断罪聖女と雷雪の魔剣士

櫻井金貨

第1話 聖女断罪

 冬は雪に閉ざされる、北方の王国。

 雷雪らいせつの魔剣を抜いた者が王太子となり、やがてこの国を治める。

 しかし、ザカリア王子はいまだ王子のままで、王太子となる気配はなかった。


***


「聖女アイラ! 私、王子ザカリアはそなたとの婚約を破棄する。偽聖女め……! 王家を、神殿をだまし、人々をだました罪は重い。死んでその罪を償え」


 白い簡素なドレスの聖女が、静まり返った謁見の間に立っていた。


 何よりも目を引くのは、腰まで届く、豊かな黒い巻毛。

 見開かれた大きな瞳は、まるで宝石のような、緑色。

 どこかエキゾチックで、印象的な容姿の娘だった。


「この偽聖女……! 怪しいと思っていたのよ」

「黒髪の平民女!」


 謁見の間には、貴族や神殿の聖女達も集まっていた。

 聖女アイラを罵る言葉が、波のように広がっていく。


 病気療養中の国王に代わり、堂々と玉座に座っているのは王子ザカリア。

 この国に多い、淡い色の髪に青系の瞳、という容姿を持った青年だ。


「勇気を出して、そなたが真実を知らせてくれてよかった。カロリン嬢、感謝するよ」


 王子が玉座下に控える、一人の令嬢に向かって微笑んだ。

 逆毛を立て、金髪を豪華に盛り上げた髪型をした令嬢は、深々とカーテシーを取った。


「ザカリア王子殿下、もったいないお言葉でございます」


「聖女アイラ、いや、元聖女アイラ、このカロリン嬢が証言してくれたのだ。そなたがかけたという、治癒魔法がまったく効いていない、と。彼女だけではない。同様の証言は次々に集まった……衛兵、アイラを牢へ」


 ザカリアとカロリンが見つめ合った。

 目の前で交わされる熱のこもった視線。

 しかしアイラは動揺することはなかった。


 アイラの心は、すでに冷えきっていたから。

 それは、あの時。

 あの寒かった日の午後。

 狂ったように吹きすさぶ雪の中で、アイラの護衛騎士は死んだのだ。


 雪の積もった地面に倒れ込んだ、大きな体———。

 過去の記憶がアイラに痛みを与えた瞬間、アイラは両側から衛兵に拘束されて、身動きが取れなくなった。


 アイラは首を振って、意識を現実に戻す。


「ザカリア王子殿下、お待ちください。お疑いであれば、裁判でも何でも受けます。わたくし自身に証言させてくださいませ。わたくしは治癒魔法を偽ったことはございません!」


「何を証言しようというのだ。そなたは高位貴族の治療を拒否していたと聞いている。おそらく偽聖女とバレることを恐れていたのだあろう。平民はだませても、高位貴族の目は———」


「恐れながら申し上げます! わたくしは身分や資産の多少によって治療をするのではなく、症状の重症度、治療の必要度、緊急性に応じて対応すべきと、かねてから」


「黙れ!!」


 アイラの細い体が、突然床に崩れ落ちた。

 烈火のごとく怒ったザカリアが玉座から駆け下り、力まかせにアイラの体を突き飛ばしたからだ。


「収牢せよ」


 それが最後通牒だった。

 アイラは両腕を後ろで縛られ、屈強な兵士に挟まれて謁見の間を退出する。

 兵士の遅過ぎる足取りは、わざわざアイラを貴族達の目にさらそうとしているかのようだった。


「偽聖女」

「恥を知れ」

「異国人のくせに」


 もはや何も遠慮をすることのなくなった、貴族達が大声で言い放った。


 アイラは最後に一度、苦労して体をひねり、振り返った。

 聖女の白いドレスがひるがえる。


 かつて、アイラが淡い憧れを持ったことのある、美しい金髪の王子殿下。

 ザカリアの顔は嫌悪で歪み、冷たい目でアイラをにらみつけていた。


(これで終わり)


