第9話 それはいつも突然に

 朝日が差し込むアカデミーの寮。窓を開けると、町から吹き込む爽やかな風が頬を撫でた。友人と遊びに行くには最高の日だ。


「おはよう、修!準備できた?」


 待ち合わせ場所に着くと、元気な声が耳に響いた。声の主は祈だった。彼女の後ろには、静かに壁にもたれ、飄々とした感じにこちらを見ている白翔の姿があった。その目にはどこか鋭さが宿り、全てを見透かしているかのような雰囲気が漂っている。


「これでみんな揃ったな。」


「今日は息抜きも兼ねて、町を案内してあげるからね。修、引っ越してきたばっかりでしょ?」


 祈が町の紹介は全部任せろと胸を張りながら得意げに言う。


「案内されるのは助かるよ。」


 修は小さく頷いた。


 町に着くと、目の前には賑やかな商店街が広がっていた。屋台の香ばしい匂いと活気のある声が行き交い、まるで別世界のように感じられる。


「これが普通の町の雰囲気なのか……。」


 田舎で魔法の鍛錬に明け暮れていた修にとって、こうした光景は新鮮だった。これまで訓練漬けの生活だったので、今こうして都会の騒がしさを目の前にすると、人の多さに目が回ってきそうに感じてきた。


「そして!ここが素材市だよ!」


 祈が指を差した先には、魔法具やその原料になる鉱石や魔獣の角といった珍しい品々を売る露店が軒を連ねていた。


 棚には煌びやかなクリスタルが並び、時折魔力が弾けるような音がする。魔獣を取り扱う店先では独特の香りが漂い、禍々しい角やら皮が吊るされている。


「この市は週末だけ開かれる特別な市なんだ。」


 祈が楽しそうに説明する。


「おぉ……すごいな。」


 修は、目を引く魔法具に思わず手を伸ばしそうになった。ひとつひとつが見たことのない道具ばかりで、まるで宝探しをしているような気分になる。


 色々魔道具を紹介してもらったが、とても自分で払える金額ではなかったので遠慮しておいた。


「このデカい商業施設は何でもそろうから、アカデミー生もみんな使うな。戦闘で利用する防具から日用品まで何でもあるし、時々レアな魔法具も見つかる時もある。」


 白翔が補足する。


「ところでさ、そろそろ昼飯にしない?」


 祈が広場の片隅にあるレストランを指差した。


「ええな。ちょうど腹も減ってきたところや。」


 ちょうど腹ごしらえがしたくなる時間帯ということもあって意見が一致した。


「すごい雰囲気のいいレストランだな」


 3人は近くに見つけたおしゃれなレストランに入り、テラス席に案内された。


 店内は落ち着いた雰囲気で、木目調のインテリアが心を和ませる。テラス席からは商業施設の広場が見渡せ、行き交う人々がのんびりと昼下がりを楽しんでいるのが見える。


「ここ、アカデミー生にも人気の店らしいよ。ランチメニューが結構美味しいんだって。」


 最近の流行に敏感な祈がメニューを開きながら言う。


「じゃあ、俺はこのハンバーグセットにするわ。」


 白翔は迷うことなく指をさした。


「俺は……高っ!じゃあ、これにしようかな。」


 修は値段の高さに驚愕したが、みんなにビビっていることをばれないように気を付けながら、少し安めな、パスタランチを選んだ。


 会話が弾む中、注文が運ばれてきた。湯気が立ち上る料理の香ばしい匂いに、修はふっと息を吐いてフォークを手に取る。


「こういう時間も、大事だな。」


 穏やかな空気が3人を包み込んでいた。


「次はさ、あっちのゲームセンターで遊んでいこうよ!」


 祈が目を輝かせて言った。白翔も興味を引かれた様子で頷く。


 「ええやん。腕試しするか」


 初めての体験にワクワクしながらゲームセンターに入ると、賑やかな音楽と電子音が響き渡り、派手なライトが店内を照らしていた。様々なゲームが並び、格闘ゲームやシューティング、クレーンゲームに人々が群がっている。


「これ!面白そうやな。これやってみよ!」


 白翔が格闘ゲームの台を指差す。修も隣りに座り、対戦が始まる。だが、結果は惨敗だった。


「ちょっ……白翔、強すぎだろ!?なんでそんなに上手いんだよ!経験者か?」


「初見やけど、前の人がやってたの見て、頭の中で1回想像してみたら大体わかるやろ」白翔がにやりと笑う。


 その後もシューティング、レースゲーム、音ゲーと次々に挑んだが、すべて白翔の圧勝。2人とも全く歯が立たなかった。


「なんでどれも勝てないんだが……」


 修はコントローラーを握りしめながら天を仰いだ。


「クソ、これが天才ってやつか……」


 祈は隣で笑い転げている。


「不思議だね!どうやっても勝てないね!」


「まあ人生で負けたことあんまないから。」


 白翔が得意げに言う。


「うわー、それすごい嫌味だ!修いくよ!次こそあいつに敗北を知らしめてやろう!」


 祈は修と一緒になって何とか勝とうと頑張ったが無意味だった。


 修は内心で「やはり天才には勝てないのか……」と軽く恨めしく思いつつも、楽しい時間に心が和らいでいった。


「せっかくだから、魔界化特区を遠くから見てみようよ。」


 まだ日が高く上っている帰り道、祈が突然そう提案した。


「え?」


 修は驚き、思わず聞き返した。


「封鎖領域の手前にあるマンションの屋上からなら、安全な距離で特区が見えるんだよ。」


 魔界化特区。それは、悪魔によって侵食された区域のこと。かつては地続きの町が、今では黒い霧に包まれ、まるで別世界のように隔離されている。普段は近づくことすら許されない禁忌の場所だ。


