(6)
「お気持ちだけありがたくいただいておきマス」
カイが三度そう口にしたことで、贅肉を蓄えたにこにこ顔の男の笑みもわずかに引きつる。
見るからに裕福そうな身なりの男は、これまた育ちのよさそうな真っ白な長毛のネコを抱えたまま、また改めて笑顔を作る。
金に困ったことのなさそうな出で立ちの男はしかし、このあたりでは見たことのない、知らぬ顔だ。
そんな男が冒険者ギルド《六本指》の戸を叩いたのは、逃げ出した飼いネコを捜索して欲しいというありふれたものだった。
急いでいる。金に糸目はつけない――。
そんな依頼の内容に手を挙げたのがカイだった。
ただのネコ捜しには見合わない成功報酬に釣られたのだ。
ペットを捜して欲しいという依頼はよく冒険者ギルドに持ち込まれるが、「冒険者」ギルドと名がつくからには冒険をしたい人間ばかりが依頼を請けに集まってくるわけで、ペットの捜索依頼はどちらかと言えば不人気な依頼ではある。
カイはそんな不人気な依頼のうち、掲示期限が間近に迫ったものの達成をよく押しつけられていた。
「君ならそれくらいできるでしょう?」。そんな言葉と共にギルドマスターであるボスが、広告に喧伝するための、依頼の達成率の底上げのためにカイに押しつけてくるわけである。
そういうわけでカイからすれば、庭とも言える迷宮都市でのペット捜しは朝飯前の依頼だった。
そして今回も首尾よく男の飼いネコを見つけ出したカイは、ちょっとした――と言うには少々大きめの額の臨時収入を得られて、気分は上向きだった。
男に耳元でささやかれるまでは。
脂ぎった同性に耳打ちされるという状況だけでも、カイからすれば鳥肌ものだったが、その内容がまた厄介だった。
「……キミ、こんな初心者向けギルドにいるより、もっと上の一流ギルドに移籍したらどうだい? たとえば《熊羽織り》とか。ワタシはそこと取引があってね――」
だからカイは一生懸命笑顔を作って言ったのだ。
「お気持ちだけありがたくいただいておきマス」
だが依頼人だった男も笑顔のまま、なかなか引き下がらない。
しかしカイが三度そのセリフを口にしたことで、ようやく男もあきらめた様子だったが――。
「……名刺、もらっちゃったね?」
「あそこでもらっとかねーと引かねえだろ」
名刺に印字された流麗なフォントから目を離せば、受付カウンターの近くからソガリが身を乗り出してカイの手元を見ている。
カイはソガリに向かって、男からもらった名刺をひらひらと振る。
「それにしてもギルドホール内で他ギルドに勧誘するなんて堂々としてるね!」
「聞こえてたのかよ、地獄耳」
「最初のほうは聞こえなかったけど、最後のほうは普通にしゃべってたじゃん」
「まあそうか。でもあれは堂々としてるっつーか、まあそうだけど、ツラの皮が厚いっつーか」
「《熊羽織り》……って《
「この迷宮都市で最初にできた冒険者ギルドだ。一流ギルド扱いされてるけど、代替わりしてからこっち、評判は微妙だな」
カイがそう言えば、ソガリは「へー」と感心したような声を出す。
ソガリは迷宮都市に来てまだ日が浅いというのは、カイもこれまでのやり取りの中で知っていた。
「だから誘いに乗らなかったの?」
「怪しすぎるだろ。第一、あいつが本当のこと言ってきてる保証もねえし。近ごろの冒険者ギルド界隈はなにかときな臭えしな」
カイは必要以上に他人とつるまない。
しかしそうして自ら閉じこもるという行為は、迷宮にひとりで潜る浚い屋としては致命的でもあった。
だからカイは迷宮内の情報を冒険者たちに売る。
迷宮の浅層の情報は冒険者ギルドでも開示しているが、深層になるにつれて当然情報は少なくなり、また深層を経験した冒険者も情報を秘匿する。
つまり、深層まで潜れるカイの情報は金になる。
同時に、冒険者たちと接することで界隈の大雑把な空気を読めるし、なにげない雑談から情報を落として行く者もいる。
カイは迷宮の「底」や、その「底」に眠っているとされる未知のお宝には興味がない。
ただ日々の中で、少しの贅沢をしたいときにためらわずにそれができるていどの稼ぎと、蓄えが欲しいだけで迷宮に潜っている。
だから他ギルドの勧誘を受けても、カイの心は動かない。
現状で満足しているからだ。
だがそうではない者にとっては、あの先ほどの男のような勧誘を受ければ、心は揺らぐのかもしれなかった。
特に《熊羽織り》は一流ギルドと言われている。
近ごろはその評判に影が射してはいるものの、未だにこの迷宮都市で《熊羽織り》の名は健在だ。
カイからすれば、そんな老舗の《熊羽織り》はなんとなく「お高くとまっている」感じがしてあまり好意的には見れないのだが――。
「カイは義理堅いもんね!」
「――ハア?」
なにやらソガリは、勧誘に応えなかったカイの様子を見て、いいように解釈したらしい。
そんなソガリの思考回路にカイが絶句していると、ソガリは「あ、照れてる?」などと言ってきた。
「照れてねえよ。照れる要素ないだろ」
カイはそう言って、もたれかかっていたカウンターから身を離す。
そうして「休憩入っから」とだけ言い置いてソガリに背を向け、振り返ることなくスタッフルームへと入る。
カイの背後からは、「わかった!」という無駄に元気な声が上がった。
実際のところ、カイは照れはしなかった。
しかし、身の置き場がないような、尻の座りが悪いような気持ちにはさせられた。
カイは、自分が「義理堅い」などと思ったことは一度としてないからだ。
けれども《六本指》のギルドマスターであるボスに対し、義理を感じているのもまた確かだった。
ただカイはそれを真っ向から認められていないのだ。
「照れてる?」――。ソガリのそのひとことは、カイの複雑な感情を見透かしたかのようにも聞こえて、思わず逃げてしまったのだ。
「クソダセエ……」
カイはそう口に出すことで、今感じている気恥ずかしい気持ちを外へと逃がした。
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