幕章

朱里先生による特訓 其の1~止めて蹴る編~

 入学そして入部からおよそ1週間が経過した。1年生も含め、各々独自の練習メニューに取り組んだり、リーグ戦のメンバーは連携プレーを練習したりしていた。

 そんな中、新太は数原の指示の通り朱里に個別でサッカーの基本を教わっていた。朱里はこの指導に当たって新太に自身が元世代別女子日本代表であること、そして男女の違いがあるためあくまで基本的なところしか教えられない旨を説明していた。

 それを聞いた新太は『すごい人なんっすね――よろしくお願いしやす!!』と何ともさっぱりとした返事だったため、朱里はあっけにとられてしまったのだった。


 ◇


「まずはサッカーの基礎中の基礎、『止めて蹴る』を教えるわ」

「止めて……蹴る」


 朱里の言葉を新太は復唱しつつ言葉の意味を考える。


「サッカーという競技は極論を言ってしまえば、止めて蹴るを繰り返してゴールを奪い合う――そんな競技よ」

「なるほど――わかんないっすね……」

「……君は説明するより見たりやったりした方がいいタイプね。いいわ、まず少し距離をとってあたしにパスを出してみて」


 朱里にそう言われ、新太はボールを持ったまま10メートルほど距離を開け、そこから彼女に向ってパスを出した。

 朱里はそのボールを右足でトラップすると、トラップが少し長くなり彼女の足の少し前に転がった。


「これはボールを止められてると思う?」

「――いや、止め切れていないっすね」

「その通り――しっかりコントロールできずに足から離れているわ。それじゃあ、もう一度同じようなパスを出して」


 朱里はそう言うと新太にボールを蹴り返す。ボールを受け取った新太は先ほどと同じように朱里にパスを出した。

 朱里は先ほどとはうって変わって、脱力した様子でボールをトラップすると足元にピタッと収まった。


「今度はどう?ボールを止められている?」

「はい、止まっていると思いますけど……」

「そうね、ボールは止まっている――今度はパスを出した後、そのままこっちに走ってディフェンスをしてみて」


 朱里は再び新太へボールを蹴り返す。新太も同様にパスを出すと、そのまま朱里に向って一直線に走る。

 朱里が先ほどと同様、足元でぴたりとトラップすると同時に新太が朱里の前に立ちふさがる形となった。


「このディフェンダーに寄せられている状況でさっきと同じボールの止め方をした場合――どうなると思う?」

「……ボールを奪われる、もしくは奪われないために後ろを向く……」

「正解――いずれにしても次のプレーがスムーズにできないわよね?『止めて蹴る』の本質はそこ――いかに次のプレーにスムーズに移行するか、そこから逆算してどこにボールを止めるべきかということが肝なのよ」

「……なるほど」


 新太は朱里の教えを脳内へ叩き込むようにして記憶する。

 朱里は新太の周囲にいくつかのコーンマーカーを置くと、先ほどまでと同様に10メートルほど距離をとる。


「『止めて蹴る』の意味を理解してもらったところで、その練習をするわ。内容は簡単、あたしがここから強弱様々なパスを出すからそれをコーンマーカーを避けつつトラップして、あたしにパスを返す」

「わかったっす」


 最初は、特に強いパスがなかなかコントロールできず、コーンマーカーを倒してしまったり、2、3歩離れたところに転がったりしてしまった。しかしものの数分でコツを掴んだのか、程よく脱力した姿勢となりどんなパスでもコントロールできるようになっていた。しかも左右両足で。


(……なんて吸収力なの――たったこれだけの時間でここまでボールコントロールが上手くなるなんて)


 朱里はパスを出しながら、新太の成長速度に驚愕していた。


「――それじゃ少しオプションを加えるわ。やることは同じ――けど、君がトラップする少し前に方向を指示するわ。右とか左とかね。その方向から相手が来ていると仮定してその方向以外にコントロールするように」

「オッケーっす!」


 朱里は新太に向けて少し強めのパスを出し、彼自身の下へ到達する直前に『左!』と告げる。

 するとスッと体を右に向け、右足の横に完ぺきにコントロールし、朱里にパスを返した。

 その後も数度ミスはあったものの、新太はほぼ完ぺきと呼んでよいボールコントロールを身につけたのだった。


 ◇


「……そういえば、すごく今さらなんだけど君――スパイクは持ってるの?」


 マンツーマンでの練習が終わり、2人でクールダウンをしている時に新太のシューズを見た朱里がそう尋ねた。練習では皆スパイクを履いているのだが、新太は普通のランニングシューズだったからだ。


「――スパイクってサッカー用の靴のことっすよね?まだ買ってないんですよね。春休みに買いに行ったんですけど、どれがいいのかわかんなくて――なんかおすすめとかってあります?」

「そうね……リーグ戦の会場は土と芝どっちもあるから――できればそれぞれで買った方がいいわ。難しいなら芝用にした方がいいかも。あ、あとはスタッドを取り替え式にするかとか、人工皮か天然皮かも結構好みがでるし……」

「――あの、何言ってんのかさっぱりなんすけど、詳しいんっすよね?選んでくださいよ――」

「――え?あ、えぇ――構わないけれど……」

「あざまっす!――そしたら週末大垣駅に集合して買いに行きましょう。時間とか細かいところはまた決めましょ――後で連絡先教えてください!」

「え?――うん?」


 新太はトントン拍子で物事を決め、朱里が混乱している最中、週末一緒に買い出しへ行く約束をこぎつけた。よく考えなくとも男女でのそれはデートと呼べるものなのだが、新太は全くそんなつもりなく、天然でここまでやってのける――そちらでも天才と呼べるのかもしれなかった。

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