第5話


「遅いねん。何しとった?」

「いや。別に。お前がペラペラ喋って全然俺あいつと喋れなかったから。俺はすんごい金持ちで、すんごい高貴で、すんごいモテるんだよって改めてあいつに釘を刺しといた。これで夜会で鉢合わせても、可愛い女の子はみんなラファエル様のものだから声をかけちゃいけないと震え上がって理解しただろう」

「お前の存在意義が分からんわ……」

 イアンはラファエルが馬車に乗り込むと、出せ、という合図をつま先で馬車の壁を軽く蹴り、御者に伝える。

 走り出した馬車の窓辺に頬杖をつく。

「フェルディナントの奴、全然変わっとらんかったな……。昔から寡黙だけど、ええやつやねん。あいつ、あんな風に言ってたけど、あいつも神聖ローマ帝国じゃ皇帝陛下の覚えめでたく将来を嘱望された軍人で、爵位持っとる。

 ああ、違う。あいつの父親は【エルスタル】の王や。

 あいつは王族なんや。……だからなんかな、あの誇り高さ。

 自分の国を滅ぼした張本人の王妃にも、膝を折れる。

 国の為や。

 あいつは滅び去った【エルスタル】っちゅう国を、間違いなく背負っとんのや」

 ラファエルに語り掛けるというより、独り言のようだった。

「あいつこそ、ヴェネトで結婚してここで骨埋めろとか命じられたらどうすんのやろな……」

 呟いて、イアンはカラカラと石畳を走る轍の音しか聞こえないことに気付く。隣に座ったラファエルが、同じように頬杖をついて、反対側ヴェネツィアの市街の景色を眺めていた。

「おい」

 イアンが軽く、足首だけ動かしてラファエルに蹴りを加える。

「……ん? あ、ごめん。ボーっとしてた。なに?」

 イアンは深く溜息をついた。

「お前は暢気でええわな……」

 彼の悪態を風のように聞き流して、ラファエルは愛し気にヴェネツィアの街並みを眺めた。


(ジィナイース)


 自分が彼の絵を、見間違えるはずがない。

 ついさっきまで、彼にとって無意味だった世界が、途端に輝き出す。

 彼という存在がそこにあるだけで――。


 やはりこの街に彼はいるのだ。


(待っていて)

 子供の頃、右も左も分からない夜会で、ラファエルが心細くしていると、彼はいつも自分を見つけ出してくれた。凡庸な子供だと、親でさえそう言ったのに、彼は出会ったその時から、君は素敵だよ、と誉めて、優しく手を繋いでくれた。

 ラファエルは、無償の愛情というものを、親ではなく、彼に教えてもらったのだ。

(すぐに俺が見つけ出す)

 十年前、再会を約束して、そのまま海を遠く、隔ち、引き裂かれた。

 ジィナイースは自分を、覚えてくれているだろうか?

 子供の頃の別離。

 例え忘れていたって、相手を責められないほど、離れていた。

 だから忘れられていたって、少しも彼を責める気は無い。

 でももし、少しでも覚えてくれていたら。

 そう考えると初恋を覚えた少年のように胸がドキドキした。

 ラファエルは静かに目を閉じる。


(今度は俺が、お前を必ず見つけ出してやる。

 この、意味の分からない、お前の名を汚す世界から)


 必ず救い出す。





 






【終】

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