 謁見の間を出て、長い回廊を通って裏庭に向かう。

 次第に冷えた外気が入ってきて、アイラは体を震わせた。


 アイラは薄いドレス一枚しか着ていない。

 軽い革の靴は薄く、足元からも冷気が伝わってくる。


 裏庭に出て、王城内の地下に設けられた牢に向かう時、空から重みのあるぼたん雪が落ちてきたのにアイラは気がついた。


 ぽたり、ぽたりとまるで大粒の涙のような雪だ。


(あの時も雪が降っていた)


***聖女の回想


「……また?」


 神殿内の一室。

 聖女のために用意された部屋で、アイラはため息をついた。


 朝起きたら、アイラの靴が消えていたのだ。


 聖女達には質素だが、個室が用意されている。

 部屋には、ベッドと机、椅子、それにクローゼットが置かれ、小さな浴室も付属している。


 アイラは支給された聖女のドレスとローブ、冬用のマントと靴をクローゼットに保管していた。


 着替えをして、室内履きから靴に履き替えようとして、クローゼットの床に何もないことに気がついたのだった。


 先週は、聖女のドレスがハンガーにかかったまま、切り裂かれていた。

 アイラは器用に縫って繕ったが、今度は靴が消えた。

 本やペン、櫛、といった小物が消えることもあった。


 仕方なく、室内履きのまま、アイラは部屋を出た。


 神殿での朝のお務めまでにはまだ一時間ある。

 その間に心当たりの場所へ行き、靴を探そうと思ったのだ。

 早朝の空気は冷たい。

 そっと両手をこすり合わせて、歩き出す。


 しかし、廊下に出ると、すぐに他の聖女達に囲まれた。

 それぞれが護衛騎士を連れている、上級聖女達だ。


「まあ、これはこれは。筆頭聖女様」

「王子殿下の婚約者様でもあるわ」


「少しはお気をつけあそばせ。先日は、侯爵夫人の治療をお断りになったそうね?」


 アイラは心の中でため息をついた。


「断ってはいません。午後からの治療にさせていただきたいとお願いしただけです。侯爵夫人のお顔の症状は、一時的な吹き出物。緊急を要するものではありませんでした」


「それが不遜だと言うのよ。侯爵夫人が、いったいいくら寄付されていると思っているの? それに見合うサービスを求められるのも道理というもの」


 ここで言い争っても意味はない。

 アイラはすっと聖女達の間を抜けた。


「……急ぎますので、失礼します」

「アイラ!!」


 アイラは筆頭聖女を任されている。

 その実力は認められているはずなのだが、表からは見えないところで、アイラへの反発は絶えることはなかった。


 神殿の回廊から出て、庭園へと降りる。

 以前、生垣の中に小物を隠されたのだ。

 しかし、かがみ込んで見ても、靴は見当たらない。


 立ち上がって周囲を見回すと、アイラの靴は、噴水の縁に置かれていた。


「……あった!」


 アイラはほっとして噴水に駆け寄り、靴に手を伸ばした。

 しかし。


「あっ!!」


 不意に、誰かに背中を押された。


 バランスを崩したアイラは、不安定な姿勢のまま噴水へ突っ込んでいく。


「!!」


 思わず目を閉じたアイラだったが、彼女が水の中に落ちることはなかった。


 アイラがゆっくりと目を開けると、自分の体を軽々と右手だけで抱き止める男の姿が見えた。


 そして男の左手は、アイラと同じく、白のドレスを着た、一人の聖女の腕を拘束している。


「何をしている?」


 低い声。


 アイラからは男の横顔しか見えなかったが、男がまるで新雪のように輝く、銀色の髪を長く伸ばしていることに気がついた。


 混じりけのない銀髪は、この国でも滅多に見かけない。

 いつも異国人、と黒髪をさげすまれてきたアイラは、まるで野生動物のたてがみのような、男の銀髪に思わず目を奪われていた。


