第9話
私はおそらく今年で一番驚いている。何故ならいつもお昼を過ごすのに使用しているあの埃被った教室のエアコンが動いたからだ。
「あー、すずし〜」
長らく使われていないからか、少し稼働するまでに時間がかかったし、埃というかカビというか、何かしらが舞っていてちょっと変な匂いがするけど。けれどあの暑苦しい空間に比べればそんなこと屁でもない。そして、エアコンがつくということは、夏と冬も無事ここで快適に過ごせることが確定したようなものだ。
正直言って、ジメジメとした梅雨が近づいてきて最近はちょっとこの教室も暑く感じていた。レンは特に何も言っていなかったので、まだそこまでだしな、と思いつつこれ以上暑くなったら流石に場所を変えようかと考えていたところだったのだ。
家でやれば怒られてしまうような温度まで下げる。学校のものだから電気代はかからないしやりたい放題だ。
暫く悠々自適にしていると、グラウンドから微かに応援の声が聞こえてきた。それを耳にしているとなんだか眠気が。間近で聞いている時は煩くて仕方がなかったあの声援も、ここまで離れると子守唄に大変身だ。だんだん瞼が落ちてくる。私はそれに一切抵抗せずに、やがて目を閉じ、そして眠りにつく。
「〜〜〜」
誰かに呼ばれているような気がする。軽く目を瞑っている程度のつもりだったのに、思ったよりしっかりと寝ていたようだ。
「〜〜ぃ、ぉーぃ」
しかし、なんだか騒がしいな。気持ち的にはあと五分、いや十分寝かせて欲しい。みんなが暑苦しい場所で動いている中、私だけがひっそりと涼しい場所で休んでいるという状況をもう少し堪能させて欲しい。
「おーいってば、伊織ー?もうお昼休憩の時間だよ。早くご飯食べようよ〜」
どうやらとっくに堪能しきった後だったらしい。残念だ。
「はぁ」
「あっ起きた!おはよー」
「おはよう。てかもうお昼なのか」
「そうだよ。まだ始まったばっかりだけどね」
ということは、この教室についてほとんどの時間を睡眠に費やしたのか。そして今度は今にでもお腹がなるのではないかというほどの空腹感がある。恐ろしい、やはり人間は三代欲求には逆らえないのだ。なんと愚か生き物なものだろう。
「あれ、いつものパンは?」
「さっきまでずっと寝てたから買ってない」
「えー、どうすんの?伊織今日お昼無し?」
「今から買ってくる。あのパンそこまで人気ないからお昼が始まってから買いに行っても残ってるんだよ」
「じゃあ私もついてこっかな」
「別に良いけど、先に食べてたって良いよ。ここから購買距離あるし」
「どうせなら一緒に食べたいじゃん?めっちゃお腹空いてるってわけでもないし」
「レンが良いなら」
学校のある日は必ず会う私達。しかしながら今のように二人並んで歩くというのは初めてというほどではないが、かなり少ない。そして隣を歩いているからといって特に何か話すような感じでもない。
そのまま購買まで行って、案の定売れ残っていたあのパンを買い、さあ戻るかというときだった。パンを買う間、列から少し離れたところにいてもらっていたレンがいつの間にか囲まれている。それだけでいうとなんだか見たことがあるような光景だが、今回は女子ではなく男子に囲まれているようだった。
「山崎さんがここにくるとか珍しいね。いつもならお昼始まってすぐどっか行っちゃうのに。そうだ!このまま俺らと一緒にお昼食わない?」
「さんせー!男ばっかでむさ苦しいと思ってたんだよ。山﨑さんとももっと話したかったし」
鼻の下を伸ばすとはああいう顔なのかと納得させられるような表情をした彼らに対して、ちょっと迷惑そうな顔をしたレン。困っているのなら一応助けに入るかと声をかけようとしたところ、私より先にどこかで聞いたことがあるような声をした男が止めに入った。
「おい、お前ら!レンが困ってるだろ!それに人の彼女を勝手に誘うな」
「晴翔くん?」
「おいケチくせーな晴翔!ちょっとくらい話してたって良いじゃんかよ」
「そーだそーだ、男の嫉妬はダセーぞ!」
「どうとでも言えよ、俺がいるうちは取り敢えず諦めろ」
「しゃーねーな、それじゃあ山崎さん、また今度こいつがいない時にでも〜」
「じゃあな、晴翔〜」
「おう、また後でな」
レンをナンパしていた彼らは割とあっさり引いてくれた。間に入った人は、どうやらこの前あの教室でレンに告白してた人だったようだ。そのまま二人で少し話している。一応恋人ということらしいので、一緒にお昼を過ごすのかと思ったがすぐに会話を切り上げてレンがこっちに向かってきた。
「あの人と食べなくて良いの」
「えっ、なんで?」
「一応恋人なんでしょ、今もそれで誘われてたんじゃないの」
「まあそれは合ってるけど、先に食べるっていったの伊織とだし、それに私付き合ってる人とご飯食べないようにしてるんだよね」
「へえ、それって面倒だから?」
「うん。この学校にも付き合ってる人何人かいるし、あいつとは食べたのになんで俺とは食べないんだ!みたいなのが出てくると厄介だからね」
「そっか。パンも買えたし、もう戻ろう」
「おっけ〜」
隣で歩いている彼女は何事もなかったかのように普通にしている。きっとさっきのようなことも彼女にとっては当たり前に起きることの範疇に過ぎないのだろう。
薄々感じていたが、レンはかなり賢いようだ。それは学力的な面でもそうだが、所謂地頭が良いというやつだろう。男子に誘われないように私とお昼を過ごすという先約を用意することで断りやすくする。それは立派な戦略だ。体良く使われることに私がなんとも思わないことをレンは理解している。私はこっちに被害が来なければどうでもいいのだから。
いつもより気持ちゆっくり目で教室に向かっているので普段よりたくさん思考が進む。当然ながら、それはレンと一緒に歩いているから。身長に10cm以上も差があれば歩幅も大きく変わってくる。もしいつも通りに歩いていればレンはとっくに引き離されてしまうだろう。一緒に歩くことが嫌なわけでもないのでレンの歩くペースに合わせる。
人気がだいぶ少なくなり、もうそろそろ教室に着く頃だな、というところでレンが少し声を弾ませて話しかけてきた。
「ねえ、さっきのさ、もし晴翔くんが来てなかったら伊織は助けてくれた?」
さっきのというのは十中八九男子に絡まれていたときのことだろう。既に体は半歩くらい動いていたので彼が声をかけるのがもう数秒ほど遅かったら私の方が先に割って入っていたはずだ。つまりレンの質問に対する答えは明白である。しかし馬鹿正直に答えるのはなんだか面白くない。
「どうだろうね」
「そっかぁ」
横目で見たレンの表情はやけににこやかだった。彼女がどんな答えを欲していたのかは分からないが、満足したらしい。彼女の思考はよく分からない。私とレンは当然ながら同じ人間ではないのだから考えていることを全て理解するなんてことはできないと分かっているけど、ここまで考え方や生き方が違うと少し興味が湧くものだ。
例えば、さっきの質問はする意味があったのか、とか。なんで色んな人と付き合おうとするのか、女子から反感を買ってもそこまで気にしないのは何故か、とか。
興味は湧く。でも結局はその程度でしかない。いつか気が向いた時にでも聞けば良い。そんな時が来るのかは知らないけど。ぐう、とお腹が鳴った。そうだ、そんなことより今は早くお昼ご飯を食べたい。
ビッチな彼女に「セックスってそんなに良いもの?」と聞いてみた 明らかなアキラ @akirakanaakira
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