先に不穏を収めたのはアカネだった。視線を逸らし、東の空を眺める。


「ねえ、覚えてるかしら」

「なにをでしょうか」

「前にね、シュウが話したことがあるじゃない? 信用と信頼について」


 ああ、とグレが応じた。「信用はしているが信頼はしていない、と兄さんが言ったことですか」

「そう」とアカネがうなずく。


「あれね、半分は本当で半分は嘘だから」

「……はい」


 いかつい顔の表情を崩さず、重厚な声質でグレが応じる。アカネを見ていた目線を、金属光のある黒色のスレート屋根に落とす。


「あの子は優しいから」


 言いながら、アカネは修哉の眠る階下へと目を向ける。指先が空を泳ぐ。

 まるで、子どもの髪をなでている仕草に見える。


「無条件にあたしたちを受け入れてる」

 だから、と声を放つ。

「あれはね、両方なの。どちらも欠けない」


 アカネの、その表情は和らいでいる。やわらかなものを気を配りながら抱えているかのような、大切に思う気持ちをたたえている。


「シュウ自身、潜在する能力はものすごく高いの知ってるでしょ。ただしくんやカズくんよりもずっとね。だから、あたしは自由に力を振るえるんだもの」


 泳がせていた指を上に上げ、顔の前で人差し指を立てる。


「だから、信用も信頼も、どちらか片方を失ったらすべてを失うわよ」

「我々が、そばにいる意味を無くすと?」

「そうよ」

「では、そうならないためにはどうすべきですか」


「あの子が本能で嫌だと望んだら決して逆らわない。表面的な、ささいなことなら笑い話ですむわ。だけど、無理に上から押さえつけてはいけないの」


 アカネがグレを見上げる。

 真剣な目線を受けて、反意のない意志を示すかのようにグレが目を伏せる。


「一度でも追い出されたら、二度はないと思ったほうがいいわ」

あねさんはいつも、兄さんの意志で追い出せるようにしろとおっしゃっておられますが、本心はそうではない、と言うことですか」


「あれはね、せめてもの配慮ってところかしら」

「配慮? ……ですか」

「あたしたちの間に変わりがないか、シュウに負担がかかり過ぎたりしないか、気持ちにずれがないか、とか」


 アカネは、言葉にできないもどかしさで焦れるようなそぶりをしている。こう、と言って手をこねまわす。


「あの子はあまり隠しごとしないし、今のところは抵抗も拒絶もされたことはないけど、今後どんなふうに心が変化していくかなんてわからないもの」

 言葉に出して伝えないとね、とアカネは言った。


「前にあなたも言ったじゃない。生者は生者とともに生きなくてはいけないって。あたしたちは自分で思う以上に、当てにならない不確かな存在なんだもの。顔色うかがわせてどうするのよ。あまりにも干渉して、大きな影響を及ぼしたりすればあの子の将来を乱しかねないし、だからこそ日頃から節度を保たなきゃ」


 言いながらも、口調には自信なさげな響きが滲む。「と言ってもね、……お互い、もう手遅れな気もするけど」

「すこしでも関われば、記憶に残るものでしょう」


 今さら気にしてもしかたない、とグレはぼそりと口にした。

 アカネも聞き逃さない。


「だからと言って、今回はやりすぎでしょ。シュウから頼んでくるように差し向けるなんて」

「なんのことでしょうか」

「とぼけないでよ」


 料理、と強い口調で言い、グレに指を突きつける。


「あなた、シュウに仕込むつもりでしょ」

「……」

「もう死んでるのに、料理の指南役だなんて。どこで教わったか、どう言い訳させるのよ」


「いまはなんとでも言える時代です」

 調べて、そこそこのものを作るのも容易ですから、とうそぶく。


「あのね」

 アカネも引かない。「人に習うのと、独学では習熟の速度が違うものよ。いままで出来なかった者が突然、才能開花したら変に思われるでしょ」

 って言うか、と改める。


「あなた、シュウに対する態度が──」

「なんです?」


 なにを言われても足元に落としていた視線を、グレは真っ直ぐにアカネへと向けた。空中で、両者の視線がかち合う。

 静電気が爆ぜるような感触があった。


「なんか……身内の思い入れみたいに感じるのよ」

 変な感じ、と続ける。「まるであなた、自分の家族に接してるみたいなんだもの。あの子、あなたにとって赤の他人なのよ」


 アカネの発言が虚を突いた。明らかにグレの表情が変わった。


「たしかに……、いや、しかし──」


 思いがけない気づきに、グレがたじろいでいる。



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