7話 森の中での再会

――ザク、ザクッ。


高く生い茂った木々のあいだを、ハルはひたすら進んでいた。湿った落ち葉を踏むたび、鈍い音が耳を打つ。濃い緑の匂いが鼻を刺し、肌にまとわりつく湿気が不快感を増していく。


(あの子どもみたいな姿で、あそこまで冷酷だったなんて……ペネロペ……)


ハルの脳裏には、先ほどの裏切りがこびりついて離れない。心配しているフリをしながら利用するだけ利用し、最後はゴーレムで崖下に突き落とす――あまりにも悪辣な手口だった。


(くそっ、自分の甘さが憎たらしい……)


先ほどまでいた崖で「翔鷹しょうようが眠りし祠」を見つけたのに、定員一名で封鎖されてしまった以上、次のダンジョンを探すしかない。残り時間はあと十数時間ほどだが、いまだにダンジョンは見つからず、体力も消耗している。


「くそっ……まだ他のダンジョンがあるはずだ」


ハルは荒れた呼吸を抑えつつ、雑に手持ちの地図を広げた。


地図には「蛇喰じゃばみが潜みし洞窟」「炎狼えんろうが唸りし岩宮」などのダンジョン名は書かれているが、肝心の位置情報は皆無。場所の検討もつかない。これでは森を歩いて探すしかない。


(それにしても……崖を登り下りした疲れが響いてるな……)


転落しかけた恐怖が脚に残り、肘を擦りむいた傷口がずきずき痛む。

湿気で傷がうずき、じわりと血がにじんでいるのが見えて嫌な気分を刺激した。


***


どれだけ歩いただろう。


日が陰りはじめ、薄暗い影が広がりだす頃――茂みの奥からガサガサと音が響いた。


「……っ!」


ハルは反射的に構えを取り、慎重に視線を向ける。すると、低い唸り声を上げながら姿を現したのは、灰色肌のオークらしき魔物と、緑色のゴブリンたち数体。どちらも粗末な皮鎧をまとい、獰猛な牙をむき出しにしていた。


「グルルル……」

「キシャアアッ!」


オークが短い棍棒を地面に叩きつけると、ゴブリンたちが歯ぎしりをして威嚇する。その棍棒には古い血痕がこびりついており、これまでに何人の受験生を襲ってきたのか想像するだけで背筋が寒い。


(まずい……この数はちょっと多いかも……!)


ハルは短剣と小さな盾こそ持っているが、攻撃魔法は扱えない。瞬間移動の“1mテレポート”で翻弄できるとしても、相手がこれだけの数だと分が悪い。


「……やるしかないか」


覚悟を決め、魔力を込める。ゴブリンの足元を見やると、左脚を少し引きずっている個体がいる。そこを突破口に――そう考え、ハルは飛び込んだ。


甲高い悲鳴を上げながら、ゴブリンの一体が突進してくる。ハルは即座にテレポートを発動し、足を引きずるゴブリンの背後を狙う。だが、横合いから棍棒を振り回すオークが先読みしたかのように待ち構えていた。


「くっ!」


咄嗟に盾を構えるが、棍棒の衝撃でバランスを崩してしまう。地面に膝をつきかけたところを無理やり踏みとどまったが、その間にゴブリンたちが左右から回り込む。


連続で降り下ろされる棍棒。ハルは間一髪テレポートで回避するが、移動した直後に別の攻撃が襲いくる。次々と飛びかかる爪が、喉元をかすめるほど近い。


(くそっ! テレポートだけじゃ対処しきれない……! )


この切羽詰まった状況だと、テレポート後の1秒のクールダウンが致命的な足枷になってくる。

ゴブリンが獰猛に牙をむき、飛びかかる。


「ハルさん、危ないっ!」


唐突に響く青年の声。同時に地面から無数のツタが生え出し、ゴブリンたちを絡め取った。絡みついたツタがきしみ、魔物たちの動きをいっきに封じる。


「ヴェ、ヴェルン……!?」


ハルは驚いて振り向く。そこには、眼鏡をかけた穏やかな顔立ちの少年――ヴェルン・ヴェルプレインが、肩で息をしながら駆け寄ってくるところだった。


「大丈夫、ハルさん! ケガは……」

「ああ、肘を擦りむいてるけど、大したことないよ。それより、本当に助かった……!」


ホッと息をつくハルに、ヴェルンはさらに両手を合わせてツタを強化する。オークの棍棒がバキリと折れ、ゴブリンたちは悲鳴をあげながら抜け出そうとするが、完全に拘束されてしまっている。


