Fucked up the laboratory
@fukude
プロローグ
今日も河川敷の舗装路に、二人分だけの足音が鳴る。
隣で走る彼女の、テンポのよい呼吸。吸う吸う吐く吐く、のリズムで走ることが大事だと彼女は話していたけど、マラソンコースの終盤間際では棒になりかけの足を必死に動かすだけで手一杯だ。
「
「……も、もうっ、へばっていいなら」
「なっさけないな。ほら、あとちょっとだから」
そう
すると、いつもゴール地点にしている看板が見えた。
僕はさっきの悶々(を消し飛ばすように、最後の力を振り絞ってスプリントを開始する。隣で走っていた美生さんが、「ちょっと!?」と焦ったように声を出すが気にしない。運動会の選抜リレーで全力疾走するみたいに駆け抜けて。
あるはずもないゴールテープを切った。
そして、ぜぇぜぇと死にかけの
遅れてゴールした美生さんが、未だに息を切らしている僕をしらーっとした目つきで見て。
「アホ」
「いやっ、はぁ、なんかっ、はぁ、こういう時ぃ、ダッシュしたく、はぁ、なりません?」
「なりません。……朝のトレーニングなんだし、そんな必死にならなくてもいいのに」
「いやっ、はぁ、やるからには本気でっ」
「それはいい心がけだ。まぁ、最後のダッシュは無駄だけど」
そう美生さんが辛辣に吐き捨てたと思うと、今度は僕の頭をポンポンと優しく叩いて。
「でも、今日も頑張ったし。ジュース、奢ったげる」
「え、いいんですか?」
「先輩だしね、後輩が頑張ってたらご褒美は必要でしょ」
「じゃあ、アクエリアスで……」
「水の方が安いよ?」
「……じゃあ水で」
「OK」
……ジュースとは? と突っ込むのは野暮だろうか。
そして、美生さんは自販機まですたすたと歩いて、百円玉を二枚入れた。水のボタンを押し、取り出し口から「はい」と僕に一本渡してくれる。僕はふらつく足でそれを受け取った。
「ありがとうございます」
「ふふっ、感謝してね」
「……やっぱり、水が一番おいしいですよね」
「まぁ、命の水って言うしね」
そう言いあって、お互いゴクゴクと半分くらい水を一気に飲み干す。冷たい液体が乾いた喉を潤して、それがひどく心地よい。走り出したころよりも太陽の角度が上がっており、陽も明るい。今日も、暑くなりそうだ。
「今、何時ぐらい?」
「えーと、七時十五分ですね」
「じゃあ、ちょっと休んだら帰ろうか。昨日の朝食は私が作ったし、今日は頼んだ」
「頼まれました」
そして、お互い草むらにしゃがんで一呼吸を付ける。美生さんはシトラス系の制汗剤をシューシュー吹きかけていて、僕にもとお願いしたら「仕方ないな」と言ってかけてくれた。
お互い、今更汗の匂いなんて気にする必要もないのかもしれないけど。
朝食はハンバーガーを作った。この前買ったマフィンと昨日の夕食のハンバーグが余っていたから。
ちなみに、パンは消費期限が切れてたから捨てようかと思ったけど、美生さんが「もったいない!」と言うから仕方なく。
そして皿洗いを終えた美生さんが、ソファでテレビを見ている僕の身体に腕を回して。
「今日は何する?」
「……映画でも見ます?」
「ええ、またぁ? もう飽きたよ」
「じゃあ、美生さんのしたいことをしましょう」
「……たくさんの選択肢の中から何かを選べと言われると、答えに窮するよね」
「なら、運動か家でゆっくりか」
「んー、ゲームでもする?」
「いいですよ。桃鉄でもします?」
「……それでこの前大喧嘩して、別居一歩手前まで行ったの忘れてない?」
「あー、ありましたね……」
同棲してはじめての喧嘩の内容、本当に下らなすぎる。
そして色々話した結果、彼女がポケモンの新作をやり、美生さんがプレイで詰まったら僕がアドバイスをすることになった。ブルーライトカットの眼鏡をかけて、伸ばさざる得なくなったボブカットの髪を揺らしながら「可愛い! 可愛い!」と癒されてる彼女を見ていると、こっちまで癒されるから不思議だ。僕と会うまではほとんどゲームというものに触れてこなかったらしく、ハマり方もひとしおだった。
そして、昼食を食べ終えた後、レッスン着に着替えた美生さんがうちの庭でダンスの練習をする。僕はそれを美生さんに勧められた湊かなえの小説を読みながら、傍目で見守っていた。結構な音量をスマホから出しているけど、近所迷惑なんて言葉はもう存在しない。
僕と視線が重なった美生さんが、僕に向かって可憐にウインクをする。この前、ライブハウスで僕だけに見せたダンスを滑らかに踊りながら。
それに思わず目を引き寄せてしまうのは、美しいものを知覚したいという人間の性なのだろうか。相変わらず、アイドルグループの人気ナンバーワンでリーダーなだけあって様になっている。可愛い。そしてすごくかっこいい。
にしても、ろくもまぁこんな状況下でずっとレッスンなんか続けられるな……と思う。それに、彼女のアイドルグループのワンマンライブも三日前に終わっている。息を切らしながらシャツを汗で濡らす意味など、本来はないはずなのだ。
そんな疑問をぶつけてみると、美生さんは困った顔を誤魔化すみたいに苦笑いをして。
「こうしていると気分が落ち着くから……。それに、本当なら今日もライブがあるしね。
「唯さんって……アイドルメンバーの人でしたっけ」
「うん、私が所属してた……いや、所属しているグループで一番仲がいい、私の親友」