「安全ならいいけど……」


 少し不安だったが、祈の表情は静かだった。彼女は遠くを見つめながら、まるで覚悟を決めたような瞳で言葉を続ける。


「戦う前に知っておいた方がいい。それに、私たち特進クラスはいずれあそこに足を踏み入れることになる。」


 白翔も「まぁ、それはずいぶん先の話になるやろうけど」とわずかに口角を上げ、バス停に向かって歩き出した。


 ---

 バスに1時間半ぐらい揺られ目的地に着いた。そこはごく普通の町だったが、しばらく歩き続けると人がいなくなり始め、町も寂れた様になってきた。


 その中のあるマンションに上るとかなり遠くの方に、周囲の環境と明らかに異なる異物が見えた。


 魔界化特区だ。


 マンションの屋上から見下ろす特区は、噂通りの不気味さを湛えていた。黒い霧が低く垂れ込め、遠くには崩れたビル群がわずかに見える。まるで世界が変わったかのように静けさで溢れかえっている。


 初めて悪魔の侵攻が世界に与えた影響の大きさを身に感じた。


「やっぱり異様だな……」


 修は息を潜めるように小さくつぶやいた。

 白翔が目を細め、遠くをじっと見つめる。


「この平和がどれだけ貴重か、よくわかるな。」


 霧の向こうには崩れかけた建物の影が見え、悪魔に侵食された名残を感じさせる。まるで時間が止まったようなその光景に、修たちはしばし言葉を失った。


 静寂の中、遠くから風が吹き抜け、朽ちかけたアンテナがかすかに軋む音が響く。誰もが無言のまま、その場所の持つ異様な存在感を受け止めていた。


 しばらくの間、誰も言葉を発さず、ただ目の前に広がる異様な景色に視線を奪われていた。遠くに見える魔界化特区の黒い塔が、沈む夕日に照らされ、どこか不吉に輝いている。紫色の霧が塔の根元を覆い尽くし、ゆらゆらと揺らめいていた。


 「……そろそろ戻らない?」


 ふいに祈が口を開いた。


 その声はいつもの穏やかなものだったが、どこか芯の強さが感じられた。修が横目で彼女を見やると、祈の瞳には静かな決意の色が宿っていた。


「日が沈む前にバス停まで戻っておきたいし。」


 祈の視線は、遠くに見える魔界化特区の塔から離れない。


「……そうだな。」


 修は短く返事をした。


「長居する場所でもないしな。」


 白翔も彼の表情もまた少しだけ引き締まっているように見えた。


 白翔が先に立ち上がり、皆を促す。修も立ち上がり、最後にもう一度だけ魔界化特区の塔を見つめた。


 遠いはずなのに、あの塔は妙に近く感じられる。今にもこちら側に影を落としそうな錯覚さえ覚える。

 修は祈の横顔をちらりと見て、彼女がこの場所に特別な思いを抱いていることを感じ取った。


 ドォン!


 皆が立ち去ろうとした瞬間、唐突に爆発音が背後の遠くの方から響いた。


「なんだ……!?」


 驚いて振り返ると、遠くの方で何本もの煙が立ち込めていた。


「悪魔……!?」


 祈の声が震える。煙が立ち上る方向は先ほどバスを降りたあたりだ。しかし、あの辺りには住民がまだ多く住んでいるはずだ。


「これはまずいな。」

 白翔が冷静に言い放つが、その目は鋭く遠方を捉えていた。


 さらに別の方角でも爆発音が響く。音の方に目を凝らすと、町の端に黒い亀裂が開いていた。亀裂はゲートへと変わり、その奥で蠢く影が見える。


「まさか……ゲートがこんな場所に?」


 修は思わず喉を鳴らした。


「ゲートはいつどこにでも現れるけど、これだけの数同時に出現するのは異常やな。」 

 

 白翔がゲートの数を数えながら眉をひそめる。


 悪魔が次々と町へ侵入しようとしている。小さな影がゲートから飛び出し、町の中へと溶け込んでいく。


「今シールドに通報した。幸か不幸か……俺たちが一番近い。」

 

 白翔が前に出て、マナレギュレーターを耳につけた。


「えっ戦うのか……!」


「シールドが救援に来るまでにたぶん多くの犠牲が出ると思う。白翔君がいるなら避難誘導だけならできると思う。」


「あくまで目的は救援が来るまでの防衛。それならギリ行けると思う。」


 修も何とか覚悟を決めて、慌てて自分のマナレギュレーターをつけて、準備をした。祈もデバイスを起動させる。手のひらには小さな魔法陣が浮かび上がった。


「修は私と一緒にサポートに回って。白翔君が守りやすいように住民を1か所にまとめて避難させよう。」


 祈の声にはすでに覚悟が宿っている。


「了解。」


 白翔が前方に進み出て、ゲートから這い出てくる悪魔の群れに睨みを利かせた。


「最悪なんは間違いないけど、実績作れるのいいチャンスってことにしよ。」


 白翔がにやりと笑り先陣を切ってすごい勢いで走り出した。


 修たちも急いで現場に駆け出した。

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