「なによ、弁明でもするつもり?」


 アカネは、自らの言い分を説明できる。

 あたしにとってはシュウは重要なの。シュウはあたしの死んだ理由と繋がりがある。けど、あなたは違うでしょ?


 死地に縛られ、土地憑きとなっていた死者が、生者に乗り換えるほどの要因。


 なぜ、そこまで?

 アカネは不思議に思う。


 グレは恩義に報いる相手として修哉を選んだ。

 いくら義理堅くても、死者がそこまでする理由がない。生者に忠義を誓うほどの執着が、グレに生じた。それだけではない。


 アカネには理解できなかった。なぜか


 アカネの執着の対象である修哉を、いつかグレが奪うのではないか。そう考えると、グレが修哉と言葉を交わすだけで激しい妬心が渦巻いて、狂いそうになる。

 修哉に尽くし、アカネを裏切らないという証しとして、グレは自ら存在の与奪をアカネに受け渡した。そうしなければアカネは決してグレが修哉に近づくのを許さなかったし、今でも疑い続けていたに違いない。


 グレが口を開く。その言葉は意外なものだった。

せがれと重なるから、でしょうか」


 は? とアカネが目を丸くした。

 しばしの間が空く。


 まったく予期せぬ返答に、がくんと顎が下がって、口が開いた。無意識に口もとへと手をやっている。

 理解が追いつかないらしい。表情が固まっている。


 唐突に思い至ったのか、両眼に意志が戻った。グレに問う。

「ちょっと待って……、あんた子どもがいるの?」


 え、って言うことは、と当惑の声を出す。

「まさか、結婚してる……」

 ううん、と自ら否定し、アカネは頭を振った。


 違うわ、と言い直す。「結婚、してたの?」


 明らかな動揺がアカネの顔に出る。

 左手で顔を押さえ、グレへと右手を差し出す。手首から手のひらを立てて、発言を抑止する姿勢を取る。


 ちょっと待って、と再び漏らす。

「なんで……あんたが結婚してて、あたしはできなかったのよ……!」

「いや、それは──」


 言っても詮無いことです、と不用意にも口にしてしまう。


 アカネはその場でゆっくりと顔を伏せた。暗がりで表情が見えなくなる。

 ねえ、と平坦な口調でグレに言い放つ。


「あたし、いますぐ怨霊になれそうな気分なんだけど」


 空に座っていた姿勢を戻し、アカネは屋根の上にゆっくりと降り立った。

 より一層、アカネの周囲の闇が深まる。緩やかな波を描く明るい色の髪が、足元から吹き上がる風に煽られ、帯電したかのように逆立つ。


 漆黒の霧が、とめどなくアカネの姿からあふれ出る。


 周囲を包み込み、暗い渦を巻く。わずかな毛束ほどの微細な稲妻が、闇夜の嵐のように放散するのが見える。小さな火花が弾けるのに似た破裂音が四方で響く。

 アカネの瞳孔が開いている。瞳の奥底に赤く、強い光を宿らせる。


 立ちつくしていたグレの巨軀が、明らかに強ばった。暗いサングラスの奥で、両眼を剥くのがわかる。

 間近で電線が共鳴し、電流が震えるような音がする。カラスが喚きながら飛び立つ。


あねさん、お気を確かになさってください」

「いやよ、一発あんたに食らわさないと気がすまない」


 そんな理不尽な、とグレが漏らす。思い出したように弁明をする。

「聞いてください、私は結婚なんてものは一度もしとりません」


「なに? 申し開き? 図体のわりに小心ね」

「縁はあれど稼業とは関わりたくないと、女に言われたんです。最期まで内縁のままでした」


 ぴたりと微細な閃光が止む。彼女の周囲に湧いていた闇色の霧も失せる。

 アカネの両眼に宿った光が消え、唐突に正気に戻った。


 うわ、とアカネが口にする。「子育て、相手に丸投げ?」

「そう言われると、返す言葉がないですね」

「サイテー」


 冷淡に言ってのけ、アカネは顔を歪めた。表情に幻滅の色が浮く。


「……で?」

 アカネになにを問われているのかわからないグレは、わずかに眉を寄せて目を細めた。


 そんなグレの態度を見て、アカネが肩をすくめる。

「それがあなたの思い残しになってるってわけね」


「……そうでしょうか」

「自分でも気づいてないの?」

 平然と真顔で答えるグレを、アカネは見つめた。


「だって、思いっきり負い目じゃない」

「そんなことはないと思いますが」


 否定の言葉を述べるグレを眺め、アカネはしかめ面を作った。上空を仰ぎ、目をつぶる。

 東の空が白んでいる。

 夜が去る。眠りに落ちていた静かな街が、目覚めはじめる時刻が迫る。


「ずいぶんとまた、根深いわねえ」

「考えもしませんでした」


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