6話 裏切りのゴーレム

崖沿いの細い道を慎重に進んでいると、やがて木々が途切れ始め、切り立った灰色の岩壁が姿を現した。


遠目に見ても相当な高さがある。上を見上げると、けわしい岩肌の先に青空が覗いている。


「ここを登った先に“翔鷹が眠りし祠”がある……と、いいんだけど……」


ハルは地図を手にしながら、唾を飲み込む。


手持ちの候補ダンジョンを探す中で、この崖の上がもっとも有力だと判断してここまで来たが、残された時間は多くない。


そして隣には、あどけない顔立ちの少女・ペネロペが小さく身を寄せていた。


先ほどゴブリンに襲われたときは、ハルの1mテレポートが間一髪で役に立った。だが、またモンスターが出るかもしれない。この急峻な崖を、どうやって二人で突破するかが問題だ。


「ねえ、ハル。こんな崖、どうやって登るの?」


ペネロペが袖をくいっと引っ張る。怯えたような瞳を見せながらも、妙に好奇心がうかがえる声だ。


ハルは岩壁を見上げ、唸るように考え込む。


「崖を普通に登るのは危ないし、ロープもない。やれるとしたら……俺のテレポートしかないかな」


彼には“1メートル先に瞬間移動できる”という地味な能力がある。せいぜい1mの距離だが、少しずつ足場を移りながら上へ行くことは不可能ではない。


問題はペネロペを連れての崖登りだ。手を離せば転落の危険があるし、タイミングを誤ると一瞬のうちに二人とも落ちてしまうかもしれない。


「ペネロペ、テレポートするとき、俺に密着してないと巻き込めないんだ。1mずつ何度もやるから、結構、怖いかもしれないんだけど……」


ハルが警告するように言うと、ペネロペは目を輝かせて首を振る。


「ううん、ハルが一緒なら平気だもん。私、怖くない!」


無邪気な笑顔。ついその眼差しにほだされてしまう。


「……わかった。じゃあ、行こうか」


覚悟を決めて、僕はペネロペの小さな体をしっかり抱え込み、崖に向かってテレポートの魔力を集中させた。


――スッ。


まずは1メートル先の岩棚へ……。


視界が一瞬ぶれ、ハルとペネロペの体がふわりと移動する。クールダウンが1秒必要なため、その間はバランスを崩さないよう足場を踏み締めなければならない。


「ほ、ほんとに一瞬で移動した……」


ペネロペが小さくつぶやき、しっかりとハルの腰にしがみついた。


「まだまだ先は長いけど、慎重に行くよ」


こうして、1メートルテレポートを何度も繰り返しながら、二人は崖を少しずつ登っていく。


苔が生えて滑りそうな岩や、風でぐらつく細い突起など、危険な箇所は多い。それでもハルは慎重に足場を見定め、少しずつ高度を稼いだ。


途中、高い鳴き声が聴こえてくる。


「……あれ、何だろう?」


ペネロペが小声で囁くと、視界の端に翼を広げた巨大な鷹のようなモンスターが舞い降りてきた。


血走った眼孔と鋭い爪。明らかに普通の鳥ではない。爪の部分に怪しい魔力のオーラが滲み、翼を広げたときにその先端から青白い光がチラチラと放たれているのが見える。


「まずい……こんな崖の中腹で襲われると逃げ場がないぞ……!」


大鷹のモンスターは嘴をカッと開き、獲物を探すようにあたりを見回している。


ハルはペネロペを抱え込んだまま息を潜め、岩陰に隠れてやり過ごすことにした。


数秒ほどじっとしていると、大鷹は低い声で鳴き、風を巻き起こしながら上空へと飛び去っていった。


「よかった……見つからなかったみたい」


ほっと胸を撫で下ろす。ペネロペも冷や汗をかいていたのか、少し額に汗の玉が浮かんでいる。


「ハル、すごいね……静かに隠れるのも上手なんだ」


「ま、まあ、地元の森でもけっこう狩猟みたいなことは手伝ってたから……」


ひとまず最悪の事態は避けられたことにホッとする。


再びテレポートを重ね、さらに上へ。


視界が開けてくると、崖の上部に苔むした遺跡のようなものが見え始める。巨大な石柱がいくつも立ち並び、中央には門のような構造物が口を開けていた。


「……あ! あれ、ダンジョンの入口かも」


ハルはペネロペをそっと下ろし、慎重に足を進める。崖の頂上はそこまで広くはないが、遺跡の床が敷かれ、四方を崩れかけの壁が囲っているようだった。


門の両脇には風化した石像が立っており、鷹の翼を模したような意匠が彫り込まれている。


「“翔鷹が眠りし祠”……間違いなさそうだね。やっと見つけた…!」


試験官から聞いた「紋章を持つボスモンスター」がこの奥にいるのだろうか。


ハルは高揚感と同時に不安も覚えつつ、門へ近づいていく。その上部に刻まれた古い文字を指でなぞって読むと、こんな文が浮かび上がった。


『定員一名に達した時点で、入口を封鎖する』


「え? 定員一名……?」


ペネロペが小首をかしげる。ハルは指を当ててその意味を考え込む。


「ええと……どうするんだろう、これ。もしこれが本当だとしたら、僕かペネロペ、どっちか一人しか中に入れないってことか……?」


せっかく二人で見つけたダンジョンなのに、一緒に挑めないとはどういうことだろう。ハルは気まずそうにペネロペを振り返る。


