思った。本当は自分が一番見たかったので、ここに持って来ていいと許可をもらい、心が浮かれる。
騎士たちはすぐにネーリのスケッチに夢中になったようだ。
それに……自分たちに備わっていない、絵を描くという領域で、高い技術を持つ青年に対しての尊敬の念は勿論あっただろうが、それ以上にネーリが竜のことについてだったり、騎士の装備のことについてだったり話すと、彼らが親しみを持って丁寧に答えてやっているのが分かる。
自分たちの団長の客人というだけの空気じゃない。この感じは、あの教会でも感じるものだ。この駐屯地の人間達がネーリに興味を持ち、好意を持ち、共にいることを好ましく思っていることがはっきりと分かる。
確かに美しい容姿の青年だが、一番は。
「フェリックスが膝に顎を」
「すごい」
騎士たちが、座っているネーリの膝に、彼のすぐ側でお行儀よく座っていたフェリックスが少し顎を乗せる仕草をすると、彼らはちょっとどよめいて、楽しそうに笑った。
彼らがそうやって笑うと、ネーリも微笑う。
その空気が、その場を包み込んでいくのだ。
彼がいる場所の空気が変わっていく……。
美しい芸術のように、ネーリの魅力は明確で、誰にでも理解できる類いのものだ。
フェルディナントの目には、フェリックスでさえ、幼い頃の刷り込みではなく、こうして会った時の感動で、ネーリに瞬く間に心を開いて行っているようにすら見えた。
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