第2話
あの夜から数日が過ぎた。僕はいつも通り、平凡なサラリーマンとしての生活を続けていた。朝早くに起きて満員電車に揺られ、オフィスに着くと一日中パソコンの画面とにらめっこ。書類の山を片付け、上司の指示に従い、同僚と当たり障りのない会話を交わす。日常はどこか鈍色で、何かに追われるような感覚が常に付きまとっていた。
僕は広報部に所属している。会社のイメージアップやブランド戦略を考え、時にはメディア対応も行う仕事だ。毎日のように打ち合わせや企画会議があり、時には部外者との調整も求められる。それなりにやりがいもあるが、同時に消耗することも多い。かつてはもっと情熱を持って仕事に取り組んでいたように思うが、いつの間にかその情熱も色あせ、ただ日々をこなすだけの存在になっていた。
学生時代、僕はもう少し夢を持っていた。何かを作り上げたり、社会にインパクトを与えるような仕事がしたいと思っていた。だが、就職してからというもの、現実は理想とは程遠いものだった。会社の歯車として働くうちに、夢なんてものはただの幻想だと悟ってしまった。
僕は自分を平凡だと思っている。特に秀でた才能もないし、突出した個性もない。ただ、仕事を確実にこなすためのスキルは身につけてきた。上司や同僚に頼りにされることもあるが、それはあくまで「便利な存在」としての評価でしかない。自分が何か特別なものを持っているとは到底思えなかった。
そんな僕にとって、あの夜の出来事は異質だった。日常の退屈さから抜け出したかのような、非現実的な体験だった。だからこそ、あの若い女性の姿が頭から離れないのかもしれない。彼女の虚ろな目、裸の身体、たどたどしい日本語で僕に語りかけた言葉。それらが鮮明に記憶に焼き付いている。
会議室でのプレゼンテーションの最中、僕の意識はつい彼女のことに飛んでしまう。資料を説明しながらも、心の片隅ではあの夜のことを考えている自分がいる。オフィスの窓から外を眺めると、忙しそうに行き交う人々の姿が目に入る。彼らもまた、日常という名の檻の中で生きているのだろうか。そう思うと、急に息苦しく感じられて、無性に外の空気が吸いたくなる。
ランチタイムには同僚と一緒に近くの定食屋へ向かう。いつものように、仕事の愚痴やテレビの話題が飛び交うが、僕はそれらをどこか他人事のように聞き流していた。心の中では、あの夜の出来事が何を意味していたのか、そして自分がどうしたらよかったのかを、ずっと考え続けていた。
時計の針が午後の三時を指したとき、デスクの電話が鳴った。上司からの呼び出しだ。プロジェクトの進捗について確認したいという。僕は一度深呼吸してから、書類をまとめて会議室へ向かった。普通の一日が、何事もなかったかのように続いていく。だが、心の中では、あの夜の出来事が静かに、しかし確実に僕の何かを変え始めているように感じていた。
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