「ごめんね、ペネロペ。せっかくここまで来たのに、これじゃどちらかしか挑戦できないって……」


ペネロペは一瞬、下唇を噛むようにして何かを思案している様子。ハルは「彼女が困ってるのでは」と思い、申し訳なさを滲ませる。しかし、そのときだった。


「……あはは。やっぱりバカね、あんた」


唐突に、ペネロペの声が低く変わった。さっきまでのあどけない少女の雰囲気は消え失せ、クスクスという嘲笑が響く。


「え……ペネロペ……?」


ハルが怪訝な顔で振り向くと、彼女の手には土の色を帯びた魔力の粒子が集まっていた。


地面がゴゴゴ……と震え始め、大きな塊が盛り上がっていく。


「いっきまーす♪」


ペネロペは楽しそうな調子で指を鳴らすと、土や岩が集まり出し、掌サイズの小さなゴーレムが姿を作り――それがみるみる巨大化してゆく。太い腕、屈強な胴体……最終的には成人男性ほどのサイズになっていた。


「え、ちょ、ちょっと待って!? ゴ、ゴーレム……?」


ハルは事態を飲み込めないまま後ずさる。


「ごめんね〜? このダンジョン、私が入らせてもらうわ」


ペネロペは“あざと可愛い”仕草で首を傾げつつ、ニヤリと悪意の笑みを浮かべる。


「まさか、最初から僕を利用するために……?」


「そういうこと♪ だって、崖を登るのしんどいじゃない? ちょうどいい足がかりが欲しかったのよ、ハルくん。あんた、まんまと利用されちゃったわね」


ハルが言葉を失う間に、ゴーレムはドスンと足を踏み鳴らし、ハルをがっしりと掴む。丸太のような腕に抵抗する間もなく、遺跡の縁へと持ち上げられた。


「え、ま、待ってペネロペ! こんなこと――」


「バイバーイ。お人好しは崖下でお昼寝でもしてなさいよ。わたしが、このダンジョンを独占させてもらうから♪」


上機嫌な声を残し、ペネロペは軽々とハルを崖下へ放り投げる。


「うわあああっ!」


体が地面に激突する瞬間――


(いまだ…!)


落下の寸前で上空にに向かって1mテレポート。

勢いは相殺され、衝撃を和らげることに成功。


――ドサッ!


体勢は崩れたが、致命的なダメージを受けずに済んだ。砂まみれの地面を転がり、肘を擦りむいたが、骨折などはどうやらしていないようだ。


「……痛たた……ふう……」


急いで顔を上げると、遠く上方の遺跡に小さくペネロペの姿が見える。彼女は容赦なく門の奥へ入っていくようだった。


「くっ……まずい……!」


急いで崖の岩肌に手をかけ、再びテレポートを使って少しずつ登り始める。


何度も足が滑りそうになるが、ここであきらめられない。あの祠をペネロペに独占されてしまったら、試験が終わってしまう。


「はあっ、はあっ……!」


1メートルずつ、1メートルずつ。集中して岩の突起を掴みながらテレポートを繰り返していく。先ほどの登りより、もう体力的にギリギリだったが、痛む肘を押さえつつ歯を食いしばるしかなかった。


――だが。


ようやく再び遺跡の頂上までたどり着いたとき、そこには眩い結界が張られ、入口が完全に閉ざされていた。遺跡の門には光の幕が張り巡らされていて、どんなに叩こうが魔力をぶつけようがびくともしない。


「そ、そんな……!」


『定員一名に達した時点で、入口を封鎖する』


そう刻まれた文字が容赦なくハルの目に焼きつく。つまりペネロペが先に入った瞬間、ここは閉じてしまったのだ。


ハルは地面に膝をつき、唇を噛む。どう頑張っても、この結界を破る術は今のハルにはなさそうだ。


「ペネロペ……あんな小さな子が、どうやってあそこを攻略するのか……いや、あの態度だ。きっと実力だって充分にあるんだろう。くそっ……」


怒り、悔しさ、そして騙されていた虚しさが同時にこみ上げてきて、胸が苦しくなる。


「……僕は……なんて甘いんだ……」


護ってやらなきゃとか、放っておけないとか、そんな思いがまんまと利用されただけ。ここまでせっかく登ってきたのに、結局ダンジョンには入れずじまい。


「もう……これ以上足掻いてもしょうがないし……別のダンジョンを探すしかないのか……」


一応、他のダンジョン候補としては「蛇喰じゃばみが潜みし洞窟」だの「炎狼えんろうが唸りし岩宮」だの、名前だけは地図に載っていた。今からそれらを探し出し、時間内に紋章を手に入れられるのかどうか…


「……行こう。まだ間に合う。絶対に……!」


肩で荒い息をつきながら、ハルはゆっくりと立ち上がる。もうペネロペがどうとか考えている余裕はない。


見下ろせば、再びあの長い崖。またこれを降りていかなきゃならないのか……だけど、やるしかない。


「……よし」


ハルは石段からゆっくりと下界を見やり、少しでも踏みやすそうなルートを探す。時間はかかるけれど、とにかく下りて、他のダンジョンを目指すしかない。


がっくり肩を落としながらも、再び1mテレポートに魔力を込めた。


あと残り時間は、そう多くない。

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