11話 守護者との激闘

石造りの巨大な扉が、重々しい音を立てながらゆっくりと開いた。


そこから吹きつける生ぬるい風は、まるで地下深くに潜む獣の吐息のようだ。じっとりと蒸れた空気には、血の匂いさえ混じっている気がする。自然と背筋が強張り、脈拍が高まってくるのがわかった。


ハルは短剣を握る手に力を込め、何度も深呼吸を繰り返す。


(ここで尻込みしてたら、受かるものも受からない……)


残り時間は数時間。引き返す余地など、とうにない。


「行くぞ……みんな、準備はいい?」


呼びかけに応じるように、イオ、ルーク、ヴェルンの三人も、重い足取りながら前へ進んだ。表情には疲労の色が濃いが、それを押し殺すような決意がある。


「もちろん!」

イオは唇をきゅっと結び、指先に雷の火花を散らす。


「やるしかねえだろ」

ルークはいつもの軽口を叩きつつも、手のひらでは水の球体が不安定に揺れている。


「僕も……ここで退くつもりはないよ」

ヴェルンが静かに頷くと、腕に絡むツタが小さくうねって応えた。


石扉の先は、広々とした円形の空間。

まるでコロシアムのように半円状の壁が取り囲み、天井は高みの闇に沈んでいる。壁際に並ぶ石柱には青白い炎がともり、床にはいくつもの怪しい紋章が刻まれていた。


その中央付近で――


「ゴゴオォォ……!」


腹の底から響くような唸り声が鳴り渡る。


見上げるほど巨大な体躯。牛の頭部を持ち、屈強すぎるほどの筋肉で覆われた上半身。一本の角が天井に届かんばかりに突き出している。握りしめた両刃のバトルアックスは、もし一度でも振り下ろされたなら、石壁ごと人間を粉砕しかねないほどの重厚感だ。


間違いない。こいつが、このダンジョンの守護者――ミノタウルスだ。


「で、でっかい……」


イオは、額に薄っすら汗を浮かべながらも拳を構えている。


「はは……思ったよりもはるかに強そうなんだけど? ど、どうする? 本当にやる?」


ルークが口を開くが、あまりの威圧感に声がかすれている。


「みんな……気をつけて。下手に動くと……」


ヴェルンがツタを伸ばしかけた瞬間、ミノタウルスは鼻面を荒々しく鳴らし、足を踏み鳴らす。


ゴゴンッ!


床石がびりびりと震えたかと思うと、次の瞬間、巨大な斧がハルをめがけて容赦なく振り下ろされる。


「やばいっ!」


ハルは一瞬で1mテレポートを使い、横へと跳ぶ。

直後、斧が床を砕き、破片が凶器のように四散した。

あまりの衝撃に空気が歪み、ハルの鼓膜が悲鳴を上げる。


(こんな力……まともに喰らったら一溜まりもない!)


軽い目まいに襲われながら、彼は必死に意識をつなぎ留めた。


ルークは後方へ転がって回避、ヴェルンはツタを盾状に変形させるが、その盾ごと弾き飛ばされてしまう。


「ぐっ……ぁ……」


ヴェルンは胸を押さえ、咳き込むようにうめき声を上げる。


「こいつ……やばいくらいパワーがある!」


震える声を絞り出すヴェルンに、ルークも青ざめた顔を返す。


「あんな斧をまともに受けたら……骨ごと砕かれそうだ……!」


その隙に、イオが電光を纏った蹴りを脇腹に叩き込む。


雷脚らいきゃくッ!」


雷鳴のような轟音とともに、ミノタウルスの巨体がわずかにのけぞった。


「効いた……?」


しかし、ミノタウルスはほとんど怯まず、そのまま肘を振り回してイオを吹き飛ばした。電撃が空に散り、イオの体が壁際まで転がってしまう。


「ぐあっ……!」


壁にぶつかったイオが床を転がり、苦痛に顔をゆがめる。


「な、なにあれ……硬すぎ……」


腰を強打したのか、立ち上がるのもやっとの様子だ。


「ちくしょう……オレも一発かましてやる!」


ルークが半ばやけくそに水魔法を発動させ、カッター状にした水流を勢いよく放つ。

ウィンッという鋭い空気の切断音が走り、ミノタウルスの肩をかすめる。


しかし、傷は浅く、ただ相手を怒らせただけのようだった。


「う、うわっ、こっち来るな!」


殺気を発するミノタウルスが斧を高く掲げ、まるでルークを潰さんとばかりに跳躍する。その圧力で床石が砕け、空気が振動するほどの衝撃波が走った。


「くっ……!」


ルークは必死に水の壁を作るが、巨大な斧が壁ごと叩き割り、あわや首をかすめるところまで迫る。


「やばい、た、助けて……!」


悲鳴に近い声を上げる彼をかばおうと、ヴェルンはツタを槍状に変えてミノタウルスの腕を狙うが、岩のように硬い毛皮に弾かれ、むしろツタを引きちぎられてしまう。


「くっそ……どうにもならねえじゃねえかよ!」


ルークが後退し、ヴェルンも息を整えきれず浅い呼吸を繰り返す。壁際ではイオが苦しそうに腰を支えながら立ち上がろうとしているが、先ほどの一撃で足元がふらついていた。


(まともに戦っても勝てない……!)


ハルは唇を噛みしめ、斧を振り回すミノタウルスから視線を外さない。


(僕のテレポートで動きを撹乱するしかない。連続使用は危険だけど……やるしかない!)


「ルーク、ヴェルン、正面から牽制して! イオ、こっちに来て!」


「はぁ!? この化け物、牽制ってどうやんだよ……!」


「いいから、少しでも足を止めるんだ! 距離を取って、水とツタで動きを制限して!」


焦った声を上げるハルに、ルークもヴェルンも半ばやけくそで頷く。

水弾とツタで顔や足元を攻撃し、少しでも意識をそちらへ向ける。案の定、ミノタウルスは怒りの唸り声をあげ、踏み鳴らした足で床をひび割れさせながら突進してきた。


ハルはその隙を逃さず、イオの手を掴んで駆け出す。


「イオ、雷拳を最大まで溜められる?」


「……うん、やる! でも正面からじゃ絶対止められちゃうんだよ!」


「だから、僕のテレポで背後を取る! その瞬間、一気に叩き込んで!」


イオは痛む体を押しながら拳を握り、稲妻のオーラをさらに強める。


「絶対に外さないから……頼むね、ハル!」

「任せて!」


ルークの水弾をかき消し、ヴェルンのツタを踏みちぎったミノタウルスが再び斧を振り上げた瞬間――


ハルは全力で地面を蹴り、1mテレポートを発動。

ずしんという地鳴りを背後に感じながら、一気に巨体の背面へと回り込もうとする。


しかし、獣の勘が鋭いのか、ミノタウルスはわずかに斜め振り返って斧を横に薙ぐ。


「う、嘘だろ、こんな動きまで……!」


ゴウンッ! 恐ろしい唸りを伴って斧が頭上をかすめる。


(危ないっ――!)


ハルは咄嗟にしゃがみ、土埃を浴びながら肩を低くして身を伏せる。その刃が壁へ突き刺さり、石材が砕ける轟音が響いた。


「今だ……テレポートッ!」


間髪入れず、もう一度瞬間移動を起動。クールダウンの隙間をギリギリまで詰め、斧が壁に食い込んでいる隙を突いて、ミノタウルスの“真後ろ”へ滑り込む。


無防備になった背中――そして首筋。


「イオ、今だぁ!」


「いくよ! 雷神双撃らいじんそうげきッ!」


イオの両拳に青白い稲妻が集中し、雷鳴そのものの衝撃音を轟かせる。

右拳が首筋へ叩き込まれ、獣の体内を稲妻が駆け巡る。さらに左肘を横から重ねるように叩き込み、第二波の雷撃を一気に与える。


「う、グォォォォ……!」


ミノタウルスは声にならない叫びを上げ、必死に抵抗しようと腕を振るう。だが、巨大な斧は壁に固定され抜けず、その猛り狂う手は空を切るばかり。


「くっ……これで、終わって……!」


イオは悲鳴のような声を上げながらも、最後の雷撃を振り下ろす。

その瞬間――ミノタウルスの巨体がズシンと床に崩れ落ちた。


地下空間には死闘の跡を物語る煙と砂埃、そして焼け焦げた毛皮の生臭い匂いが漂っていた。


「あ、あはは……ホントに……倒したの、これ……」


イオは放心状態のまま拳を下ろすと、膝ががくりと崩れる。


「イオ!」


ハルが慌てて抱き留め、なんとか倒れ込むのを防ぐ。

イオの額にはびっしりと汗がにじみ、肩が小刻みに震えているが、意識はまだあるようだ。


「お、お前ら……マジでやったのか……」


ルークはへたり込んだまま、心底信じられないという様子で頭を抱える。


「はぁ、はぁ……強敵にもほどがある……。受験用のダンジョンで出すレベルじゃねえだろ……」


「……うん、正面から突っ込んでたら絶対やられてた」


ヴェルンも膝をつき、息を乱している。ツタが何本も裂かれ、腕には血が滲んでいた。

それでも彼は、「ハルのテレポートとイオの火力……助かったよ」と、かすれ声で笑みを浮かべる。


ハルはあらためて周囲を見回す。仲間たちは全員ケガこそ負っているものの、致命傷はなさそうだ。


(間に合ってよかった……。もし誰かが斧をまともに食らってたら……考えたくもない)


そう胸を撫で下ろすと、ふっと視界の端に青白い光が揺れるのが見えた。


「……あれは?」


倒れたミノタウルスの背から、銀色の剣と盾の意匠が浮かび上がるように現れる。

ヴェルンが小さく声を上げた。


「学院の紋章……! これが手に入れば、第二試験クリアなんだ!」


イオが歓喜のあまり腰の痛みも忘れて身を乗り出そうとし、思わず「あたたっ」と苦笑いする。


ハルは紋章に手を伸ばすと、ほのかな光が彼らを包み込み、ゆっくりと手のひらへ吸い込まれるように納まっていく。


同時に、床のあちこちに蔦状の光が走り、部屋の中央に転送用の魔法陣が浮かび上がった。


「転送陣……きっと、ここから脱出できるんだ……」


「ふぅ……助かった……」


ルークが心底安堵したように肩を落とす。


「もう一度あの迷路を戻れなんて言われたら、死んじゃうよー」


イオも腑抜けた声で嘆くが、その瞳は嬉しさに潤んでいる。


ハルは転送陣を見つめながら、短剣を握りしめた手をそっと開いた。


(地味ってバカにされてきた能力だけど……少しは仲間の役に立てたかな……? いや、もっと……頑張らなくちゃな)


仲間たちの呼吸音を耳にしながら、改めてそう思う。


「……さあ、行くか。ここまで来て、間に合わなかったらシャレにならないからな」


ルークが苦笑交じりに立ち上がる。

ヴェルンはツタを回収しつつ、イオは腰をさすりながら、四人そろって円形の魔法陣の上へと進んだ。


足元が眩い光で包まれ、体がふわりと浮いたような感覚に襲われる。

次の瞬間、ハルたちは地下空間の景色ごと視界から消え去り、暖かな光の中へと吸い込まれていった――

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