君を追いかけて

目失走

君を追いかけて

7/28

「何食べたい?」

僕の彼女は料理ができない。キッチンにも立たせられないくらい危なっかしくて、だからいつも2人の分の食事は僕が作る。

彼女はいつものように、なんでもいいよ。と判断を僕に委ねた。彼女はなんでもいいという割に、肉が出てこない日は文句を言う。

「それが一番困るって、毎日言ってるんだけどね」僕は唸るように言って、キッチンに入った。

暑いし、今日はカレーがいいだろうか。もう6時半だというのに空は異常なほど明るかった。窓を開けると生暖かい風が首筋をぬるりと通った。彼女は椅子に座って、僕の方をニコニコ眺める。

「夏になると君はいつも機嫌がいいね」僕がそういうと、彼女はふっと優しく笑った。

彼女は夏が好きだった。

いつも真っ白いワンピースに、ツバの大きな麦わら帽子をかぶって、近くの海に出かけた。サンダルを脱いで浅瀬でぱちゃぱちゃとよく足を濡らして遊んでいた。

ひらりひらりと舞うワンピースから見える長く透き通るように白い脚は、心配になるほど細く、長い黒髪とのコントラストがいつも映えていた。夏じゃなくても海に行きたい。彼女はそう言ってヘラヘラと笑った。


湯気をもくもくと放つカレーライスを彼女の前に置いた。窓の外に視線を向けて今にも消えてしまいそうだった彼女は、パッとカレーライスに視線を向けた。彼女の儚げなシルエットが、だんだんとくっきりし始めた。

「そんなにお腹空いてたの?」

僕はそう言うと彼女は、そうでもないけど、こんなの見たらお腹空いちゃうよ、あれ?らっきょうってどこだっけ?とヘラヘラしながら答えた。

「僕が出すから、君は座ってて」

そういうと彼女は、しょんぼりしながら戻っていった。申し訳ないような気もするが、変にキッチンを漁って怪我でもしたら大変だ。彼女の前にスプーンとらっきょうを出す。彼女は福神漬けではなくらっきょう派だった。それは僕はよく知ってる。

ねえ。彼女はカレーライスを頬張りながら言う。そういえば、今日は海に行けてないね、今からでも行く?そう無邪気に彼女は言った。僕は渋った。

「いいけど、うん。でもしんどいな。この時間に海に行くのは。もう無理かもしれない」僕はそう言うと彼女は、にっこり笑って、でもこんなふうにしていられるのも今日が最後かもしれないでしょ。と言った。無邪気な声には棘が混じっていた。「なんて事言うの」そういう僕の声は震えてた。

だって。そういう彼女の声は変わらず無機質で、能天気だった。明日、私が君の前にいる保証はないよ。もう消えてしまっているかもしれないのに、そういう現実を見ないところ、君の悪い癖だよ。カレーライスを頬張りながら彼女は僕にスプーンを向けた。

頬張っている割に、彼女の皿からカレーライスは減っていなかった。

「もういいよ、僕が食べるから」彼女の皿をひったくって、カレーライスを頬張った。

彼女は、声のトーンを落として冷ややかに言った。昨日もカレーライスだったよね。

「文句?」僕が問い詰めるようにいうと、彼女は答えようともせず、そっぽを向いた。


海に行こう!

彼女はそう言って、麦わら帽子を目深にして被った。さっきの険悪なムードなんて忘れてしまったように。いつもこうだ。僕は彼女には敵わない。またこうやって繰り返すんだ。

「わかった」

僕らは海へ向かった。


家の近くにある海は、人気の多いビーチを抜けると、ゴツゴツした岩と、白く美しい砂浜が広がった景色へと変化する。そこにはゴミなんかなくて、小さな貝殻と、蟹だけが居た。

気持ちいいね。彼女はそう言いながら浅瀬でパチャパチャと水遊びをする。「そうだね」僕が答えると、彼女は僕を手招きして促す。おいでよ。その声に誘われて、僕も裸足になり、浅瀬へ、彼女の元へ行った。

「毎日毎日よく飽きないね」僕はそういうと、明日には一緒にいないかもしれないでしょ。と彼女はまたもや無機質に言った。

「いい加減にしてくれ」

自分とは思えないほどに大きな声が出た。彼女は怒鳴られても表情一つ変えない。怒鳴った僕の方が歪んだ、辛そうな表情をしていた。怒らないでよ。彼女は同じ声で言う。本当に最後かもしれないんだから。


帰り、七時半、辺りが暗くなり始めていた。ボールが見えなくなったからか小学生が帰るぞー!と叫んで走っていく。



目の前にトラックが走った。

まただ。

小学生が飛び出した。

まただ。

気づけば僕の隣から彼女は消えていた。

まただ。

バンッ。重たい音と、真っ白な彼女が宙に舞う。

まただ。

彼女のワンピースが真っ赤に染まっていく。

まただ。

運転手が血相掻いてトラックから出てくる。

まただ。

小学生が高い声で短く叫んで、気絶する。

まただ。

僕は見つめたまま何もできないでいる。

まただ。


瞬きすると。

そこには何もなかった。

彼女も、トラックも、小学生も、運転手も、何もなかった。

当たり前だ。

もう一年も前の話なんだから。

彼女はとっくの昔にこの世からいなくなったのだから。

何度だって、何度だって、僕の頭の中には、あの日が繰り返されてる。


7/29

「何食べたい?」

僕の彼女は料理ができない。キッチンにも立たせられないくらい危なっかしくて、だからいつも2人の分の食事は僕が作る。

彼女はいつものように、なんでもいいよ。と判断を僕に委ねた。声なんてどこからもしないのに。頭の中ではまだ彼女が、椅子に座って僕のカレーライスを待ってる。

あの日と同じように、ずっと繰り返している。

いないはずの彼女の声だけが、頭の中に響く。


「もう終わりにしよう」


思わず出た、一言。

焦って、前を向く。

そこにはもう何もなかった。

声も聞こえなかった。姿も見えなかった。

彼女が座っていた椅子がポツンと置いてあるだけだった。

壁にかけていたボロボロになった麦わら帽子が、さっと床に落ちた。

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