「無自覚だなんて、よけいによくないわよ」
だって、とアカネがあきれる。
「あたしから見てもあなた、まさに息子の扱いだもの」
シュウにはちゃんと、血の繋がった父親がいるのよ、とアカネは当たり前のことを口にした。
「……シュウを代わりにして自分の機嫌をとろうったって、一時しのぎにしかならないわよ。いつまでもってわけにはいかないから」
「私が兄さんを代替品扱いにしてると言いたいのですか」
「違うの?」
どこかグレの反応が鈍い。いつものように歯切れの良い即答が戻ってこない。
「あなたの子、すでにシュウより年上の可能性のほうが高いでしょ。もしかしたら、グレの年齢だって超えてても不思議じゃないわ」
「そう……かもしれませんね」
「父親になってるかも」
「だとすれば、私よりは立派に日々を過ごしてるでしょう」
「そこまでは言ってないわよ」
笑いもせず、アカネは当惑の表情になる。
憶測で善悪を断じたくはないとアカネは考えたのだろう。「事実は、あたしには分からないもの」と付け加える。
「シュウを大事にする気持ちはいいと思うの。だけど、大切にしすぎるあまり、無理強いしないで」
「もし、どうしても強いる状況に陥ったら、どうすべきでしょうか」
「そんなこと、あたしが許すと思う?」
問いかけても、グレの返事は戻らない。グレ自身の質問に答えねば引かない、という意志を感じる。
先にアカネが折れた。
そうね、としばし考える。「あたしに……そんな時が来るとすれば、」
アカネは小さく肩をすくめてみせた。
「まず筋を通すわ。すこしでもシュウに納得してもらえるように努力したい。事情によっては駄目かもね。それで信用を失うなら、しかたないかな」
呼吸をしていないのに、アカネは大きく息を吸って吐く真似をした。
そうなったら……すごく残念だけど。
アカネが、想像の結果を眺める目をしている。
たぶんだけど、とアカネの目線はグレを通り越し、遠くを見通す。
「きっとあたしにとって、最期の時になる。そのくらい覚悟をしないといけないんだと思う」
「細心の注意を払えと言うのですね。兄さんには常に意図を伝えて不信を買わぬようにせよ、と」
ええ、とアカネが
「あなた、饒舌じゃないけど……あたしよりは一歩引いて、物事を見通せるだけの頭はあるでしょ」
屋根に立つアカネが、東の空を眺める。
ひんやりとした風が吹き抜ける。
次第に強くなる明るさが、闇のなかで目立っていた照明を消していく。
じきに日が昇る。
「守ろうとするあまりに」
昨晩みたいに、と強調して発声する。「嫌がるシュウの意志を無視し続ければ、そのうちあなたを拒絶するようになるわよ。そんな結果になったら、もっとも大事な時にあの子を守れない。それじゃ本末転倒でしょ」
住宅街の地平線、その先に連なる山の稜線は黒色となっている。白む空は次第に黄色を帯び、赤みを含む。
空と地平線、山の稜線の色が変化する。居並ぶ住宅の屋根が、空の色を反射する。
藍色の空が遠ざかる。いくつか浮かぶ雲が、薔薇色に染まっている。
山の際から、光点がのぞく。
まぶしい陽光が朝のはじまりを告げる。
夜が消失する。穏やかな闇に包まれた時刻は、月と星とともに陽光と入れ替わって終わる。いつの間にか
アカネの姿が朝日に透け、光に包まれて滲んで見える。
透明な横顔が、明るい空と街並みに紛れそうになる。
「いざとなったとき、あんたがいないとあたしが困るのよ」
強い光にかき消されてしまいそうな声。
グレには届いているだろうか。黙したまま、言葉を返さない。
その時、聞き慣れた青年の声が届く。
「ねえ、アカネさん、まぶしいんだけど」
修哉が文句をつける。「目を閉じてても、頭んなかで朝日が照ってる」
すげえまぶしい、と再度ぼやく。
「もうちょい寝かしてほしいんだよ……頼むよ」
まだ意識は
修哉はベッドに横たわったまま、頭のなかに満ちる太陽光から逃れるように腕を上げた。目を覆い隠すと、仰向けから横に身体をひねるのが分かる。
はいはい、とアカネは軽い調子で応じた。
屋根の下方に近づき、雨樋の上に浮かんだまま腰を下ろす。
左の膝を立て、左肘を支えにして頬杖をつく。修哉のようすをうかがい、階下へと目線を落とした。
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