4話 孤島の地図
風を切るように、飛行船が進んでいる。
高々と広がる雲海の上を、まるで空を泳ぐ巨大な魚のように滑空し、その雄大な姿は甲板に立つ受験生たちを圧倒していた。
ハルもまた、その一人だった。
甲板の手すりにそっと腕をかけ、はるか下に広がる世界を見下ろす。
足元には遥かな海と森が連なり、その向こうには、いくつもの島々が点在している。
ここから眺める地平線は地上からは味わえないほど広大で、文字通り“別世界”に来たかのような開放感をもたらしていた。
「すっごーい! 見て、ハル! 雲がすぐ手の届くところにあるよ!」
隣では、オレンジ色のショートボブが目を引くイオが、はしゃいだ様子で欄干に身を乗り出している。
子どものように目を輝かせ、雲の切れ間から覗く空の青さに声を弾ませた。
「本当に、こんなに高く飛ぶなんて……想像以上だ」
ハルは素直に感嘆する。飛行船での移動など初めてのことで、遠くに見える山脈や海面の光景がまるで一枚の絵のようだった。地上の喧騒から一転、まるで空を旅する鳥になったかのような気分になる。
「おーい、そっちの景色もすごいのか?」
金髪を後ろでくくったルークが、軽い足取りで甲板を渡ってきた。彼はどこか浮かれつつも、いつもの余裕ある笑みを浮かべている。
「いやあ、“非日常”感ってやつ? オレはこういうの大好きだよ。次の実技試験は地獄かもしれないけど、今のうちにワクワクしとかないともったいないだろ?」
ルークが楽しげに声を上げると、少し離れたところでヴェルンがやや青い顔をして手すりにつかまっていた。
「ヴェルン、大丈夫なのか?」
ハルが心配そうに問いかけると、ヴェルンは気まずそうに微笑む。
「ちょっと高度に慣れなくて……揺れもあるし。落ちることはないって分かってるけど、やっぱり怖いよ」
「ま、大丈夫だって。学院側も危険には配慮してるはずだし」
ハルがそう励ますと、ヴェルンは微かに笑い返す。空中とはいえ、乗り込んでいるのは安定した飛行船。高度に慣れてしまえば、甲板から眺める絶景も悪くないだろう。
こうして、第一試験を突破した合格者たちは、次なる試験地“ラケシア島”へ向かう。
胸の高鳴りと、得体の知れない不安が入り混じり、空気の冷たさすら刺激的に感じられた。
***
「――皆さん、注目! ただいまより、第二試験の内容を発表いたします!」
突如として、飛行船上部に設置された魔法拡声器からアナウンスが流れる。
ハルたちは自然と話を中断し、その声に耳を傾けた。
「これより飛行船は目的地”ラケシア島”に到着します! 島には複数のダンジョンが存在しています。受験生はそのいずれかのダンジョンを攻略し、最奥にて待ち受けるモンスターを討伐してもらいます。モンスターが持つ『学院の紋章』を回収することが第二試験の通過条件! 制限時間は上陸から二十時間となります!」
周囲の受験生からざわめきが起こる。
「二十時間か……」「それ、短くないか?」など、あちこちで不安や期待の声が上がった。
放送は続く。
「また、第一試験の結果が良好だった者から順に下船の許可が与えられます。いずれにせよ、合格を目指すのであれば、慎重かつ大胆に挑むがよい――以上!」
アナウンスが終わると、甲板や船内にいた受験生たちが口々に意見を交わし始めた。
「高得点組は有利そうだなあ」
「でも先に行っても、モンスターに遭遇して手こずる可能性あるんじゃないか?」
ヴェルンは首を振りながら言った。
「うーん、確かに先行したって危ないだけかも。後から行くほうが、先行者が道を切り拓いてくれるメリットもあるかもしれないね」
ルークが軽く肩をすくめる。
「まあ、いつ降りるにせよ、オレたちはオレたちのベストを尽くすしかねーよ。下船したらモンスターやらダンジョンやらを探し回らないといけないんだしさ」
