15話 砂嵐の中で
砂嵐の渦が視界を覆い尽くす中、ハルは岩陰で震えるガロカリスの首元をなでながら、疲れ切った心を何とか奮い立たせていた。
「どうにか、ここを抜け出さないと……」
これだけ荒れた天候に加え、あちこちにサンドウォームが潜んでいる。下手に外へ飛び出せば、あっという間に襲われて終わりだろう。
(仲間とはぐれたし、このガロカリスも怖がってる。道もわからないし……くそっ、どうすれば……)
まぶたに浮かぶのは、イオの雷を纏った笑顔、ルークが軽口を叩きながら水魔法を操る姿、そしてヴェルンの落ち着いた面差し。
(みんな、こんな砂嵐の中で大丈夫かな。早く再会したいけど、日没までにガルヴァン砦に辿り着かないと即失格……)
ハルはそう自分に言い聞かせる。焦りと不安が胸を締め付けるが、砂嵐が弱まるまで岩陰で待つしかない――そう考えはじめた、そのとき。
「……あれ? ハルくん、だよね?」
淡いピンクの声が背後から聞こえた。
――どこか小鳥がさえずるような甘い響き。
それを聞いた瞬間、ハルの背筋がざわつく。
「え……ペネロペ!?」
振り返ると、ふわふわのツインテールにリボンやフリルをまとった、まるで人形のように愛らしい少女が立っていた。見た目は10歳そこそこの子どもに見えるが、れっきとした受験生だ。
――以前、ダンジョンで「助けて」と言っておきながら、ハルを崖から突き落とした張本人でもある。
(よりによって……こんな場所でまた会うなんて……)
ハルの中で警戒が一気に高まる。だが、ペネロペは瞳をうるませ、しおらしい仕草で目を伏せた。
「……やっぱり、警戒してるよね。そりゃそうだよね、一度あんなひどいことしちゃったから……」
かすかな砂塵に消えそうなほど、弱々しい声。その瞳には涙の膜が張っているようにも見える。
「ちょ、ちょっと待てよ。君がここにいるってことは……」
「砂嵐でガロカリスが暴れちゃって、乗れなくなったの……このままじゃ日没までに砦に着けないし、モンスターに襲われたらもう終わりだよ……」
ペネロペは小柄な体を縮こまらせるようにして話す。
ハルは思わず言葉を飲み込む。一度だまされた相手に、また近づくのは危険だとわかっている。
でも、彼女も命懸けなのだろうか――そんな思いが脳裏をよぎる。
(いや、前にも「助けて」って言われて痛い目にあったんだ……でも、彼女もこの嵐とモンスターだらけの荒野を一人で進むのは……)
わずかな葛藤を抱えつつ、ハルは一歩後ずさる。すると、ペネロペは悲しそうな目を伏せた。
「……やっぱり、もう信じてくれないんだね。無理もないよね。私、ハルくんを騙して、崖から突き落としちゃったし……でも、どうしても生き残りたかったの。あの時は本当に必死で――」
そう言うと、彼女は小柄な身体を震わせるようにして岩陰を覗き込み、ハルのガロカリスを見つめた。
「このままだと私、本当に脱落しちゃう。この先、一人じゃどうにもならないから……」
すがるような瞳とともに、小さな肩が震える。
ハルは心が揺さぶられるのを感じた。――だが、それでも一度はきっぱり釘を刺しておかなければ。
「……分かったよ。だけど、もう変な裏切りはやめてくれよ。こっちも時間がないんだから、頼むからさ」
「ハルくん……ありがとう! ほんとにごめんね!」
一瞬でパッと明るくなるペネロペの表情。ハルはその豹変ぶりに「やっぱり猫かぶってるんじゃ」と疑いかけるが、今は協力者が必要な状況でもある。
「ここを出よう。嵐が弱まり始めてるうちに進まないと、日没まで間に合わないかもしれない」
ハルはガロカリスの首をなだめながら身構える。ペネロペは小さな手で鞍を握り、ハルが後ろにつく形で荒野へと踏み出す。
***
砂嵐はさっきよりやや落ち着きを見せるものの、まだ砂煙が一帯を覆っている。地面にはサンドウォームの巨大な穴が点在し、誤って足を踏み入れれば一巻の終わりだ。
「そっか、さっきの騒動で仲間とはぐれたんだ?」
ペネロペが振り返る。ハルは頷き、悔しそうに唇を噛む。
「うん。せっかくみんなと一緒に行動してたのに……嵐とワームのせいでバラバラになっちゃった」
「ふーん。さっきはすごい混乱だったもんね〜」
まるで興味なさそうなペネロペに、ハルは苦笑する。
(他の受験生のことなんかより、自分がどう生き残るか――それがペネロペの最優先なんだろう。いや、試験なんだから当然といえば当然か……)
いずれにせよ、今は彼女と協力して先へ進むのが得策だろう。ペネロペのゴーレム召喚なら、大型モンスターとの戦いでも助かるかもしれない。
***
やがて、細い水流を見つけた。