「おまえは聖女だな。なぜ聖女が、同じ聖女を水に突き落とそうとする? しかも真冬に」

「わ、わたくしは、そんな……た、頼まれただけですっ……! 野蛮なっ! 手をお離しくださいませっ!」


 聖女が強気にそう叫んだ瞬間、降り始めていた雪がいきなりその勢いを増して、まるで意志があるもののように風に舞い始めた。

 聖女は驚き、体をよじって、男の手から逃れ、そのまま中庭を走り去っていく。


 アイラはため息をついた。

 彼女の言ったことは事実なのだろう。

 自分に嫌がらせをして、それで気晴らしをしている人間は多いのだ。


 アイラは銀髪の男にぺこりと頭を下げた。


「おかげさまで濡れずにすみました。ありがとうございました」


 銀髪の男は無言でアイラの前に立ち尽くしている。

 おまけに無表情だし、大きな男なので、正直、見下ろされている圧迫感がものすごい。


 体つきもがっしりしていて、肩に剣を背負っている姿は、騎士には見えない。


(……騎士の制服でもない。……貴族? 傭兵? 剣士……?)


「あなたは、上級聖女とお見受けするが、なぜ護衛騎士が付いていないのですか? 騎士がついていれば、多少はごたごたを避けられるのでは?」


 淡々とした口調で、しごく真っ当な意見が述べられた。

 アイラはまばたきをした。


「わたくしには護衛騎士はいません」

「あなたは上級聖女ではないのですか?」

「上級聖女です」


 今度は銀髪の男の方がまばたきをした。

 その時、男の目が鮮やかな青色をしていることに気がついた。


(きれいな瞳)


 アイラがそう思ったとたん、雪の勢いが弱くなり、ふわふわとした雪片が落ちてくるだけになった。


 次の瞬間、男はアイラの前にひざまずき、背中から抜いた剣を捧げる。


「では。しばらくの間、私をあなたの護衛騎士にしてくれませんか?」


 見知らぬ男。

 その素性もわからない。


 なのに、アイラを見つめる男の青い目はまっすぐで。

 無表情な顔の中で、その青い瞳だけは、感情豊かに何かを訴えているかのようだった。


 それはまるで、聖女に救いを求める人々の目にも似ていて。

 アイラは断ることができなかった。


「あなたの名は?」

「サール」


サール……?」


 雪の中に立ち尽くす聖女と、剣を捧げる剣士。

 彼らの周囲には、まるで二人を祝福するかのように、淡雪がふわふわと舞っていた。

 まるで誰かの想いを載せているかのように。

 そうして、銀髪の男、サールは聖女アイラの護衛騎士となったのだった。


***


 聖女アイラは、粗末な半地下の牢獄から、小さな窓を見上げた。

 すでに夜。

 窓の外も暗いが、ときおり、窓からは雪片が吹き込んできて、外が雪であることが知れる。


 次の瞬間、雷鳴がとどろいた。


雷雪らいせつ?」


 アイラは薄い聖女の白いドレスを着た体を、両腕で抱きしめる。

 雷とともに降る雪。

 雷雪らいせつを凶兆と怖れる人々は多い。


 しかし、北の国の王の証、雷雪らいせつの魔剣はその恐ろしい雷雪らいせつのエネルギーを持つという。


「吉か凶かは、人の心が決めるもの。雷雪らいせつ自体は善でも悪でもないはず」


 アイラはつぶやいた。


「わたくしも、自分の心を信じて、物事の価値を決めたい」


 もしも人生をやり直すことができたなら。

 アイラはあの時に戻りたかった。


 たった一人だけの味方。それがアイラの護衛騎士サールだった。

 彼を失った『その時』。


 あんな風に終わるべきではなかった。

 自分にも、もっと何かができたのではないか———?

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