(5)

「いでででででっ!」


 リーダー格の男の、悲鳴にも似た声に釣られてか、徐々に周囲にひと――大部分が冒険者――が集まってくる。


 迷宮の出入り口から近いために、ここはひとの往来が多い。


 よって冒険者同士のいざこざは日常茶飯事で、少々の言い合いくらいではひとが集まってくることはない。


 それでも若い男が、自分よりも背の低い小娘に腕をひねり上げられているさまは注目を集めた。


 おまけに小娘のほう――ソガリは《六本指》の職員の制服を着ている。


 迷宮都市の中心部にある大広場に面してギルドホールを構えている《六本指》のことを知らない冒険者は、この街にはいない。


 ひとの声がまたひとを呼び、あっという間にカイたちは野次馬の冒険者たちに囲まれてしまった。


 カイはソガリがリーダー格の男の腕をひねり上げるのを見て、一瞬だけあせった。


 ソガリと男の体格差は明白だったからだ。


 けれどもカイのそれは杞憂に終わった。


 どうやらソガリは、見た目に反して思ったよりも力が強いらしい。


 あるいは、魔法でも使えるのか。


 いずれにせよ、リーダー格の男が何度か体をひねっても、ソガリの拘束を解くことは叶わなかった。


「暴力で解決しようだなんていけません!」


 「お前がそれを言うのかよ」とカイは思ったし、周囲にいる野次馬たちもそう思っただろう。


 しかしそれが火種となったのか、取り囲んでいる野次馬たちからささやかな笑い声が漏れ出した。


 原野に放たれた火があっという間に燃え広がるように、野次馬たちに笑いが広がる。


「お、おい。もうあいつなんて放っておこうぜ!」


 先に絡んできたのは男たちのほうだというのに、この言いぐさである。


 どうやら予想外にひとが集まってきた上に、醜態を笑われたと感じたのだろう。


 男たちは急にそわそわとしだして、この場から離れようとする。


「もう悪さしちゃいけませんよ!」


 小さな子供に言って聞かせるようなソガリの言い方に、今度こそ周囲からはどっと大きな笑い声が上がった。


 ソガリがリーダー格の男を解放すると、絡んできた男たちはそそくさとその場を立ち去る。


 カイが男たちを引き留めなかったのは、もうその顔をすっかり覚えてしまったからだった。


 加えて、救助した男が回復すれば、あの男たちの所業についての証言も取れるだろう。


 男たちが持っているであろう、《六本指》が発行しているギルドカードは没収、ギルドホールへは出入り禁止となるに違いなかった。


 《六本指》は、新米冒険者への手厚いサービスで名前を売っている面もある。


 《六本指》の先代ギルドマスターがこの迷宮都市における冒険者稼業への参入障壁を下げたことには未だ賛否両論あるが、今ではどの冒険者ギルドも新米冒険者に対する補助サービスを提供しているのは事実。


 《六本指》では特に初心者を食い物にするような行動はご法度なのだ。


 ギルドマスターであるボスは、決して優しいだけの人物ではないから、厳しい処分が下されることは確定しているも同然だった。


 「ダサいのはどっちだよ」と思いつつ、カイは男たちの背中を見送った。


「――で、なんでお前こんなところにまで来てんの?」


 カイが救助した男を宿まで背負って送り届けたあと。


 救助代金について後日《六本指》のギルドホールで手続きをするため、男から預かったギルドカードをギルド内の所定の保管場所にしまいつつ、カイはようやくその疑問を口にした。


「ちょうどお使いで。それにカイが帰ってくるの遅いなーって思って」

「……冒険者なんて乱暴者ばっかだし、クズも多いんだからあんま迷宮付近に近づくなよ」


 ソガリがカイを呼び捨てにし、敬語もやめたのはカイがそれを望んだからだ。


 ――「カイ『さん』はやめろ、呼び捨てでいい。あと別に敬語使わなくていい。オレとお前とじゃ歳そんなに変わんねーだろ」


 カイがそう言ったのは、ソガリに小説を貸し出して三冊目のときのことだった。


 なんだかんだと小説の貸し借りをして、ついでに感想を言い合ったりしているうちに、カイとソガリはなんとなく気安い言葉を交わす間柄となっていた。


「っていうかカイ! 怪我してる! さっきの――」

「ちげーわ。これは迷宮内でついた傷」

「どっちにしても手当てしないと!」


 そう言うや、ソガリは大急ぎでスタッフルームの棚にしまわれていた包帯やらガーゼやら軟膏やら小さなハサミやらを持ち出してくる。


 そしてソガリはそのままカイの怪我の手当てをしようとしてきたので、カイはちょっとおどろいた。


「それくらい自分でできる」


 と言ってカイは突っぱねようとしたが、


「いつも小説貸してくれるお礼だよ!」


 と言ってソガリは包帯やハサミから手を離しはしなかった。


 カイはこのまま押し問答をするのがめんどうくさくなり、ソガリに促されるままイスに腰を下ろした。


 カイは、ソガリとの密かな付き合いの中で、彼女の性格についてなんとなく把握しだしていた。


 いつもにこにこと笑顔で、コマネズミのように働いて、文句のひとつもこぼさない。


 けれども優柔不断だったり、気の弱いところを感じたことは一度もなく、どちらかといえば頑固なほうという印象だ。


 柔軟性がないわけではないのだが、荒くれの冒険者を前にしても一歩も引いたところを見せたことはない。


 今だって、カイの怪我の手当てをするという意思を通してきた。


 カイがちょっと嫌な顔をしても、だ。


 ソガリのそんな態度は、時と場合によっては考えものだったが、カイは嫌悪感を抱きはしなかった。不思議なことに。


 これまでのカイであれば、怪我の手当てを任せるだなんてことはしなかった。


 他人に弱みを見せたり、借りを作るだなんて、カイには耐えられないことだからだ。


 けれどもソガリはもう、カイがわざわざ公にしていない趣味――読書――を知っている。


 だからだろうか。そこからもうひとつなにか弱みを握られても、今さらな気がしたし、そもそも能天気なソガリはそこにつけ込むようなことはしないだろう、という思いもあった。


「慣れてるな」

「あー、わたし怪我することが多くって」


 慣れた手つきでカイの左腕に包帯を巻いて行くソガリを見る。


 どこにでもいる女だ。カイと同じようにまだどこかあどけなさが残っていて、それから平凡な顔立ちの。


 今は、真剣な表情でカイの怪我の手当てをしている。


 以前までのカイであれば、強引に手当てをしようとする人間がいれば憎まれ口のひとつでも叩いただろう。


 けれども今日は、そんな気にはなれなかった。


 なんだか、こんな時間は嫌じゃない――。


 カイはそんな心境の変化に戸惑いを覚えたが、それを顔に出すことはしなかった。

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