5話 迷子の少女

足元には枯れ葉と湿った土が敷き詰められており、踏むたびにずっしりと重みを感じる。

空気もかなり蒸しているようで、少し歩いただけでじわりと汗がにじんできた。


ハルはちらりと地図を確認する。


「とりあえず……『翔鷹しょうようが眠りし祠』ってのが一番ヒントがわかりやすそうだよな」


名前から連想するに、断崖絶壁や山の中腹にありそうな気もする。


見上げれば、遠くには切り立った山稜が霞むようにそびえている。


「ひとまずあそこを目指してみるか…」


ハルはひとまず、ひときわ目立つ山稜を目指すことにした。


もしダンジョンがなかったとしても、高い場所から島を見渡せば、何かヒントになるようなものを発見できるかもしれない。


ハルは踏みならされたような獣道をそれとなく探しつつ、地形を確認しながら歩みを進めた。


***


湿り気の多い草木をかき分けながら、地図を片手に進んでいく。


先行していたイオ、ルーク、ヴェルンの姿は見えない。おそらくそれぞれ別の方向へ向かったのだろう。


すでに出発してから二時間ほど経過していた。


道中、何人かの受験生とすれ違ったが、声をかけても返ってくるのはそっけない断りばかり。


「こっちも余裕がないんだ。協力する余地はない」

「競争相手と組む気はない。じゃあな」


とにかく皆、試験突破に必死なようだ。彼の甘さが浮き彫りになり、胸に複雑な思いが広がる。


さらに、すでにモンスターに襲われて消耗しきった受験生とも遭遇した。


「くそっ、こんな森の奥にあんな化け物がいるなんて……!」


力なく地面を殴る姿が痛々しい。だが、ハル自身も戦闘には自信がないため、最低限の包帯と水を渡し、なんとか自力で引き返すよう助言するしかなかった。


(ここは本当に甘くない……)


名門学院の“超難関”ぶりと島の危険さを、改めて実感する。


「よし……この方角を進めば、あの崖に到着するはずだ」


そんなことを呟きながら、崖沿いの細い道を慎重に進んでいたとき、視界の片隅に鮮やかなピンクの髪が飛び込んできた。


「……え?」


岩陰に小さく身をすくめる少女。それは10歳ほどに見えるピンク色のツインテールの子どもで、こんな危険な島に似つかわしくないほど愛らしい姿をしていた。


まさかと思ったが、少女の肩には確かに学院の受験者バッジが光っている。


これほど幼い子まで受験しているんだろうか……?

年齢制限は「15〜18歳」とは聞いていたが、実は特例があるのかもしれない。


「ど、どうしたの? 大丈夫?」


ハルが声をかけると、少女はびくりと肩を震わせ、こちらを振り向いた。

瞳を見れば大粒の涙を浮かべ、今にも泣きだしそうな様子だ。

フリルたっぷりの可愛らしい服を着ており、防具らしきものはまったく身につけていない。


「う、うう……こわいよお……」


しゃくりあげるように涙をこぼす少女。


「迷子になっちゃったの……地図もあるけど、よくわかんなくって……」


少女は弱々しく訴える。


華奢な靴には泥ひとつついていないのも不自然だったが、ひとまず彼女が困っていることに違いはない。


「そっか……名前、聞いてもいい?」

「ペネロペ・クレイベル……」


ぼそりと名乗る少女は、大きな瞳を潤ませてうつむく。


「僕はハル・アスターブリンク。こんな森の奥で一人は危ないよ。よかったら、一緒にダンジョンを探そうか? 僕もまだ見つけられてないんだけど、こういう名前のダンジョンが候補にあって……」


ハルは自分の地図を広げながら、できるだけ優しい声で言う。


ペネロペは「すごい……この島の地図?」と初めて見たかのような驚きを見せた。


(あれ? なんか、さっき地図があるのにわからないって言ってたような気が――)


ハルは少し引っかかるものを感じつつも、気にせず進めることにする。

こんな小さい子が一人でいたら、そりゃ不安になるだろう。放っておくことはできない。


「お、お兄ちゃん優しい……ありがとう!」


ペネロペが無邪気な笑顔を向ける。

まるで妹に甘えられているような気分になり、ハルは少し照れくさくなる。


***


ペネロペと共に、崖沿いの細い道をそろりそろりと進む。


崖の細道をしばらく歩いていると、唐突に背後の藪がゴソッと揺れた。


「……誰かいる?」


警戒して振り向くと、背丈の低いゴブリンが二体、斧や槍を携えたまま飛び出してきた。

鋭い牙をむき、突進してくる様は明らかに人間を獲物と見なしている。


「きゃああぁ……! こわいよぉ!」


ペネロペが悲鳴を上げて、ハルの背中に身を隠す。


ハルはテレポートの魔力を集中させ、ゴブリンが斧を振りかざす瞬間に1m先へ飛ぶ。


斧は空振りし、崖の縁を削るほどの衝撃音を響かせた。


「……っ!」


ヒヤリとするハルだが、連続でテレポートは使えない。

槍を持ったゴブリンがすぐ背後から迫る。

時間差で飛ばなければならないが、あと1秒はクールダウンが必要だ。


「ペネロペ、離れないで!」


少女はしがみついたまま、怯えるように小さく声を出している。

ハルはギリギリのタイミングで横に再度テレポートして槍を回避。

ゴブリンがバランスを崩して転倒する間に、彼女を抱えて走るしかない。


「……っ、はあ、はあ……!」


茂みをかき分け、崖沿いを必死に逃げ回ると、ゴブリンたちの気配は次第に遠ざかっていった。

しばらく走ったあと、背後の物音が聞こえなくなり、ようやく一息つく。


「う、うう……ありがとう、ハル……」


ペネロペはうるんだ瞳で感謝の言葉を口にしながら、しっかりとハルの腕を掴んでいる。

よほど怖かったのだろうか。でも、とにかく怪我はないようだ。ハルはほっと胸を撫で下ろす。


「大丈夫? 怪我してない?」

「う、うん、なんとか平気……」


ぺたんと座り込みそうな彼女を支え、ハルは周囲を警戒する。


(ゴブリン程度ならテレポートでなんとか逃げられるかもしれないけど、もしもっと強力なモンスターが出てきたら…)


彼は自分の能力の心細さを噛みしめるように息を吐いた。


「それじゃあ、目的地に向かおうか。まだ道のりは長そうだけど……」

「うん、ハルと一緒なら安心だよ!」


ペネロペは先ほどまで泣き叫んでいたのに、今ではすっかり落ち着き、満面の笑みを浮かべている。

ハルは少し違和感を覚えたが、それでも彼女を放置できないと、気持ちを切り替える。


「よし、山の方へ進めば何かあるはず。崖の上にダンジョンがあるかもしれないから……」

「うん!」


ペネロペはぴょこぴょことついてくる。


二人は、目的の祠を探すため、再び歩み始める。

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