「今のうちに、こっちへ!」


ヴェルンが指差した方向へハルは全速力で走り、二人そろって森の少し開けたエリアまで逃げ込んだ。お互い息を整え、地面に手をついてうなだれる。


「ハルさん、ボロボロじゃないか。何があったの?」


ヴェルンがハルの擦り傷や泥だらけの姿を見て尋ねると、ハルは少し戸惑いつつ、ペネロペの裏切りをかいつまんで説明した。


「それは……酷い仕打ちだね」


「うん。試験が厳しいのは分かってたけど、あんな形で来るとは思わなかったよ」


悔しそうに唇を噛むハルに対し、ヴェルンは憂いを含んだ瞳でそっと目を伏せる。


「君が優しいから利用されたんだと思う。でも、それだけ過酷な試験だってことだ。誰かを蹴落としてでも合格しようとする人もいるから……」


一瞬、ヴェルンの眼鏡の奥の瞳がチラリと険しい色を見せる。


「噂だと去年の試験中にも“受験生狩り”って事件があったらしい」


「受験生狩り……?」


ヴェルンが暗い表情で続ける。


「うん。去年、受験生が何者かに襲われる事件があったらしい。重傷者も多数出たとか……追い詰められた受験生同士の仕業なのか、あるいは外部の何かが潜んでいるのか――結局はっきりした原因はわからないままなんだって」


まさかペネロペがその犯人ってわけではないかもしれないが、人を平然と落とし入れるやり方は似たようなものに思えてしまう。


「……それだけ、この場所が危険だし、甘い気持ちじゃ合格できないってことだろうな」


ハルは小さく息を吐き、決意を新たにするように顔を上げる。


「ところでヴェルンは、ダンジョンは見つかった? 僕は"翔鷹が眠りし祠"に行ったけど、ぺネロペが入った時点で『定員一名』で封鎖されてしまって……」


ヴェルンは少しだけ困ったように笑みを浮かべ、鞄から畳まれた羊皮紙を取り出した。


「僕はあちこち探して、ダンジョンらしい遺跡を一つ見つけたんだ。でもそっちのダンジョンには入口に『定員四名』って刻まれていて、どうやら四人揃わないと入れないらしい。中の仕掛けも複数人前提だろうし、困っていたところなんだよ」


「今度は『定員四名』か……」


どうも、この島のダンジョンは『定員』の縛りがある場合が多いらしい。


「イオやルークの姿は見かけなかった? もし二人とも合流できたら、ちょうど四人なんだけど」


ヴェルンは首を振る。


「まだ会ってないんだ。僕が見つけたダンジョンの方角は、このあたりから北西に行ったあたりなんだけど……途中でやたら魔物に遭遇して、先へ進めなくてね。四人揃えば安全に突破できるかもしれない」


イオは雷を纏った格闘術が強烈で、ルークの水操作は防御や補助にも使える。二人が合流すると心強い。そこにヴェルンの植物魔法と、ハルの1mテレポート――は正直地味だが、四人いればダンジョンも突破できそうな気がしてくる。


「探してみよう。二人とも、この森のどこかでダンジョンを探してるはずだ」


ハルがそう言うと、ヴェルンは頷いた。


その時、遠くの方で雷鳴のような轟音が響き渡る。青白い光が木々の間を一瞬だけ照らした。


「あっ、今の!」

「うん、あの派手な雷撃……イオかもしれない」


ヴェルンが木漏れ日越しに空を見上げる。

あれほど派手に雷を使える受験生はイオくらいしか思い当たらない。


「どのくらいの距離かな?」

「距離は遠そうだけど、方角は北西……ちょうど君のダンジョンと同じ方向かも」


ハルは辺りを見回し、地面に残る不自然な焦げ跡を発見した。

どうやらイオが通った痕跡かもしれない。


「よし、じゃあ探してみよう。ヴェルン、道案内を頼んでもいいかな?」

「もちろん。敵が多いから気をつけて。ハルさんも怪我があるし、無理しないようにね」


さきほどまで命の危険を感じさせる闘いがあったとは思えないほど、森のなかは静けさを取り戻していた。木漏れ日の射す道は薄暗く、ところどころに残る雷の焦げ跡や荒れた地面が、ほんの少し前に誰かが通った証拠を物語っている。


ハルとヴェルンは足元に気をつけながら、北西へ向けて一歩ずつ進んでいった。

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