乗騎が小走りに向かう先には、小さなオアシスのような場所があり、水がわずかに湧いている。土や砂が混じって濁っているが、まるきり飲めないわけでもない。
「助かった……ペネロペ、水補給しよう。飲めるかわからないけど、喉は潤したい」
「うん、少しでも水分補給しないとね」
しかし、濁った水を見たペネロペは「うげぇ」と顔をしかめる。
ハルは「最低限、目や口を洗う程度なら大丈夫かも……」と布で水を濾そうとするが、ルークがいれば浄化してくれたかもしれないと、仲間の存在を悔しく思い出す。
「ほら、あっちに岩が並んでるよ。ちょっと腰かけられそう」
ペネロペが指差す先には、小さな岩が円形状に連なっている。ハルたちはそこへガロカリスを降ろし、一旦息を整える。
「ふぅ……でもここでのんびりはできないよな。日が沈むまで、あと何時間あるか……」
ハルはポケットから取り出した祖父形見の小さな魔法時計をちらりと見る。針をかろうじて確認できたが、砂が入り込んで時間が狂いかけているのか、微妙に誤差があるようだ。
(これ……修理に出したかったのに、まだできてないんだよな。だけど、これを頼りに少しでも時間を意識しないと)
「ハルくん。さっきの嵐、ほんとに怖かったよね……。もしハルくんに会えてなかったら、わたしどうなってたか……」
ペネロペが小首を傾げ、いたいけな様子でハルを覗き込む。
ハルは息苦しさを覚えながら答えかける。
「それは、まぁ……別に僕、助けになったかな? 本当は、前のダンジョンの時に崖から突き落とされて――」
その瞬間。
ゴゴゴゴ……ッ!
地鳴りが起き、あたりが揺れる。ハルはとっさに「サンドウォームか!?」と身構えるが、土の盛り上がり方が違う。地面が渦を巻くように隆起し、硬い石の破片がバラバラと巻き上げられている。
ハルの脳裏に嫌な予感がよぎる。
「ふふっ。そろそろいいかしら」
ぴたりと途切れたペネロペの声は、先ほどまでの“あどけない甘さ”とはかけ離れている。
彼女はリボンについた小さな紋章にそっと指を触れ、にやりと笑った――まるで舌なめずりする獣のような、危険な気配を滲ませて。
「ペ、ペネロペ……?」
彼女の足元から黒土と岩が隆起し、螺旋状の魔法陣が浮かび上がる。そこに無数の石の破片が集結しはじめ――やがて高さ3メートルにもなるゴーレムが姿を現す。
胴体には不気味な人面のような亀裂模様があり、両腕は太い柱のよう。関節部には小さな魔方陣が光り、ゴリゴリと擦れる岩音が耳に刺さる。
「やっぱり欲しいのよねぇ、ガロカリス。わたしの乗騎が砂嵐でダメになったんだもの。ハルくんのをいただくしかないでしょ?」
ゴーレムが動くたび、大地がミシミシと音を立てる。その威圧感に、ガロカリスが怯えたように悲鳴をあげた。
「待て! まさか、また……」
ハルがガロカリスに駆け寄ろうとする瞬間――
ズンッ!
ゴーレムの巨腕が横薙ぎに振り下ろされ、ハルは吹き飛ばされるように砂地を転がった。
「ぐあっ……!」
全身に鈍い痛みが走るが、なんとか立ち上がろうとするハル。その目の前に、ゴーレムが再び腕を振りかざす。
ドガァン!
猛烈な衝撃で砂煙が舞い、視界が真っ白になる。
「ごめんね、でも私は絶対に負けたくないの。じゃ、ありがたく頂戴しまーす♪」
ペネロペはすかさずガロカリスの手綱を掴み、一気に背に飛び乗る。鳥が「ん?」と困惑したように首をかしげるが、彼女は構わず鋭く手綱を引いた。
「じゃあ、バイバーイ♪ ガルヴァン砦でまた会えるといいわね。ま、日没までに来られたら、の話だけど!」
「こ、この……!」
ハルは半身を起こし、手を伸ばそうとする。だが、ゴーレムの腕が再び地面を叩きつけ、土煙を巻き上げて視界を遮った。
土煙が収まった時には、すでにガロカリスに跨ったペネロペが荒野の向こうへ疾走していた。
周囲にはゴーレムが残した地形の亀裂と、ガロカリスの足跡だけが残る。
「ま、また、だまされた……!」
一度裏切られた相手に、また情けをかけてしまい、同じ過ちを繰り返した――。
悔しさと自己嫌悪が混ざり合い、胸が苦しくなる。
頭上では砂混じりの風が唸り、日差しが斜めに差してきていた。
ハルはふと懐中時計を取り出す。
砂にまみれた文字盤を指先で拭うと、短く刻む針が示すのは、日没までおよそ三時間――。
胸の奥で焦りと不安がさらに募る。だが、ここで足を止めるわけにはいかない。
(くそっ……諦めるわけにはいかない。絶対、砦まで行くんだ。たとえ歩いてでも……!)
ハルは唇を噛み、前を見据えて歩き出した。
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