そう、美生さんはまるで遠くへ旅立った戦友を思い出すみたいに、懐古の表情を浮かべた。例え、メンバー一覧から名前を消されても、彼女の心はまだ所属していたアイドルグループにあるらしい。
その屈強な思いの丈を、僕は素直に尊敬する。僕なんか最近、付き合っていたあの子のことすら、記憶の隅に追いやられているというのに。
だけど、そんな感服は彼女に届かなかったらしく、彼女は小さく首をかしげて。
「そんなじっと私を見てどうしたの。もしかして、葡萄も踊りたいの?」
「いやぁ……アイドルになる気はないので」
「えー、葡萄かっこいいのに……。それに気、紛れるよ?」
「じゃあ、ちょっとだけ……」
かっこいい。その彼女の言葉に乗せられた僕は軒下に小説を置き、彼女に倣ってダンスを踊る。……何度か、彼女と一緒に練習をしたことはあれど、やはり結構ハードだ。何十分も踊っていると普段使わない筋肉が悲鳴を上げ始めるのが分かる。これは明日、筋肉痛だろう。
「どう? 葡萄もアイドル目指す?」
「いや、僕にはロックがあるので……」
「ロックな断り方だ」
「あはは……」
美生さんが放つギャグは、基本ちょっと寒い。
その後、ちょっとだけ掃除とかの家事をして、二人でスーパーまで夕食の材料を買いに行った。たまには外食なんかもしたいけど、作ってくれる人なんて居ないからしょうがない。鮮魚売り場まで行くと普段より高いものが売られていて、そういえば今日は休日だったことを思い出す。スマホの予定表を見ると、十九時から浦和レッズの試合が始まる。急いで帰らないと……。
「ねぇ、葡萄。今日は何にする……って、また高いものばかりカゴに入れて……。ウニなんて、いくらなんでも贅沢が過ぎるよ」
「だって、どうせお金払わないでしょ……」
「それはそうだけど……。でも、贅沢は敵だしお店に悪いよ。慣れると、元の生活に戻れなくなる……」
「じゃあ、今日の夕食はカップ麺にします? 今日は海鮮丼の予定ですけど……」
「……うっ」
「サーモン、本マグロ、いくら、ぶり、ウニに鯛……」
「……私が悪かったです」
そう、誘惑に負けた美生さんが項垂れる。この暮らしももう一か月半ぐらいになるのに、彼女にはまだ自制心が残っているらしい。真面目だなぁ……と思う。
そして、夕食を作り、二人でレッズ戦を眺めて(ちなみに、美生さんはあんまりサッカーに興味が無い)、風呂に入った後。
洗面所で着替えて二階に上がると、元々空き部屋だった場所から嗚咽が聞こえてきた。今日もか、とちょっとだけうんざりした気分になりながら、僕はノックをして中に入る。
すると、美生さんはベッドの上にも座らず、わざわざ部屋の隅っこで体育座りをして泣いていた。彼女は僕に気づくと、充血して赤くなった瞳を潤ませて。
「ぶどう……」
なんて、迷子になった子どものような声で抱き着いてくるから、僕はよしよしと背中をさすってやることしかできない。最近は、一人の時間ができるといつもこんな感じだ。一人きりだと、どうしても心が弱ってしまうみたいだった。
僕のシャツで、くしゃくしゃになった顔で涙を拭いている彼女はとても痛々しい。でも、この状況でこうやって泣き喚いて、僕に甘えることが彼女にとっての救いだとするのなら、僕は耐える他ない。……この前、そっとしてやろうと泣いている彼女を放置してたら、翌日ずっと拗ねて無視されたしな。
温み。僕と美生さんだけの体温。背中をさすってやれば、彼女の心臓の鼓動が伝わってくる。それが、取り残された僕の唯一の希望。正気で居る為の、唯一の希望。
「落ち着きました?」
「……うん。ねぇ、葡萄?」
「なんですか?」
「すき」
「……僕も美生さんのこと、大好きですよ」
「そっか……。まぁ、ばれてるけど」
「ばれてましたか」
「ん」
そう相槌を打って、彼女は何かを待つみたいにその端正な瞳を閉じる。さすがに、もう何度もやってきたことだから、その意図は分かる。長く整った眉に、宝石よりも綺麗だと思える美形な顔。意識すると緊張するから、僕は軽く息をついてからその柔らかい唇を重ねる。
そして、その勢いのまま秘め事をして、相変わらず上着だけは身に着けたまま、美生さんが僕を膝枕してくれた。彼女は僕の伸びた髪を優しくいじりながら、百合のような可憐な笑みを浮かべて。
「相変わらず、夜はすごい元気なんだから」
「……そりゃ、相手美生さんだし」
「まぁ、現役のアイドルが目の前にいたら、そうなっちゃうか」
「……はい」
なんて、お姉さんぶりながらも、ちょっと赤面しながら話す彼女はやっぱりかわいい。
だけど、彼女はその笑みを急に萎ますと、真面目な顔で僕に言う。
「……ねぇ、葡萄?」
「どうしました?」
「葡萄だけは、何があっても居なくならないでね」
「居なくなりませんよ」
「本当?」
「はい。安心してください」
「ならさ、一つだけ約束してあげる」
「なんですか?」
「もし私が消える日が来たら、絶対にあなたも連れていくから」
「……そうですか」
「うん。絶対この誰も居なくなった世界で、あなたを一人きりになんてしないから」
Fucked up the laboratory @fukude
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。Fucked up the laboratoryの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます