10話 地下神殿の間

迷宮へ足を踏み入れてから、すでに数時間が経過していた。


曲がりくねった通路や、仕掛けだらけの廊下をなんとか突破してきたハルたち四人だが、全員の顔にははっきりと疲労の色が浮かんでいる。


濡れたような汗が頬を伝い、靴には土や埃がこびりつき、軽い傷や擦り傷が痛みをじんわりと訴えていた。


「はあ……もう限界……」


ヴェルンは眼鏡を少しずり落としながら、壁に片手をついて荒い呼吸を整える。ツタ魔法で幾度となくトラップを封じてきたせいで、肩は重く張り、集中力も尽きかけているようだ。


「なあ、あそこ……少し広い部屋になってないか?」


ルークがかすれた声で指さす先には、天井が高くなった広間のようなスペースがある。苔むした祭壇の上に、不気味な石像がそびえ立ち、壁には派手なひび割れが走っている。


一見、罠や敵の気配はない。扉らしきものも閉ざされており、すぐにモンスターが襲ってくる様子も感じられない。


「……安全そうに見えるね。ここで一息入れようか」


ハルが小さく息をついて提案すると、イオは「やったー!」とほっとした笑みを浮かべ、雷のオーラを解いて拳を下ろした。


「助かったあ……もう足がパンパンだし、ペコペコだし……」


肩までへとへとになっていたイオは、祭壇の石段に腰を下ろすと、大きく伸びをする。


背伸びした瞬間、背筋にじわりと汗がにじみ、湿った布が肌にはり付く不快感に思わずしかめっ面を浮かべた。


「僕もそろそろ限界かも……」


ハルも壁にもたれかかりながら、荒い呼吸を整える。激しいトラップを何度も避け続けたせいで、膝が震えるほどに疲れていた。


「こっちの隅、ちょっと座るのに良さそうだぞ」


ルークが崩れた石像の陰を見つけ、皆でそこへ移動する。倒壊した壁の破片や土埃の山があるが、背を預けるには十分な場所だ。


***


小休憩の間、イオがパンの切れ端をガツガツと食べ始め、ルークは水の魔法で湧かせた水を自分の首筋にかけて冷やそうとしている。


ヴェルンはポーチから薬草を取り出し、ハルやイオの軽い傷を丁寧に手当てしてくれた。


「ハル、さっき落とし穴のとき助けてくれてありがとう。あれヤバかったよ……」


イオは満足げにパンをほおばりながら、ハルに目を向ける。


ハルは少し照れくさそうに頭をかき、「いや、僕はテレポで引っ張っただけだし」と控えめに答える。


「でも、その地味なテレポがなきゃ、ここまで来るのにもっと時間かかってただろ」


ルークはごろりと石段にもたれて天井を見上げる。


先ほどまで“歩いたほうが早い”と小馬鹿にしていたはずなのに、今ではすっかり頼りにしている口ぶりだ。


しばし各々が息を整えたあと、ルークが何気ない口調で問いかけてきた。


「そういやハル、お前はなんでこの学院に入ろうと思ったんだ? 最初から勇者になる気まんまんだったか?」


ルークが切り出したのは、ちょっとした雑談というには踏み込んだ話題だった。イオもヴェルンも、思わずハルのほうを見やる。


「え……」


ハルは急に振られた話題に少し戸惑いつつ、力の抜けた呼吸を一度整える。


「僕は……子どもの頃から勇者アシュレイに憧れてたんだ。1mテレポートしかないけど、誰かを守れる力になりたいって思って……ここに来た」


声がかすれるほどの疲れの中でも、その言葉だけはしっかりと力を伴っていた。


ルークは「なるほどな」と頷き、イオは「いいじゃん! 私もその気持ちわかる!」と拳を突き上げる。


「じゃあルークは? なんで入学したいの?」


イオがパンをほお張りながら振ると、ルークは「うっ」と言葉を詰まらせる。


「えーと……最初はモテそうだから、とかそんなんで……なにせこの学院って、卒業すれば有名になって金持ちにもなれるチャンスが多いだろ?で、軽いノリで受験したら思ったより難関で……はは」


ルークは苦笑し、少し視線を伏せる。


「でも、こうやってお前らと馬鹿やりながら進んでるうちにさ、ちょっと気持ち変わってきたんだよな。真面目に“学院で強くなりたい”って思い始めた……自分でもびっくりしてるけど」


ルークは鼻で笑いつつも、心底照れくさそうな顔をしている。


「全然変じゃない。むしろ自然だよ」


ハルの優しい言葉に、ルークは頬をかきながらそっぽを向く。うっすらと耳が赤い。


彼は普段ふざけているように見えるが、この試験中の連携や危機を通じて、少しずつ真剣になっている。そんな姿を、ハルもイオも感じ取った。


「私もね、強くなって魔物をボッコボコにしてやりたい! けど困ってる人も助けたいし、何より負けるのは嫌いだから!」


イオは半分冗談めかして笑うが、その瞳にはどこか真剣さも垣間見える。


「……まあ、さっきまで死ぬかと思ったけどね。もう危機一髪だらけだし!」


言葉の勢いほど明るくない表情で、彼女は少しだけ拳を握り締めた。疲れた身体に鞭打つように雷の力を喚起しようとしているのだろう。


そして三人の視線が、自然とヴェルンへと集まる。

ヴェルンは膝の上で手を組んだまま、控えめに微笑んだ。


「僕は……昔、村が魔物に襲われたとき、大事な人たちを守れなかったんだ。もっと強い力があれば、何か変えられたかもしれないのに……」


目を伏せるヴェルンの瞳には、わずかに悲しみが宿っている。


「同じ思いをする人を減らしたい。それが僕の理由……かな」


少し重い空気が漂うが、イオは「大丈夫だよ、ヴェルンはすごい力持ってるし!」と大きくうなずき、ルークは「ツタ魔法のおかげで助かった場面、何度あったと思ってんだ」と軽く拳でヴェルンの肩を叩く。

ハルも「きっと僕ら、ここを乗り越えればもっと強くなれるよ」と励ましの声をかけた。


「ありがとう。でももっと強くなりたいんだ。悲しむ人を一人でも減らせるように…」


ヴェルンは一瞬何かを言いかけたが、そこで言葉を飲み込み、懐中時計に目をやる。


「休憩、そろそろ切り上げようか?……あと数時間で、試験のリミットが来る。ボスらしきモンスターを倒して、学院の紋章を手に入れないと間に合わない」


その言葉に、四人の表情が引き締まった。


***


広間の奥にある小さな扉を抜けてみると、下へ続く石階段が見える。

苔むした壁には、奇妙なレリーフがびっしりと刻まれ、ところどころに亀裂が走っている。湿った空気が漂い、足元から冷気が吹き上げるようだ。


「なんか……神殿っぽい雰囲気だね」


イオは松明をかざしながら、不安と期待が混じった声を漏らす。


階段を慎重に下り切ると、そこには巨大な空洞のような空間が広がっていた。天井を支える二本の太い柱が立ち並び、地面にはかつての儀式跡のような文様がかすかに残っている。ところどころ崩落しており、岩の破片や瓦礫が散らばっていた。


「……あれ、正面にでっかい扉があるぞ」


ルークが目を凝らすと、半円形の荘厳な扉が鎮座していた。扉の中央には古代文字らしき刻印がびっしりと並んでいる。

まるで脈動するかのように淡い光を放っており、見ているだけで胸騒ぎがした。


「“汝ら、守護者を討ち破り、学院の証を持ち帰るべし”……」


ハルが扉に浮かんだ文字を読み取ると、背筋にかすかな緊張が走る。


この先には、きっと“守護者”と呼ばれる強敵が待ち構えている。制限時間内に倒さなければ、合格はない――。


「くっ……どうやら一筋縄じゃいかない相手がいそうだな」


ルークは手をかざすと、水の魔力を集中させ、小さな水流をくるくると回転させて力加減を確かめる。


「でも、やるしかねえ。ここまで来て引き返すなんてゴメンだぜ」


「うん。私ら四人が力を合わせれば、絶対勝てるよ!」


イオは拳を突き合わせ、雷の火花を散らす。足の震えを無理に抑えるように踏ん張っていたが、その瞳には闘志が灯っている。


ヴェルンは静かに立ち上がり、ツタの小枝を指先で撫でながら言った。


「大丈夫、僕らならきっと乗り越えられる。……行こう、ハルさん」


「……うん!」


ハルは全員の視線を受け止め、短剣を握り直した。


雨のように汗が流れ落ちる掌を拭い、心臓の鼓動を意識して深呼吸する。


「ここで負けたら、何も得られない。皆でこの試験を突破して、学院に入ろう」


冷たい空気が神殿の床を這い、耳を澄ませば扉の向こうから微かな振動のような音が伝わってくる。まるで巨大な生き物が呼吸しているかのようにも思える。


「……やばそうだな、マジで」


ルークがつぶやくと、四人とも同時にごくりと唾を飲み込んだ。


「行こう! 扉を開けた瞬間に戦闘になるはず。構えて……!」


ハルが声を張り上げ、仲間たちも臨戦態勢を整える。雷、植物、水流、そしてテレポート――それぞれの力を限界まで研ぎ澄まし、いざ戦う準備だ。


そして、四人は巨大な扉にゆっくりと手をかけた。


扉の接合部が青白く脈打ち、重々しい音を立てて動き始める。

その向こう側に待ち受ける“守護者”との対峙を思うと、鼓動がいやに早くなるのを感じた。

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