そんな雑談をしているうちに、飛行船は島の上空へ差しかかり、ゆっくりと高度を下げ始めた。
遠くから見ただけでも、ラケシア島の大半が鬱蒼とした原生林に覆われており、険しい岩山や広い湖、古代遺跡らしき構造物があちこちに点在しているのがわかる。
「うわあー! ワクワクしてきたよ!」
イオが無邪気な声をあげる。
***
風が木々を揺らす様子がはっきり見えるほどまで降下したところで、再びアナウンスが響いた。
「ラケシア島へ到着しました。これより上陸組を呼び出しますので、名前を呼ばれた方は速やかに桟橋へ移動してください!」
真っ先に呼ばれたのは、やはり成績上位のヒュレグ・エルヴェインだった。彼は当然のように胸を張り、余裕の笑みを浮かべながら桟橋を進んでいく。
「くくっ、二十時間など長すぎるくらいだ。先に行って雑魚モンスターどもを駆逐してきてやろう」
相変わらず傲岸不遜な態度だが、その実力を疑う者はいない。
続けて、名門出身のアリア・シルヴァリーフが呼ばれ、優雅に槍を携えて下船していく。
「風の槍か……やっぱり威力抜群なんだろうなあ」
ハルが呟くと、横にいたヴェルンは静かに頷く。
「第一試験でもアリアさん、すごい魔力値だったしね。さすが名門シルヴァリーフの出身……」
その後、複数の受験生がどんどん名前を呼ばれ、順番に下船していく。
イオ、ルーク、ヴェルンの名も比較的早く呼ばれた。
「じゃ、行ってくるわ、ハル! 先にダンジョン見つけて、ちゃちゃっと攻略しちゃうかもな!」ルークが軽快に手を振り、イオも「ハル、またねー!」と明るく声をかける。ヴェルンは「焦らずいきましょうね」と微笑んで、他の受験生たちとともに森の奥へ姿を消していった。
(みんな先に行っちゃったな……僕は一体いつ呼ばれるんだろう……)
ハルはなかなか呼ばれないまま甲板の端で待つ。
気持ちばかり焦るが、手すりにもたれながら下船待ちの列が短くなるのを眺めるしかない。
***
それから数十分後――
「ハル・アスターブリンク!」という声がようやく聞こえ、ハルは桟橋へ急いだ。
「最低限の装備だけ持っていけ。制限時間内に紋章を手に入れないと失格だぞ」
試験官のチェックを受け、ショートソードと簡易な盾、それに支給品の食料を渡される。
ハルは緊張しながらも「はい」と短く応じ、足早に桟橋を降りた。
視界に飛び込んだのは、熱帯雨林を思わせる濃密な緑の壁と、湿度の高い重たい空気。遠くにそびえる岩山からは滝の水音が聞こえるような気がした。ここで二十時間以内にダンジョンを見つけ、モンスターを倒し、紋章を持ち帰る――果たして本当にやれるだろうか。
最後に試験官が「これを渡しておく。地図だ」と、一枚の羊皮紙を手渡してきた。
「地図……あ、ありがとうございます」
期待を込めて羊皮紙を開いてみる――が、そこには島の大まかな外形と、森や山、湖といった特徴的なランドマークがざっくり書かれているだけで、肝心のダンジョンの位置情報は一切記載がない。
地図の端には「
「あの……ダンジョンの場所は……? 何も書かれてないんですけど……」
試験官は鼻を鳴らすように笑う。
「当たり前だ。正確な位置を示してやるほど甘くない。その名前がヒントになるかは、お前次第だな」
「……な、なるほど」
つまりこの地図は、ほぼ“白紙”に近い。
島の地形とダンジョン名はわかるが、ダンジョンが具体的にどこにあるかはまるでわからないのだ。
"ダンジョン探し"も試験の一部だということだろう。
ハルは地図をそっと折りたたみながら、あらためて深い森を見つめる。
あのイオたちも、すでに自分たちなりに当たりをつけて動いているはずだ。
「よし、やるしかない……」
決意を固めるように呟き、ハルは森の中へ踏み出した。
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