第2話

 目の前にはスマホのカウントダウンタイマー。


 発売日を告げる数字が刻一刻と減っていく様子を、片手でスマホを握りしめ、もう片手で車のハンドルを操作しながら見つめていた。



『翠雪華:SUISETTKA』

 高難易度ゲーの歴史に残るだろう新作タイトル。


 雪深い和風世界を舞台に、プレイヤーは「雪」「月」「花」の三系統スキルを駆使して、凶悪な敵を倒しながら進む。


 その触れ込みだけで、胸の奥が燃え上がるような興奮を覚える。

 いや、それ以上だ。

 まるで本能が、この戦場に飛び込めと叫んでいるかのように。


 正直、ゲーム以外のことには興味なんてない。

 ただ、新たな戦場――翠雪華が自分を待っている。それだけが重要だった。


「早くやりたい……」


 低く呟き、信号待ちの間、スマホに映るカウントダウンの数字に合わせて、ハンドルをトントンと指で叩く。


 その音だけが車内に響く静かな時間。


 だが、そんな一瞬の静寂も俺にとっては退屈だった。

 早く――早くこのタイマーがゼロになるのを見届けたい。


 アクセルを踏み込み、車が交差点を抜ける。

 スマホに目を落とす時間が少しずつ増え始めていることに、気づいてはいた。


「あと三日、三日だ……」


 もうすぐ、待ちに待った翠雪華の世界に足を踏み入れられる。

 そのことばかり考えている。


 脳裏には、ゲームのプロモーション映像が再生され続けていた。

 剣を振り、雪を踏み、命を削り合う戦闘の映像――あれこそが、俺の求めていたものだ。



 そして次の瞬間。


 視界の端に、何かが横切った。


「……!」


 反射的にハンドルを切ろうとしたが、遅かった。

 轟音。金属同士がぶつかり合う音。何かが砕け散る感触。


 車が大きく揺れ、スマホが手から滑り落ちていく。


 頭が打ちつけられ、視界がぐらりと歪む。


 耳鳴りの中で、外からの声が微かに聞こえた――誰かが叫んでいる。


「危ない!」


「救急車を呼べ!」


 しかし、俺の意識はすでに深い闇の中へ沈み込んでいて……


「くそ、あと……あともう少し……で」


 最後に浮かんだのは、スマホに映るカウントダウンの画面。

 数字が――徐々にゼロに近づいていく。


『翠雪華』に辿り着く前に、この体は壊れてしまった。


 けれど――


「……このまま、死んでたまるか……」


 その想いだけが、俺の心に強く残っていた。

そして、それは次の瞬間、闇の中へ完全に溶けて消えた。




――――――

――――

――



 目を覚ました時、最初に感じたのは、まるで重力が二倍になったかのような身体の重さだった。

 目を開けると、白い天井が目に飛び込んできて、見知らぬ場所だった。


「……どこだ? ここ」


 もしや病院?


 と思ったけど、普通に白を基調とした可愛らしい部屋でますます混乱する。


「なんだ、これ、一体何が、どうなって」


 身体を白いベッドから起こしてみる。


 それにしても体が妙に軽い。


 いや、軽いというか、――自分の体が、自分の体じゃないような感じがする。

 手を顔に持っていくと、何か柔らかい感触が指先に触れる。


「もちもちしてる、ヒゲもない」


 見下ろすと、見慣れた自分の手とは明らかに違うものが視界に映った。


 白い、細い、華奢な手。


 思わず自分の腕を引っ張り、すぐに腰から下を確認する。

 そこで初めて気づいた。自分の身体の形が、完全に違う。


 ……女の子のもの。



 混乱が一気に膨れ上がる。

 頭の中で、ひとしきり記憶がぐるぐると回るが、どうしてもつじつまが合わない。確か、俺は――


「……まさか、事故?」


 ゲームの発売日を心待ちにして運転していた時。

 赤信号で止まり、カウントダウンのタイマーを眺めながら運転していたはずだ。そして、何かが急に視界を遮って――


 その後が全く思い出せない。



 ベッドからゆっくりと起き上がると、周囲の空間も、見覚えのある部屋ではないことに気づく。


 部屋の作りはどこか清潔で、温かみのある家具が置かれているが、やはりまったく見覚えがない。


「……なんだこれ!?」


 混乱の中で、ふと目に入ったのは鏡。

 恐る恐る、その前に立ち、鏡の中の自分を確認する。


 そこに映ったのは――見知らぬ顔だった。確かに、これは自分だ。

 だけど、やっぱりどう考えても、俺じゃない。見た目も全然違う。


 ほんのり赤らんだ頬。

 白髪の長い髪、どこかしら繊細で儚げな印象を与える顔立ち。

 可愛らしい人形のように整った素顔と体は……

 明らかに自分が知っている「自分」とは違う。


「あぇ……これ、完全に幼女じゃん!」


 しかも綺麗な白の髪色に白い肌。

 アルビノというやつだろうか……?


 思考が一瞬止まる。そのまま鏡を見つめる時間が長く感じられた。



 そして、ようやく自分に何が起きたのか理解した。


「ああそっか……俺、死んだのか……」


 交通事故であっけなく死んだ。


 そんな感覚が、じわじわと胸を締め付ける。あんな事故で死ぬなんて――実感が湧かない。でも、もう何もかもが違う。


 何度もその言葉が頭に浮かんでくる。


 だが、逆にその言葉に不安が少しずつ消されるのを感じた。死んだのは事実だとしても――

 

 それでも、まだ、こうして生きてる。


「でもまあ、生きてることだし……よかった」


 うん。


 身体は幼女になってしまったけど、心は変わってない。


「なってしまったのは仕方がない」


 今は生きてることに感謝しよう。

 それに――


 自分が待ち望んでいた『翠雪華』

 あれが発売するまで死んでも死にきれない。

 

 あの高難易度死にゲー、発売を心待ちにして、どれほどその戦場に憧れていたか。


 それが頭に浮かぶと、胸が少し熱くなる。


 ふと、身体を動かしてみると、思ったよりも軽やかに動ける自分に驚きながらも、どこかでこの状況が当たり前のように思えてきた。


「……うん。まだやれる」


 まるで何かが目覚めるような感覚。すぐに身を引き締めて、頭を整理しようとする。


 しかし、心の奥底で何かが――確信に近い感覚が湧き上がる。


 飽くなき闘争心。

 駆られる衝動。

 死んでも諦めない鉄の心。


 嗚呼……


 やりたいことは死んでも変わってない自分を少し誇らしく思う。


 

 電子時計を確認すると『翠雪花』は発売日から一ヶ月も経っているらしい。

 


「行かないと……戦場へ」


 冷静に決意を固めた後――その手をしっかりと握りしめる。


 ここで終わりじゃない――むしろ、ここからが始まり。

 降り頻る雪の世界を、見るまで、まだ死ねない。


 

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