12月25日水曜日(2)
おでこが出ている
「パティシエ姿見てみたいなあ。おいしいケーキを生み出す奈知くんの勇姿を」
「ケーキを見たいんだろ」
「そうとも言う。しばらく食べてないし。こないだのケーキもすごくおいしかった」
言ってから、催促するようなことを言ってしまったと気付いた。そういう意味ではないのだと手をわたわたと動かした。
奈知くんが引っかかったのは、そこじゃなかった。
「しばらく食べてない?」
聞かれて、わたしは、止まった。
イベントがなくてもおやつを欠かさないわたしが、クリスマスケーキを食べていないのは、たぶん不自然だ。誤魔化そうとした。
「あ、うん、この間のいちごのケーキから。なんか、引越しとかもあって、バタバタしてたからおやつ食べる暇がなかったっていうか。あー、おいしかったなあ、奈知くんのケーキ」
奈知くんは少し首を傾げる。
「……いちごの粉糖、溶けてなかった?」
「いちご、うん、いちご……」
ああ、なんだろう。おいしかったんだ、すごく。スポンジはしっとりしてるし生クリームも甘すぎないし奈知くん天才だなあと思いながら食べて、おいしくて、どんどん食べて。
甘かったいちごが、最後の一粒が、ちょっと酸っぱかったんだ。だから。
ひとりで全部食べた、と奈知くんに告げた。なんでか今更、いちごの酸っぱさを思い出して涙が出てきた。
奈知くんを驚かせるつもりはなかった。
「さ、佐歌」
「みんなで食べてから帰ればよかった。でも全部食べた。奈知くんがわたしの誕生日だから作ってくれたんでしょ。わたしのために」
ちっちゃくてもワンホールを、わたしは夢中で食べきった。
「おまえ、それ……」
「別れた」
あの日、夕方になって帰ってきた彼氏は、ケーキと花束を持って現れた。神妙に、ごめんと、それから、誕生日おめでとうと言った。
花束がうらやましかったわけじゃないんだ。
わたしは、奈知くんのケーキでいっぱいだった。
もう何も入らなかった。
会議室に沈黙が流れて、奈知くんは急に、「よし、クリスマス会するぞ」と言った。 え、と顔を上げた。まだ間に合うだろと腕時計の日付を確認する奈知くんが目の前にいる。
腕時計から視線をわたしに戻した奈知くんの前髪は、少し浮いて。
「おまえが、俺のケーキで泣くなんてありえない」
奈知くんの決意に満ちた目は一瞬のことで、ポケットからスマホを取り出して、画面に視線を落とした。スーパーの営業時間を確認している。
「はがきの印刷さっさと済ませて、材料買って帰ろう」
「え、なに、材料って。今から作るの? お店に行くの?」
うちで作るんだよ、と奈知くんは言った。お店は営業が終了している時間だ。あたりまえだ。
「うちにあるの十八センチ型だけどな。でもワンホール食べ終わるまで帰れません」
十八センチ、六号だったら六人分だ。奈知くんの生クリームはふわふわで厚目だったから、きっとものすごく大きなケーキになるだろう。
真っ赤でつやつやした特大サイズのいちごを乗せたい。
わたしと奈知くんのクリスマスケーキ———胸が高鳴った。
よ、よおし。
私は両手をぎゅっと握りしめた。
「受けて立つ!」
それでこそ佐歌だな、と奈知くんが笑った。
わたしもそう思う!
(おわり)
ハッピーワンホール! 霙座 @mizoreza
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