わしの名は?
馬車の左前方から乗り込むと、まずベンチシートがある。進行方向を向いて座るレイアウトだ。大人3人だと窮屈そうだが、大人1人幼女2人であれば余裕を持って収まるであろうサイズ。厚手のクッションが張ってあり、座り心地はなかなかに快適だ。
シートの後方は荷台スペースなのだろう。荷物は、旅行鞄がひとつのみ。片手で提げられて、着替えが3日分入る程度のサイズ。ひと月の長旅にしては、随分と身軽な気がする。
「明日のパンツさえあれば、なんとでもなるでしょ」
などと、どこかで聞いたような事をいう縦ロール幼女クリーム。彼女とは、仲良くやっていけそうな気がするよ。メイドを連れているくらいだから、裕福な家庭の子かと思われるのだが。そうでもないのだろうか。馬車も必要な機能を備えるのみで、これといった装飾の類も無い。
「こんな山の中で見栄を張っても仕方ないじゃないの」
クリームが説明してくれたところによると。この馬車はこの山を越えるためのものだとか。山を越えたら、そこから先は乗り合い馬車を乗り継いで、ワワンサキまで行くつもりらしい。
この山は街道こそあれ、非常に危険なので人の往来はほぼ無いらしい。確かに、先ほども熊に襲われていたね。乗り合い馬車の類も当然無いので、実家の馬車を借りてきたそうな。当初の予定では、山を越えた所で御者と護衛の兵士達と共に、馬車は実家に引き返す予定であったらしい。
「でも御者も失ってしまったから、最初の宿場町で処分することになるでしょうね。高く引き取ってもらえるとよいけど。」
なるほど。他人のマイカーで悠々自適な旅が出来るぞ、なんて思っていたら甘かったようだ。
「そんなの出来るの貴族くらいよ?」
王女様は下々の民の事情なんかご存じないのね、とか思われているのだろうな。実際には、下々どころか、この世界の人類全体の事情をご存じでないのだけど。
貴族には及ばないにしても、その縦ロールが示す通り、カステーラ家は結構な資産家らしい。地方都市とはいえ政治にも影響力をもつ権力者でもあるのだとか。とはいえ、贅沢は許されていないそうで、馬車が質素なのも荷物が少ないのもそのせい。資産家がケチなのは、こちらの世界でも同様らしい。
当面は、この幼女と連れ立っていれば、どうにかこの世界を生きていけるのではないだろうか。最初に遭遇したのが彼女だというのは、実に幸運だった。死体からの追剥ぎとはいえ、大金も入手しているし。この強運っぷりは、我が身が女神であるからなのだろうか?
「埋葬終わったみたいね」
そう言われて馬車の外を見ると、土を盛った上に、木の枝で組んだ十字架が立っている。クリームと共に馬車を下りて、手を合わせておいた。十字架に手を合わせるのはどうなのか?と思ったが、クリームとその従者も同じようにしていた。こちらの世界では、こういうものらしい。
熊はカステーラ家のメイドさんの包丁によって捌かれていた。なんでも高級食材らしい。もっとも4人で食べきれる量ではないので、宿場町で売るそうだ。
「さあ、次の宿場町まで急ぎましょう。やることもいろいろあるし。日が暮れるまでには着きたいわね。」
御者はカステーラ家のメイドだ。うちのメイドさんは馬車の中で、幼女2人と並んで座る。
「ねえ、あなたのメイドさんも名前は明かせないの?」
クリームに聞かれて気付いたが、メイドさんにも名前が無いね。
「私は、お嬢様の従者として存在するのみ。名など不要です。」
その忠誠心は一体どこから湧いてくるの?ちょっとこわい。
「そうは言っても、名前はあることが重要よ。名乗れないのであれば、新しい名前を持てばよくない?」
この世界には戸籍制度は無いのだろうか?勝手に名乗ってよいのであれば、クリームのいう通り、新しい名前を持つべきだろう。
そうなると命名するのは、主である自分であろうか?そうは言っても、この世界の常識を知らないので、下手につけると「それは犬につける名前よ。」とかになりかねない。
「そうじゃのう。ミケ、ミー、タマ、クロ、ジジ」
とりあえず前世の世界の猫の名前を並べて、クリームの反応を見てみるか。
「それは全部、神話に出てくる天使の名前ね。」
まじか。この世界の神話どうなってんの?
「でも、いいんじゃない?貴族は、天使の名前にあやかる人多いから。」
そうなんだ。
「じゃあ、ミー、かな」
どうかな?とメイドさんを見る。
「ありがとうございます。今日から、私のことはミーとお呼びください。」
メイドさんをペットの名で呼ぶ。怠惰で背徳的なプレイみたいなんだけど。この国の風習に沿っているのであればよいだろう。
なお、名付けたことでメイドさんが進化した様子はない。ネームドにはならなかったようだ。モンスターではなくてメイドさんだしね。
「従者が天使なら、主は女神の名がいいんじゃない?」
正体が見抜かれているのかと思ってどきっとした。縦ロールに特殊なアンテナが内蔵されていたりするのかと。
「女神の名は、畏れ多いじゃろ?」
「まあそうね。でも、王族は女神の名にあやかっているわよ。」
お前も王女なんだから、そうすべきじゃないの?ということだろうか。正体を隠すための偽名なんだけど。
「リーザ、とかいいいんじゃないの?お笑いの女神様よ。」
お笑いなんだ。なんでそれなん?クリームには、わしがどう見えておるの?
「リーザ、か。それでいくかのう。」
かくして、わしの名はリーザになった。
ネームドになった気配はない。女神はモンスターではないらしい。
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